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はらぺこバッハ [文学]

plant_onshitsu_shokubutsuen_chou.png毎日新聞が『はらぺこあおむし』をパロったIOC批判の風刺画を掲載し、絵本を出版する偕成社からこっぴどく叱られた(社長名で出された声明)。IOCの強欲ぶりを食欲満点のアオムシになぞらえたことが、出版元の機嫌をえらく損ねたようである。風刺画そのもの出来栄えはさておき、偕成社の怒りっぷりが並大抵でないので、失礼ながらそちらのほうに笑ってしまった。

いちばん可笑しかったのは、「『はらぺこあおむし』の楽しさは、あおむしのどこまでも健康的な食欲と、それに共感する子どもたち自身の「食べたい、成長したい」という欲求にあると思っています」というくだりである。絵本を読みながら、嗚呼あおむしのように食べ成長したいなどと感動する子供が、いったいどこにいるんだろう?

この本は装丁に色々工夫があって、大きさの違うページをめくったり戻したり、虫食い穴に指を突っ込んだり、まずは身体感覚を刺激する。そして、日を重ねる度に増えていく食べ物とか、食べ過ぎて丸々と膨れたあおむしとか、最後にページいっぱいに羽ばたく極彩色の蝶とか、物語のリズムや溢れる色彩が独特だ。それだけで十分な魅力なのに、「子どもたち自身の食べたい、成長したいという欲求」などと妙に立派な理屈を持ち出してきたところが、残念である。

私は小さい頃、『のろまなローラー』という絵本の大ファンだった。たぶん今でも書店に並んでいると思う。道路工事で舗装に使われるあの重機が主人公である。黙々と仕事をこなすローラーだが、他の車から追い抜きざまにノロマぶりをバカにされる。しかしローラーがのろのろと山道に差し掛かると、追い抜いていった車が軒並み荒れた路面でパンクし困り果てている。一台一台に励ましの声を掛けながら、舗装作業を続けるローラー。やがて復旧した車が追いついて来て、今度はローラーの仕事ぶりに感謝を述べて走り抜けていく。

『のろまなローラー』のメッセージは明らかだ。歩みは遅いが効率では図れない仕事の価値。人に顧みられずともコツコツ努力を続ける尊さ。冷たい言葉を浴びせた相手にすら惜しまない思いやり。いずれもこの絵本が読み継がれる所以だとは思うが、所詮は大人目線の哲学でしかない。幼い私が『のろまなローラー』を愛読していた理由は、何よりも「ごろごろ ごろごろ ローラーは」といった言葉の響きやリズムが好きだったのである。運動音痴でトロかった自分を肯定してくれるような安心感も、手伝っていたかもしれない。いずれにせよ、子供が絵本を楽しむのに高尚な動機など必要ない。

偕成社が『はらぺこあおむし』に並々ならぬ愛着をお持ちなことはよくわかる。しかし残念なのは、出版元自ら『あおむし』の解釈を一方的に押し付けていることである。あおむしの顔にIOCバッハ会長をはめ込み、あおむしの「健康的な食欲」に飽くなき金銭欲を引っ掛けた毎日新聞は、下品と言えば確かに下品だ。でも『あおむし』を読む子供の中には、コイツは食べてばかりで困ったやつだと感じる子もいるかも知れないし、それはそれで構わない。数字や曜日を覚えるのにうってつけの本という親の賛辞も聞こえてくるが、絵本は絵本であって教科書ではない。先日他界した作者エリック・カール氏の意図は今や知る由もないが、小賢しい大人の読み方を強要するような人ではたぶんなかったのではないか。

繰り返すが、毎日新聞の風刺画が秀逸とは別に思わない。しかし偕成社の方も、毎日を名指しして「不勉強、センスの無さを露呈」とか「猛省を求めたい」とか言葉がいちいち刺々しい。あのおおらかな『あおむし』の世界と、まるで似つかわしくない。大した事件ではないが、やはりいろいろ残念である。

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