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馬はなぜ走る [動物]

20世紀初頭のドイツに、ハンスという賢馬がいた。どう賢いかと言うと、算数ができるのである。飼い主が出題する簡単な計算問題に、蹄で地面を打ちその回数で正答を繰り出す。トリックらしいトリックが一切見当たらず評判が評判を呼んだが、ついにフングストという心理学者が謎を解いた。蹄が正答数を叩いた瞬間に人間のわずかな所作が醸し出す微妙な雰囲気の変化を、ハンスは敏感に察知していたのだ。飼い主や観衆には出題内容がわからないように実験すると、ハンスはとたんに正答できなくなったのである。群れで暮らす本能が染みついた馬にとって、空気を読む能力はまさに「動物的な勘」の一部というわけだ。

sports_keiba.png競馬の馬はなぜ走るのか、という永遠のテーマがある。鞭で追い立てられているから無理やり走っているのか、それとも本気で仲間を出し抜こうと競っているのか。実際のところは、そのどちらでもないようである。馬が本気で走るのは、本来なら肉食獣の追跡から逃れる時だ。群れの最後尾にいると追いつかれて襲われるリスクが高いから、後れを取らないよう必死で走る。競馬の場合、現実には存在しない捕食者に追われる状況がむりやり演出される。JRA広報誌のコラムによれば、馬はレースに出るのを単に仕事と捉えているのではないか、ということである。「今日もシフトが入ってるのか、しょうがねえ走るぞ」みたいな気分なのか。

つい先日の天皇賞、スタート直後に騎手が落馬しカラ馬となったシルヴァーソニックが、そのまま快走し2位でゴールした。もちろん記録に順位は残らないが、3キロを超えるG1レース最長の長丁場を自らの意志で走り抜いたわけだ。上司の目がないと何となく仕事の手を抜きたくなるのが人間の本音だとすれば、騎手抜きでも本気で完走し2位に食い込むとは見上げた心意気である。ゴール後は勢い余ったか、柵に足を取られて転倒した。真面目過ぎて不器用な実直さが愛おしい。

もちろん、シルヴァーソニックの本心は誰にもわからない。騎手も馬も大事に至らず良かったが、ハンスの時代から変わらぬ馬という動物の繊細さと奥深さを改めて感じるハプニングであった。

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