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ワニの話 [映画・漫画]

wani_close.pngオリンピックが延期になり、首都圏で外出自粛が要請され、と前代未聞のニュースが飛び交った一週間だったが、それに先立ち静かに国内の話題をさらっていたワニがいる。きくちゆうき氏がツイッターで描き続けた4コマ漫画『100日後に死ぬワニ』の主人公だ。ゲームとラーメンが好きで恋に奥手で、とくに取り柄はないが根が優しく、もし友達ならきっと普通にいいヤツ。そんなフリーターのワニの眼を通して、思いがけず良いことがあれば少しイヤなこともあったり、でも大抵はとくに何も起こらない、ありふれた日常が淡々と描かれる。ただ一つ普通でないのは、毎日4コマの最後に添えられる「死ぬまであとx日」という不穏なカウントダウンで、3月20日ついに運命の日を迎えた。私はシリーズ完結後に話題を聞きつけて100回分をまとめて読み返したのだが(10分もかからない)、時折ドキッとするエピソードが仕込んであるものの99日目まで死を匂わせる影もなく、むしろ春の訪れに気分が盛り上がっていく気配すらあった。だからいっそう、(毎日予告されていたにもかかわらず)いきなり突き放されたような最終話の幕切れに戸惑う。

この読後感と似た感触の映画を見たことがある。イギリスを舞台にした風変わりで物静かな作品『Still Life』で、タイトルのとおり何ら劇的なできごとは起こらない物語だ(邦題は『おみおくりの作法』)。主人公ジョンは、孤独死の遺体を引き取り公的に埋葬する仕事をしている。判を押したように職場と住まいを往復する独り者のジョンにとって、遺品の山に丹念に目を通し一人静かに故人の生前に思いを馳せる毎日が生活のほぼすべてだ。誰にも看取られず世を去った彼/彼女はかつて何に夢中になり、どんな人を愛し、どんな神を信じ、そして何を心の拠り所に生きていたのか。ジョンはできる限り故人に相応しい葬儀をあつらえ、そのただ1人の立会人として丁重に見送る。しかし効率を度外視した彼の仕事ぶりは職場で評価されず、ジョンはある日人員整理で居場所を奪われる。

最後の仕事となった死者の生前を調査する旅に出たジョンは、限られた手掛かりを追っていくうち音信不通だった故人の娘に行き当たる。彼女と会話を重ねるうち、長いあいだ一条のさざ波すら立たなかったジョンの心に、ふと暖かいそよ風が吹き込む。一台も車の来ない道で必ず左右を確認していた彼の生真面目な生活が、少しずつ華やぎを増し活気づいていく。そしてなんの前触れもなく、悲劇が起こる。物語の結末は皮肉めいて残酷だが、心を砕いて孤独な死者を弔い続けたジョンを暖かく見送るエンドロールが、そっと心に染みる。

テレビやネットでは新型肺炎による死者数が連日淡々と報道される。積み上がる数字の裏には、その数だけ突然断ち切られた喜怒哀楽の日々が溢れていたはずだ。『100日後に死ぬワニ』で描かれる世界に広まりゆくウィルスの影はないが、死が統計に呑み込まれていきがちな今だからこそ、不慮の死で絶たれた一人(一匹か?)の平凡な100日を丹念に追ったストーリーが多くの人の心に響いたのだろうか。完結直後に各種コラボ企画が発表されたせいで結局金儲けかと炎上したそうだが、個人的には別に金儲けでもいいじゃないかと思うものの、ワニの一喜一憂を他人事ながら見守った100日間がたちまち市場経済に呑まれ消えていくのが寂しかった人もいたかと想像する。身寄りのない赤の他人をジョンが丁寧に弔ったように、フィクションのキャラクターすら簡単に心から拭い去れないように人間は本来できているのである。

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番外編:オーバーシュートってなんだ? [科学・技術]

figure_question.pngクラスター、オーバーシュート、ロックダウン。新型コロナの専門家会議は、幻惑的なカタカナ用語がお好きだ。

「オーバーシュート」の意味を巡り、理系オタクの間でネットがちょっとざわついている。専門家会議の提言では、オーバーシュートは爆発的患者急増と説明され、欧州諸国で見られるような感染者の指数関数的増加が引き合いに出されている。一方多くの科学分野では、オーバーシュートというと到達すべき平衡点を行き過ぎてしまう現象を指すことが多く、数学的ニュアンスが異なる。言葉の使い方がちょっと私らの感覚と違う、というのがざわつきの理由だ。

