SSブログ

番外編:社会的距離 [社会]

virus_hanareru_figure1.png社会的距離すなわちソーシャル・ディスタンスとか最近よく聞くが、もともと社会学でsocial distanceといえば社会階層や宗教をまたいで人を隔てる抽象的な距離感のことを指し、飛沫感染を避けるために人と2~3mの間隔を空けましょうという文脈とはだいぶ違う。後者の意味ではsocial distancingというのが正しいそうで、この場合のdistanceは「距離を空ける」という動詞であり、間を保つというアクションに意味の重点がある。

さらにややこしいことに、social distancingという言葉の成り立ちは一見「social distance(=社会的距離)を取ること」のように見えるが、実際は「socialな意味で (=社会的な場で)距離を取ること」である。前者だと社会の分断を拡大させるような妙な意味合いになりかねないので、今ではWHOなどが「physical distancing」を使うよう呼びかけている。感染で問題になるのは物理的な距離の近さであって、困難な時勢にあって人と人を結びつける心理的な距離はむしろ近くていい。

日本語でなんと呼べばいいのだろうか?「物理的距離」では身も蓋もない。「フィジカル・ディスタンシング」ではちょっと舌を噛みそうである。まあ普通に「あいだ空けて」と言えばすみそうだが。

共通テーマ:日記・雑感

コップに水が半分 [科学・技術]

「東京で新たに〇〇人の感染者が出ました、これで9日連続で100人を超えています」という報道をよく耳にする。感染者数が3桁か2桁かという違いに何の必然性もないので(たまたま私たちが10進法で物を数えるから100がキリ番になるだけ)、9日連続という分析もまるで意味をなさない。逆に「4日連続で150人を下回りました」というような言い方もできるはずだ。データは同じなのに、言い方次第でメッセージが全然違う。コップに水が半分しかないと嘆くか、半分も残っていると喜ぶか。メディアは外出自粛に引き締めを呼びかける責任を感じているのか、コロナ報道に関しては悲観的な物言いを好むようである。

緊急事態宣言がGW明けに解除されるのか延長されるのか、政府の判断に注目が集まっている。あと2週間弱でコロナが消えて無くなるとは誰も期待していないと思うが、せめて感染拡大のペースは鈍ってくれていないものか?連日100人越え、などと日々聞かされ続けるが、感染者100人が100人増えて200人になるのと、1000人に100人足して1100人になるのでは、同じ100人増でも100%アップと10%アップで実態はかなり違う。医療機関の収容能力に照らすなら感染者の絶対数が肝心だが、感染拡大の実態把握には新規感染者を感染者総数で割ったパーセンテージ(感染拡大率)のほうが相応しい指標である。数学的には、感染拡大率は感染倍化時間(感染者が倍増するのにかかる時間)に反比例する(倍加時間=ln2÷感染拡大率)。

これまでも何度か見てきたが、直近の傾向を含めた感染拡大率(5日移動平均と元データ)の推移は図のようになる(これまで同様データ源はここ)。COVID19-growthJpn0425.png元データ(点線)は統計が曜日にも影響されるので波があるが、平滑化すればおよそ10日前から感染拡大率が10%から4%まで顕著に減っており、感染拡大の鈍化は明らかだ。この期間で感染倍加時間は約7日から約17日に改善した計算になる。なおこのデータは新規感染者の増加率であって、罹患から回復した「一抜け」患者数は加味されていない。回復率を差し引いた正味の感染拡大率はさらにゼロに近いはずであり、拡大鈍化が順調に続くなら感染拡大から縮小へ転じる日はそれほど遠くない(と先週も書いたが、この「拡大鈍化が続くなら」が実現するかがミソである)。

米国では無作為抽出の抗体検査が始まっており、カリフォルニア州の調査では人口の約2%から5%前後の人に感染履歴があるとされ、ニューヨーク州ではその値が14%(ニューヨーク市内に限れば21%)に上ると発表された。PCR検査で確認された感染者数の何十倍にも上る数値であり、これが正しければ膨大な数の感染者が見過ごされていることになる。抗体検査の精度には疑問の声もあり、また偽陽性の影響もあるかと思うので、いくらか過大評価かも知れない。だがPCR検査では無症状感染者の大部分は検査対象に上がってこないので、(私の自由研究でもずっとボトルネックだったのだが)検査陽性者の背後に見えていない感染者が相当数いること自体は間違いない。その意味でも、PCR検査で一日〇〇人陽性という数値に惑わされない方がいい。母数で割った拡大率のほうが、感染の実態を(完璧ではないにせよ)より的確に捉えている。

