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鯉のぼり [社会]

koinobori.png鯉のぼりの由来は江戸時代に遡り、幟を立てて端午の節句を祝う武家文化を庶民が真似したのが始まりだそうである。五月人形のように侍臭が露骨なアイテムと対照的に、子の成長を願う気持ちを風になびくコイに託すあたり、江戸町民の粋なセンスが香る。当時は男児を表す真鯉(黒のコイ)一匹だけだったようだが、明治時代に入ってしばらく経って、真鯉と緋鯉の二匹体制に移行した。昭和初期に書かれた童謡『こいのぼり』の歌詞に、「おおきい真鯉はおとうさん、小さい緋鯉はこどもたち」とある。真鯉のポジションをいつの間にかお父さんに取られているのは、江戸庶民の家族観から明治以降の家父長制にシフトしていった社会背景を反映しているとされる。そのせいで、この頃の鯉のぼりは父子だけでお母さんの出番がなかった。

戦後はさすがに封建的な家族像が馴染まなくなって、昭和30年代から40年代にかけて真鯉(父)と緋鯉(母)に3匹目の青鯉(子)が加わる現在の姿になったという。緑やオレンジの鯉をさらに加えてカラフルに彩る鯉のぼりも一般的になったが、職人が五輪のシンボルから着想を得たという説もあり、当時の東京オリンピックが一役買っているらしい。折しも再びオリンピックが東京開催を控え(本当にあるかないかはさておき)、昨今多様化した家族観に合わせて鯉のぼりのパターンももっと自由でいいんじゃないか。真鯉不在で緋鯉と青鯉が仲良く泳いでいてもいいし、真鯉だけや緋鯉だけが寄り添う鯉のぼりでもいい。ただこの半世紀のもっとも顕著な変化は、5月の空にたなびく鯉のぼりそのものがめっきり減ったことである。

こどもの日が近づくこの季節、鯉のぼりを上げる一般家庭をほとんど目にしなくなった。昔ならいざ知らず、昨今の住宅事情では広い庭に平屋建ての民家は減る一方だから、「屋根より高い」鯉のぼりを立てるには、2階や3階まで届く巨大な装置を手狭な庭に設置するハメになる。これでは風向き次第で尻尾が隣家の領空を侵犯し、ご近所トラブルになりかねない。集合住宅に住んでいる場合、庭がないのでベランダに竿を立てる他ないが、鯉が上階の住人の部屋を覗き込むようではやはり具合が悪い。そもそも、子供を地域共同体で見守る文化が薄れゆく世相では、人目を引く鯉のぼりでのろしのようにアピールするより、みな家族単位でひっそり成長を祝いたいのではないか。鯉のぼりにとっては、何かと生きづらい現代社会である。

黄河に龍門と呼ばれる激しい急流があって、流れを遡って龍門を超えた鯉は龍と化すという。難関を突破し立身出世を果たす譬えで、「登竜門」の語源にもなった中国の伝説だ。鯉のぼりの鯉はもともとこれが出どころで、わが子の映えある将来を願う親心が込められているのだそうである。幼いころ私の家に鯉のぼりはなかったし、子供がいないので自分で鯉のぼりを上げたこともないが、こんな大それた夢を託された子供の身を思うと少し気の毒だ。鳶が鷹を産むという諺はあるが、鯉に生まれ落ちながら龍に化ける期待を背負わされるのは、ちょっと重いのではないか。

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