疫学のオーバーシュートってそういうものか?と昼休みにつまみ食い程度ちょっと調べてみた。どうやら、社会が集団免疫を獲得する過程で理論上必要な数を上回る感染者を出してしまうとき、その過剰分のことをオーバーシュートと呼んでいるらしい(このサイトが参考になった)。簡単な数理モデルにも見られる現象で、これなら確かにオーバーシュートの語感に馴染む。オーバーシュートを最小限に抑えるような政策設計は重要な疫学課題の1つらしいので、専門家会議の関心事であることは確かだと思うが、感染拡大期の爆発的患者急増を指してオーバーシュートと呼ぶのは少々語弊がありそうである。

揚げ足を取るのは本意でないが、意味が曖昧なまま専門用語を流行らせない方がいい。「クラスターと呼ばれる集団感染が…」とニュースでよく報道されるが、「集団と呼ばれる集団感染が…」と言っているのと変わらない。新しい用語を使えば新しい概念を理解できるようになるわけではない。むしろ、誰にでも通じる言葉で説明できるかどうかが理解の証である、と確かリチャード・ファインマンが言っていた。

ついでに物理学者の名言をもう一つ。「誰も知らなかったことを誰にでもわかる言葉で語るのが科学なら、誰でも知っていることを誰にもわからない言葉で語るのが詩だ」と放言したのはポール・ディラックである(詩人の皆様ごめんなさい)。何はともあれ専門家会議は詩人会ではないので、要所々々で見慣れぬカタカナ語をぶち込むのは控えたほうが良いのでは。

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COVID-19自由研究その2 [科学・技術]

新型コロナウィルスが欧州と米国で感染拡大し、外出禁止令を含む異例の行政措置が各地で取られている。人の動きがあれば世界中にたちまちウィルスが広まるのは容易に想像できるが、国によって致死率にかなり差があることが明らかになりつつあり、その要因は自明ではない。国内外の感染者数と死者数の推移は、例えば日テレ系のサイト(データとグラフで見る「新型コロナウィルス」)が非常に見やすくまとめている。ただし一番知りたい致死率のプロットが示されていないので、自分で生データを掘り起こすことにした。本稿では、EUの専門機関ECDCのサイトが提供するデータを元に致死率を解析する。他機関のデータと見比べると数値が厳密には一致しないので若干不確実性はあるが(各日の集計のタイミングなどで誤差が出るのかもしれない)、大勢は動かないのでここでは問わない。なお、グラフの目盛りが小さくて読みづらい場合は(老眼が進んでいるのは私も同じです)、図をクリック/タップして拡大版を表示してほしい。

COVID19-China.PNG中国:震源地である中国の感染者総数(各日までの累積値)を棒グラフ(目盛りは左軸)で、致死率(死者総数÷感染者総数の百分率、右軸)を折れ線で示したのが右図だ。2月下旬から感染者の増加率が鈍り、3月に入るとほぼ横ばいになり、ニュースでも伝えられるように中国での感染状況は収束の様相を呈している。回復した患者数は集計に入っていないので、現実の感染者数は減り続けていると思われる。致死率は感染者数の収束後も緩やかな増加が見られるが、感染が確認されてから患者が亡くなるまでに一定の日数がかかる時間差が見えているものと推察する。今では致死率はほぼ4%に落ち着きつつあり、WHO報告書が示した中国全土の致死率(約3.8%)と整合的である。

COVID19-Italy.PNGイタリア:中国に次いで感染者の多いイタリアの統計がこちらだ。上図と同じく2月1日から3月19日までの期間のグラフだが、中国よりかなり遅れて感染が急拡大した様子がひと目で分かる(なお感染者数が少ない当初は致死率の統計ノイズが大きいので、感染者が100人を超えた日から致死率を表示している)。致死率もじわじわと増加を続け、現時点で8%程度のかなり高い値を示している。死者数はついに中国を超えたというが、イタリアで何が起きているのか?感染者増加が止まらない状況下で致死率が上がり続けるのは、収束に向かう中国と違って時間差では説明できない。高い高齢者率や医療インフラの脆弱性など、イタリアの社会構造に固有の問題が報道でも指摘されているが、歴史ある先進国でそこまで医療崩壊が起こっていることは少なからず衝撃である。

