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研究の旬 [科学・技術]

jigsaw_puzzle.png研究はある意味で、正解があるかわからないパズルを解くようなものだ。初めにある程度予想は立てるが、ジグゾーパズルのピースがそこそこ埋まるまでどんな絵が現れるかわからない。そもそも絵らしい絵にたどり着かないかもしれないし、ピタリと嵌るピースがどうしても見つからないこともある。それでも、少しずつ空白が埋まっていく研究の日常は、ささやかな発見の喜びがそこかしこに潜んでいる。

だが、ある程度パズルの全体像が見えてきたら、研究のフェーズが変わる。試行錯誤で形の合うピースを探す地道な労働は、そこから立ち現れる完成図のデッサンを推敲する芸術家のような作業にとって代わる。つまり、データを収集したり解析する分析(analysis)プロセスから、論文の構成を考え分析結果を明快なメッセージに昇華させる統合(synthesis)プロセスに移行する。分析と統合の両輪が揃ってはじめて、研究は科学コミュニティと共有可能な「作品」として完成する。

博士(後期)過程の学生と話をするとき、私はよく研究は「生もの」だと説く。手当たり次第にパズルのピースを少しずつ嵌めていく作業は、永遠に小さな達成感に浸り続けることができる。だがこの充足感は危険な誘惑で、「生もの」は旬を過ぎると少しずつ傷んでいく。傷まないうちにパズルの絵を完成できないと、自分で自分のやっていることに飽きてくる。マイブームが冷める前に旬のネタを論文に料理する手際は、研究者にとって最も大事な能力の一つと言っても過言ではない。貴重な食材を調理できず腐らせてしまった(または腐る寸前まで行った)例を、周囲にいくつも見てきた。

コロナ禍で出張が消滅した2年間を逆手にとり、オフィスで集中できる時間をとことん投資し専門書を一冊仕上げた。無事に出版に漕ぎつけたはいいが、本の執筆に夢中ですっかり後回しになっていた2年前の研究ネタが亡霊のように視野の片隅でチラつく。すっかり旬の過ぎた題材を料理する作業は、今一つ上がらないモチベーションとの戦いだ。幸いようやく論文脱稿の目処が立ったからよいものの、いつも若手に説いていた教訓が自分自身に跳ね返ってきたわけである。

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