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働かないおじさん [社会]

sleep_gorogoro_ojisan.png働かないおじさん、というワードが静かに話題を呼んでいるらしい。そこそこ高給取りなのに生産性の低い中高年を差して言うようである。勤務時間中に休憩してばかり、PCに向かうと仕事と無関係のネットサーフィンばかり、ITスキルが低くて使えない、その割に周囲には上から目線で威張りくさる。安月給で働き者の若者からとくに評判が悪いようである。

でもたぶん、いろいろな問題が一緒くたになっている。働く気がないのか、それとも働く能力がないのか。本当に働いていないのか、そう見えているだけなのか。中高年だけの問題なのか、あらゆる世代が抱える課題なのか。今の世相に固有の問題なのか、昔からある話なのか。もとを辿れば社会全体の経済的余力の問題ではないか、というのが今日の話だ。

仕事が早くて的確な人がいれば、遅くてダメな人もいる。でも、どんな人も等しく食べていかないといけない。「社会を支える人」よりも「社会が養わなければいけない人」のほうが多いので、その不均衡を埋めるメカニズムがないと社会は回らない。高度成長期の日本は、右肩上がりの経済が不均衡を吸収できた。終身雇用制に守られ、仕事ができる人もできない人も安定した将来が約束されていた。当時だって「働かないおじさん」はそこかしこに潜んでいたに違いないが、誰も気にしていなかったのである。

しかし経済が低迷すると、社会はその余裕を失う。仕事ができる若者とそれほどできない中高年がパイを奪い合う(と若手が感じる)とき、「働かないおじさん」問題が顕在化する。本当にサボっているオジサンは論外として、本人なりにずっと頑張って来たし今も頑張ろうとしている凡庸なおじさんにとって、体力も能力も勝る若手から「お前はなぜ働かないのか」と詰め寄られたとき、職場における自身の「価値」をどう弁護すべきか。社会は本来、実力主義の公平性と年功序列というセーフティーネットを同時に許容しなければならない。だが停滞する経済のもとでは、その矛盾を吸収するのりしろがうまく確保できない。

コロナ禍から急速に経済が回復しつつある世界の中で、日本はいまだに出遅れている。際限なく円安が進んでも、一向にゼロ金利政策から抜け出すことができない。この状況が改善しない限り、「働かないおじさん」は叩かれ続けるのではないか。

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