COVID19-SKorea.PNG韓国:イタリアに先立ち蔓延の危機が注視されていたのが、韓国である。データを見ると、2月下旬から3月上旬にかけて感染者数が急激に伸びたが、3月10日辺りから増加率が鈍っているようである。中国やイタリアと大きく異なるのは致死率の低さで、1%程度に留まる。医療が機能しているのだと思うが、韓国では速やかに広範な検査体制が敷かれたことで知られ、母数の多さが致死率を疫学的に妥当な値近くまで押し下げている側面もあるだろう。致死率はじりじりと上昇しつつあるが、中国のデータで見られたように感染から死亡まで時間差があるので、感染者増加の鈍化にいくらか遅れて致死率もやがて頭打ちになっていく可能性もある。

COVID19-Germany.PNGドイツ:あまり報道されていないが、注目すべきはドイツの統計である。3月に入ったあたりから急激に感染者数が伸びたのは他の欧州諸国と同じだが、致死率が0.2%から0.3%程度と圧倒的に低く、そこから値が跳ね上がりそうな気配もない。感染者総数は1万人に迫る勢いでお隣のフランスと変わらないが、フランスの致死率が2%前後で推移しているのに比べ対照的である。ドイツにも高齢者や有疾患者は大勢いるはずだから、医療体制が格段に優れているのか、ドイツ特有の疫学的要因があるのか、またはデータの集計方法に他国と違いがあるだろうか。背景情報が少ないので確信はないが、適切な社会インフラが整えば新型コロナの致死率は0.2-0.3%程度に抑えられるという証左ではないのか。

COVID19-USA.PNG米国:欧州でのアウトブレイクから一週間ほど遅れて米国で爆発的に感染が拡大し、感染者数がたちまち9千人を超えた。ただし致死率の推移が他地域と異なり、当初の高値からほぼ一方的に減り続けて今や2%を切った。国民皆保険制度が不備な米国ではとくに低所得者層で医療機関を敬遠する傾向にあり、軽症ではデータに上がってこないケースも多いだろう。推測に過ぎないが、新型コロナへの懸念が米国社会に広まってから当初見えていなかった軽症患者が続々と検査対象に入ってきたのであれば、分母が急に増えて致死率が下がったということもあり得る。しかし時間差を持って今後死亡者が増え始め、やがて致死率も増大に転じるという気がかりな可能性も否定はできない。

COVID19-Japan.PNG日本:最後に、日本の状況を振り返りたい。連日報道さているとおり、国内の感染者数は増加を続けているが千人に満たず(クルーズ船は含まず)、欧米の主要国に比べて一桁少ない。PCR検査件数が人為的に抑えられているので感染の実態を過小評価しているとの批判が根強い一方、国側は感染者数の統計は妥当であると反論する。ただし、この統計から算出される国内の致死率は3%に達しており、フランスや米国よりも高い水準にある。 COVID19-fatality.png本稿で触れた7カ国の致死率データの中では、日本のコロナ致死率は今やイタリア、中国に次ぐ高い水準に躍り出た(右下図の白線)。武漢を含む中国の致死率が4%程度であったことを思い返せば、3%は医療崩壊の兆候を疑われかねない数値だが、もちろん現時点で日本の医療システムは健全に機能しているから、感染者数の母数が実態を反映していないと考えるほうが自然である。検査対象をむやみに増やすのが望ましいとは全く思わないが、実際の感染者数は統計に上っている数値よりかなり多いことは間違いなさそうである。なお感染者数の増加率がここ数日鈍り始めているように見えなくもなく、それが収束の兆しだとすれば出口の光が見えたことになるが、なにぶんデータに見えていないサンプル規模が大きいので何とも断言しようがない。

まとめ:ニュースではイタリアやスペインなど感染拡大が深刻な状態にある国々に焦点が当たりがちで、それはそれで大事なことだが、対策のヒントとしては感染者が増えながら死者数が低い水準を保つドイツのような国からもっと情報収集するべきではないか。オーストリアやスイスも今のところ低い致死率を維持している。国境を接していながらゲルマン系の地域で致死率が低くラテン系の国で高いように見えるのは、気のせいだろうか?人と人との距離感が近く口角泡を飛ばして会話する人たちほど飛沫感染のリスクが高いのか、とか言いそうになるが文化的偏見に過ぎないと思うので、専門家にきちんとした分析をして欲しい。

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番外編:コロナを吹っ飛ばせ [音楽]

