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ショパン・コンクール [音楽]

music_piano.pngショパン・コンクールで、反田恭平さんが2位の快挙を果たした。反田さんは4位入賞の小林愛実さんと幼馴染で、同じピアノ教室に通っていたこともあるというから、今頃この教室の門を叩く人が殺到しているかも知れない。反田さんの名前はもともと聞いたことがあった。YouTubeでAIが引っ張ってくるオススメに、彼のチャンネルがよく混じっていたのである。自己プロデュースにも長けた人だなあと思っていたが、その気負いすぎないおおらかさに若い世代ならではの新しい才能を感じる。

ショパン・コンクールといえば、求道的なピアニストたちが息詰まる戦いを繰り広げるところだと思っていた。弱冠18歳のマウリツィオ・ポリーニが優勝した1960年は、審査委員長だったアルトゥール・ルビンシュタインが「われわれ審査員の誰よりも彼の方がうまい」と激賞したという。優勝後コンサートツアーの依頼は引きも切らなかったはずだが、ショパン・コンクール直後から何年もの間、ポリーニは本格的な演奏活動を控えピアノ鍛錬の日々に没頭する。最高峰の栄誉を手にしながら自身の技術と音楽に満足できなかったのか、巨大な音楽マーケットに飲み込まれることを恐れた防衛手段だったのか、いずれにせよ山奥で修行を積む修道僧のようだ。

ショパン・コンクールの歴史で有名な話と言えば、何と言っても「ポゴレリッチ事件」だ。1980年の予選選考会で、当時22歳のイーヴォ・ポゴレリチの評価をめぐり、審査委員の意見が最高点と最低点の真っ二つに割れた。とてつもなく個性的な解釈に貫かれた、誰も聴いたことのないショパン。結果としてポゴレリッチはファイナル進出を逃し、その決定に抗議したマルタ・アルゲリッチは審査員を辞めてしまった。ショパン・コンクールで入賞「しなかった」ことで名声を手にしたポゴレリッチは、60代になった今も孤高の個性派ピアニストとしてファンを魅了し続けている。

ちなみにポゴレリッチ事件の年にショパン・コンクールを征したダン・タイ・ソンもまた、正統派ピアニストとして今も活躍している。聴衆にとっては、オリンピックのように色の違うメダルで演奏家を差別化するより、タイプの違う才能が次々と発掘され、多彩な解釈の魅力に触れる機会が増すならばそれに勝る幸福はない。誰かに他の誰かより高い点を付けるコンクールの宿命をゲリラ的に否定した「ポゴレリッチ事件」のおかげで、世界はショパンのさまざまな横顔を知る機会を得た。

反田さんは長髪を後ろで束ねるクラシックピアニストらしからぬ風貌(帰国前の小室圭さんを少し思い起こす)だが、現地の人に「サムライ」と記憶してもらうための確信犯だそうだ。やはり自己プロデュースの上手な人だと感心したが、日本人が異文化の本場で認められるには人知れぬ苦労が不可欠ということかも知れない。若き日のポリーニやポゴレリッチほどストイックに尖っていなくとも、彼もまた類稀な「求道者」なのだと思う。

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