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五輪は誰のために [スポーツ]

rikujou_track_side.png東京オリンピック参加選手に、ファイザーがワクチンを無償提供する話が出た。これについてある日本代表選手が、他の人への危険を考えるなら打つが、正直不安はある、と率直な胸中を明かした。彼女の言う通り、ワクチンは本人の安全だけでなく他者への感染を防ぐのが目的だ。しかしコンディションの調整に細心の注意を払うアスリートの何割が、大事な試合の前に未知のワクチンを進んで打つだろうか。不測の副反応で体調が劣化するリスクと日本社会に感染を広げるリスクを天秤にかけたとき、どちらを優先するだろうか。先の選手は、命に大小はないのに選手が特別扱いされているように見られるのが残念、とも語った。だがワクチン問題はむしろアスリート自身にとっての踏み絵であり、オリンピック出場の特権と一社会人としての責任のはざまでどうバランスを取るかを問われているのではないか。

オリンピックの主役は誰だろう?もちろん、各国を代表する選手たちである。ではオリンピックは誰のためにあるのか?もちろん、アスリートだけのためではない。オリンピックは、競技を観戦する人々のためにある。コンサートやライブはそれを聴きに来る聴衆のために存在し、歌舞伎や演劇の舞台はそれを見に来る観客のためにある。もちろんアーティストにとってステージに立つことは、自分と向き合うパーソナルな真剣勝負の場でもあると思う。だがそれを観にやって来るファンなしには、イベント自体が成立しない。

それと同じことで、アスリートが頂点を目指して切磋琢磨する姿は美しいが、選手個人の自己実現や記録達成のために一兆円規模の運営費を要するメガイベントが開催されるわけがない。選手にとってオリンピックは山頂に聳え立つ神殿かも知れないが、その他大勢にとっては4年に一度のエンタテイメントだ。IOC最大のスポンサーがNBC(米国のテレビ局)である事実が象徴するように、そこに繰り広げられるドラマの「感動」を消費する大観衆が、オリンピックの存在を支えているのである。

世界がコロナ禍に苦しむ中でスポーツをやっていても良いのか、と自問する選手がいるという。個人的には、アスリートはスポーツをやるのが使命なのだから正々堂々と打ち込めばいい、と思う。池江選手に出場辞退や開催反対を促す声が届いているそうだが、若い現役選手にそんな重荷を背負わせるべきではない。一方、ハンドボール日本代表の土井レミイ杏利選手がテレビのインタビューで、無観客のオリンピックならむしろ開催しない方がいいと語っていた。一選手としてはオリンピック開催を望んでいるにちがいないが、観客やファンの応援なくして競技は成立しないという想いを強くお持ちのようである。オリンピックは誰のためにあるのか、深く考え続けてきた人なのだと思う。

さて大会主催側はというと、土壇場で完全無観客というカードを切ってでも開催にこぎつけたい思惑のようだ。彼らは誰のためのオリンピックをやろうとしているのか。IOCか?NBCか?無観客で大義が立つならそれでも良いが、感染予防の観点からは、国内の観客が集まることより、水際対策をすり抜け選手らが持ち込むウイルスのほうが厄介だ。

組織委員会は、今月予定されていたIOC会長の訪日を「緊急事態宣言が延長される中で来日していただくのは非常に難しい」という理由で断念したばかりだ。しかし現在の状況でVIP一人の接待すらままならないのなら、たった2ヶ月半後の東京で何万人もの選手やスタッフの行動をどうやって制御するつもりか?30を超える競技が同時進行するスポーツ大会でバブルを実施した例は、世界のどこにもない。プレイブックなる感染対策ガイドラインの策定が進んでいるが、マニュアルが揃っても運用が回らなければ何の意味もない。

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