Etude-Coronavirus.jpg譜面の表題は、Jeff DePaoliさんという人のアレンジなる『Coronavirus Etude』とある。見たところ何やら現代曲っぽいが、「For Piano and Disinfecting Wipe(ピアノと消毒ウェットタオルのために)」の副題がヒントで、ピアノ弾きなら「ああ、そういうことね」とニヤリとする仕掛けになっている。鍵盤中央付近で汚れが気になったらしいあたりとか、妙にリアルだ。

譜面を読み込むと、ありそうで存在しない音楽用語がそこかしこに紛れていて、相当に芸が細かい。冒頭のcol Purello(Purellは消毒液のブランドなので「消毒液を使って」か)、三段目のCloroxissimo(Cloroxは漂白剤ブランドなので「最大限ピカピカに」くらいの意味か)、最後から2小節目のsenza infeczione(感染しないで)、など。仕掛けの白眉は最終小節のseccoで、打楽器等の残響を止めて音を鋭く切る指示として使われる実在の音楽用語だ。ただし、ピアノ曲の譜面で見たことはない。イタリア語でもともと乾燥を意味する言葉(ワインの辛口を意味することもある)なので、消毒後の鍵盤を乾かせという指示らしい。Youtubeを検索すると実演版もいくつか出てくるが、演奏よりも譜面を眺めることを想定されたと思われる、マニアックで奥ゆかしいジョークである。

新型コロナで笑いを取るとは不謹慎な、と眉をひそめる向きもあるかも知れないが、暗い世相だからこそ、ちょっとヤバめのジョークで陰鬱とした気分を吹き飛ばしたい。

追記(3/16):冒頭の「Molto Rub-ato」(テンポを自由に揺らして弾く指示)中のハイフンに引っかかりつつスルーしていたが、Rub(こする)を浮かび上がらせていることに今気がついた。

追記2(8/23):ピアノの鍵盤をアルコール除菌することは、ひび割れの原因になったりとご法度なので、実演はおすすめしない。

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シュールで楽しい科学コンテンツ [科学・技術]

scince_flask.png長い休校で暇を持て余している子供達のために、科学技術広報研究会(国立研究所や大学などの広報担当有志連合)が開設したまとめサイトがある。さまざまな科学教材動画を陳列したページで、片っ端からじっくり目を通せばかなり見応えがありそうだ。研究機関が自前で製作した作品はさすがにオーソドックスな科学番組が多いが、舶来品の吹き替えか国産かを問わずアニメ製作のプロが入ったエンタメ系シリーズも充実している。私がざっと眺めて気に入った動画の中で、とくに「これは・・・」と息を呑んだ異色作をいくつか紹介したい。

まずは、基礎生物学研究所が公開するプラナリアの切断・再生動画だ。プラナリアは小川の石の裏などに棲む小さな生き物で、顕微鏡で観察すると寄り目がちのつぶらな瞳が愛くるしい。動画ではこともあろうかプラナリアの胴体を躊躇なく3分割するので、可憐なルックスに萌えてしまった人にはいささか衝撃映像かもしれない。だが心配するなかれ、尻尾の破片からは徐々に頭が、頭の破片からは尻尾が成長し、やがて3匹の個体として再生する。全身に全能性幹細胞を持つプラナリアならではの芸当で、幹細胞といえばiPS細胞による再生医療や創薬研究がたけなわの昨今、時代の最先端を行く知る人ぞ知る隠れスターである。



自分でプラナリアを増やしてみたくなった人には、『Planarian Planet(プラナリアをバーチャルに切ってみよう!)』がおすすめだ。大型科研費・新学術領域「三次元構造を再構築する再生原理の解明」プロジェクトの企画のようで、PCやスマホの画面上で好きなだけプラナリアを裁断できるゲーム感覚のアプリだ。刻まれたプラナリアの再生過程や泳ぎっぷりのリアルさが絶妙で、地味ながらジワジワ来る非日常感がたまらない。成長が完了するまで多少時間がかかるのでしばらく放っておいたら、気がつくと画面いっぱい無数のプラナリアがうごめいていた。子供がハマって黙々とプラナリアを切りまくるのも良いが、やりすぎると精神の健康に影を落とさないか少し気になる。

