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ボタン、ボタン [文学]

war_bakuha_switch_off.png米国SF界の巨匠リチャード・マシスンが1970年に発表した『Button, Button』という短編がある。SFというよりむしろホラーに近い。ある夫婦のもとに不可解な小包が届く。中身は、押しボタンが一つあるだけの奇妙な装置だ。すぐにスチュワードと名乗るセールスマン風の男が夫婦を訪れ、このボタンを押すと大金(5万ドル)が贈られるが、代償として世界のどこかで知らない誰かが死ぬ、と説明する。

謎の装置を巡る夫婦の会話が、物語の大半を占める。半信半疑ながら大金の誘惑にまんざらでもない妻は、見知らぬ他人の命と引き換えに幸福を手にする疚しさを遠回しに正当化しようとする。そんな彼女の独白を冷めた態度で聞き流す夫。嚙み合わない会話の落としどころが見つからないまま、妻は家で独りになったある平日、こっそりボタンを押す。そしてまもなく家の電話が鳴る。

最近ロシアの「核のボタン」を巡る懸念をメディアで耳にしない日はない。マシスンのボタンは、ある意味で核のボタンと似ている。仮に一国の指導者が核のボタンを押すことがあるとすれば、それは自国にとって何らかの利益になると考えるからであり、そしてその「利益」は他国の市民の多大な犠牲の上に成立する。冷戦が終結して久しい今そんな暴挙に出る者はいない、と世界は楽観的に望みをつないできた。でもその希望が再び揺らぎつつある。

電話に出た妻は、仕事帰りの夫が地下鉄事故で死亡したことを知らされる。そして、夫にかけた生命保険金が5万ドルであったことに思い至る。その直後に電話をかけて来たスチュワードに、妻は「死ぬのは知らない人だってあなた言ったじゃない!」と怒りをぶつける。するとスチュワードは答える。
「奥様。ご主人のことをご存じだったと、あなたは本当に思っておられるのですか?」
ここで物語は唐突に終わる。

『Button, Button』はあまり若いうちに読んでもピンとこないかもしれない。しかし夫婦の乾いた会話劇にリアリティを感じる年齢になってから読み返すと、スチュワードの決め台詞に背筋が冷える。それはまた、核のボタンに指をかける誰かの深い孤立と愚かしさを暗示しているようでもある。

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