研究機関とは一線を画す自由な着想で異彩を放つのが、日本科学未来館である。かつて企画展の一コンテンツとして発表されたという『整腸ラップ』がすごい。アニメをラップに乗せておけば若者ウケするだろうという安易な発想か、などと侮ってはいけない。家庭医学的な要素はもちろん、エンタメとしてのクオリティにも妥協を許さない見事な完成度である。便秘とか腸内環境に問題を抱える大人も、見ておいて損はない。ただし、タイトルから薄々想像されると思うが「Un! Chi-e」とか連呼されるので、食事時や満員電車内の視聴はあまりお薦めしない。



最後に、同じく日本科学未来館の問題作『フカシギの数え方』を紹介しよう。魔法陣のようなマス目のヘリを伝って左上から右下までたどり着く経路を数える問題で、2×2のマスなら12通り、3×3なら184通り、と次第に大きなマス目へと移って行く。たったそれだけなのだが、お姉さんが二人の子供を前に解説するのどかなシチュエーションに気を抜いてはいけない。やがて想像のはるか斜め上へ暴走を始めるまさかの展開に、度肝を抜かれるだろう。わざとリアリティを抑制した平面的な絵柄、次第に明るみになるお姉さんの底知れぬ狂気、何の前触れもなく挿入される脈絡不明の実写映像など、身近な数学の不思議をここまでシュールに昇華させた怪作を私は他に知らない。



科学技術広報研究会のサイトからは、国立天文台や科学未来館など広報部門の充実している組織にまぎれて、科研費プロジェクトによる個性的なアウトリーチ活動の健闘ぶりが垣間見える。個人的にはそのあたりが新たな発見であった。大人は大人でいろいろ勉強になるサイトである。

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COVID-19自由研究 [科学・技術]

science_shikenkan.png相変わらず、至るところ新型コロナの話題で持ちきりである。情報過多でノイズも多いので、メモ代わりに一度自分なりに整理してみることにした。もちろん医学や疫学の専門家ではないので、理解が正しい保証はない。素人の自由研究に過ぎないが、誰もが素人なりにいろいろ考えておくことが不確かな情報に振り回されないコツだと思う。信頼できる一次文献として、主にWHOと中国の合同調査報告書(PDF)を参考にした。

予防マスク:WHOの一般向け質疑応答コーナーは、症状(とくに咳)がある本人及びその看護人だけがマスクを着用すること、と念を押している。それ以外の人が予防目的でマスクを着用するのは貴重資源の無駄遣いである、とまで書かれている。国内でも専門家筋の見解は概ね同様だが、飛沫を吸い込むリスクは減るので一定の予防効果あり、という意見もある。マスクが無尽蔵に供給されればそれでいいかも知れないが、とくに日本は花粉症のシーズンと重なっており、ただでさえマスクの需要が高い。朝イチの薬局前に日々行列ができる品薄の状況では、予防マスクを奨励する正当性は弱い。政府がマスクを一括購入し重点配布するキャンペーンを始めたが、真に必要な人の優先順位を考えずバラまくのでは意味がない。

感染力:WHO報告書では、新型コロナは伝染力が強く拡散が早いと明記されている。感染力の指標である基本再生産数R0(一人の患者が二次感染させる人数の目安)は、報告書によれば2から2.5という「比較的高い」数値とされる(もう少し高い値を出している研究もある)。季節性インフルエンザのR0が2から3とされるので、同程度である。空気感染する麻疹などに比べれば感染力はずっと弱く、基本的に飛沫感染のウィルスなので手洗い消毒や1m以内(日本では2mとよく言われる)の接触を避けるといったインフルエンザと同様の予防法が有効である。ただし私たちがまだ免疫を持たない新型ウィルスだという点で、ワクチンが普及しているインフルエンザより注意が必要だ。

毒性:中国国内のデータを分析した2月20日時点の統計値によると、80%前後の患者が軽症ないし中程度の発症、残り2割近くが重症ないし重体であり、調査時点の暫定的な統計値として致死率は全体で3.8%、80歳以上に限れば致死率21.9%とある。只事でない数字だが、いずれも武漢を含めた中国全体の値であり、武漢を除いた統計では致死率は3.8%から0.7%まで下がる。同様に、重症者の割合も高齢者の致死率も、武漢以外では上の数値よりかなり低いものと推定される。目立つ数値は耳目を引きやすくメディアでもたびたび引用されるが、説明が足りないと数字が独り歩きする。

無症状感染者:WHO報告書によれば、無症状の感染者は稀で、一時無症状でも大抵は後に発症していた、とされる。非常に発症しやすいウィルスなのか、または一切発症しない感染者はそもそもデータに上がってこないのか、定かでない。WHOは前者の立場から、無症状患者が感染拡大に寄与する可能性には否定的である。いっぽう国内で、若者を中心に無症状患者が関与する感染拡大を問題視する情報発信があった。WHOと疫学的見解が分かれるようである。仮に無症状の感染者がWHO調査で見逃されていたいたとしたら、感染者の母数はもっと多いはずなので実際の重症化率や致死率は上述の統計よりさらに低いことになる。

医療崩壊?:ネット上で垣間見た武漢市の惨状が、新型コロナに対する恐怖心の背景にあるものと思われる。同じようなことが日本で起こりうるだろうか?インフルエンザを例にとれば、昨シーズンは罹患者が年間累計1000万人を超え3000人以上の死者も出たが、日本の医療は何事もなく機能していた。クルーズ船含め感染者が全国で現在約1000人、R0=2-2.5で致死率0.7%程度の新型コロナが、直ちに日本の医療インフラを麻痺させるとは考えにくい。未知の感染症に対応できる医療機関は確かに限られているが、新型コロナはだいぶ素性が割れてきており、毒性の強いSARSやらに比べれば大したワルではない。武漢市内は1月当初は致死率が20%を超えていたが、その後急激に減少し2月中旬には中国の他地域と変わらない低水準に落ち着いた(WHO報告書の図4)。ウィルスの毒性そのものがそれほど急に変化するとは思えないから、現地の医療事情の回復が状況を劇的に改善したようである。日本では感染拡大率を抑え医療のキャパシティを圧迫させないのがもっかの基本方針で、それは良いのだが、リスクの不確実性を誇張すると人々が不安に駆られて病院に押し寄せ、それこそ武漢の二の舞となる恐れがある。

一斉休校:交通事故を避ける最善策は、どこにも出かけないことである。論理は正しいが、本末転倒だ。同じように、全国民が家に引きこもれば感染は止まるが、社会機能も完全に止まる。完全封鎖か放任か両極端の間どこかに妥協点を見つけねばならず、単純な正解はない。落とし所の見極めは純粋に政治判断であり、現政権は長期休校の要請という選択肢を取った。WHO報告書によれば、子供(18歳以下)の罹患率は低く、全世代の感染者に占める割合は2.4%にとどまる。やや微妙な言い回しながら、聞き取り調査では子供から大人に感染した事例は確認されていないとあり、前代未聞の大規模休校の有効性を裏付けるデータはとくにない。そもそも、休校要請は国が自ら出した基本方針とすら温度差がある。基本方針は首相が音頭を取る間もなくたちまち社会に浸透したので、皮肉なことに政治判断の特色を売り込む余地がなくなった。穿った見方をすれば、首相のリーダーシップを印象づけるには、基本方針とは別路線へ突っ走る他なかったということか。つい先日は「なぜ今?」感の否めない入国制限措置(2週間待機ルール)を発表し、独自色がさらにパワーアップし異次元を飛行している感がある。

副産物:新型コロナへの懸念が高まって以来、季節性インフルエンザの患者数が頭うちになり、例年にない低止まりで推移している。手洗い消毒の徹底がインフル対策としても見事に功を奏したらしい。やればできるじゃないか、と誰もが思ったのではないか。あちこちの企業でテレワークが導入されつつあり、図らずも壮大な社会実験が進行しているかのようでもある。日本人は真面目なので在宅勤務を決心するのも勇気が要るが、欧米の仕事仲間には毎週1日在宅ワークだったり、それどころか在宅が基本で不定期に出勤する人も珍しくない。職種によって事情はそれぞれだが、テレワークも「やればできるじゃないか」と新たなライフスタイルの発見につながるかもしれない。

まとめ:新型コロナがさほど危険なウィルスとは思えないが、高齢者を中心に亡くなる方もおられるので、とりわけ集団免疫の効果が期待できない現段階では身近な予防策(手洗いなど)をこまめに行うに越したことはない。一方、トイレットペーパー騒動などデマに誘引される突発事象が起こり、メディアや政府はややもするとエビデンスの希薄な脅威を煽りがちだ。一番手に負えないのは、社会がパニックになって暴走することである。得体の知れないものへの恐怖はどんなウィルスよりも早く伝染し、際限なく増幅し、有効な免疫もない。人類にとって最も危険な伝染病の源は、私たちの心のなかにいる。

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