専門家会議によれば、緊急事態宣言の延長を判断する基準として(1)新規感染者数の増減(2)接触八割減の達成度(3)医療の逼迫状況の3点が重視されるという(東京新聞)。(1)については、感染拡大は続いているがそのペースは着実に落ち着きつつあることを上で見た。(2)についてだが、人出8割減と接触8割減の意味が混同されていることを先日指摘した。人出が6割減れば接触は8割以上減っている可能性もあり、人出8割減を判断条件とするのは高めのハードルである。穿った見方をすれば、専門家会議はその辺りの混同を黙認(利用)しているのかもしれない。現実の状況としては(3)が一番深刻ではないかと思う。

GW(誰だったかガマンウィークと呼んでいた)明けに緊急事態宣言が解除されるのか?まず無理だろう、という悲観論が大勢を占めているようである。客観的な現状分析に基き延長がやむを得ないなら仕方ないが、こんなに頑張ってるのに何も好転しないのか、と暗鬱な思いに沈む人も多いだろう。地元の商店街が買い物客でごった返しているとか、湘南で県外ナンバー車が渋滞を引き起こしているとか、テレビを点けるたび自粛の緩みを連日叱られている気分だ。でも多くの人は接触減に努力しているし、それはきちんとデータに表われている。「ステイホーム」キャンペーンが長期化するしないは別として、皆さんよく頑張ってますよ、というメッセージがもっと飛び交ってもいいんじゃないか。

共通テーマ:日記・雑感

番外編:みんなに10万円 [政治・経済]

money_genkin.png国民一人当たり10万円が支給されることになったらしい。麻生財務相が不満げに「富裕層は辞退するのでは…」みたいなことを口走ったせいで、生活に困窮していない人が受け取るのは信義にもとるかという雰囲気が微妙に漂っているようである。一方で、10万円が不要だったら受け取って寄付すればよい、という提案が出ている。または(今は行けるところが少ないが)どんな形であれ消費に貢献すれば経済再生につながる、という意見もある。

要は、国家予算のうち一人あたり10万円の使途が国民の裁量に戻され、各々世の中の役に立つよう考えて使っておくれ、という趣旨だと思えばいいのではないか。自分自身が経済援助を必要としていれば、もちろん生活の糧にすれば良い(人は誰しも「世の中」の一部だから)。そうでなければ、医療支援なり思い思いのところに寄付しても良いし、身近で困っている家族や友人のために使ってもいいし、感染が鎮まった頃に旅行でも飲食でもコンサートでも映画でも内需拡大に貢献してもよい。

受け取り辞退は、誰にとっても得るものがない。国民一律に支給することを前提に補正予算が組まれたわけだから、辞退で発生する余剰分が何に使われるのか不透明だ。閣僚や与党議員は「国民の共感を得られるように」申請しないとかもごもご言っておられるそうだが、こういう機会だからこそ堂々と受け取った上で銘々の考え方に沿って誰かを支援するのが、内閣や議員としての矜持の示し方ではないか。国民の共感などと世間の風当たりばかり気にしているより、よっぽどいい。

共通テーマ:日記・雑感

COVID-19自由研究その4 [科学・技術]

緊急事態宣言がいきなり全国展開し、日々積み上がる感染者数や死者数がますますメディアで飛び交うようになった。しかし、ナマの数値を咀嚼しないまま飲みこんでは消化に悪い。漠然とした不安が膨らむだけで、滋養にならない。数字に意味を与えるべく、素人なりにデータを睨み続けた自由研究の第4弾である。今回は国内における過去一ヶ月余りの動向を掘り下げたい。先週の第3弾と同じく、東洋経済ONLINEが集計した厚労省データを活用した。

「症状のある感染者のうち約80%が軽症から中等症・14%が重症・6%が重篤」という中国の2月時点の調査結果を未だに引き合いに出す専門家がおられるが、日本の現状ではどうか?COVID19-mortalityJpn.png図の青線が総感染者数に対する重症者数の割合の推移だ。ここで言う重症者とは人工呼吸器または集中治療室で治療中の患者を指し、重篤者を含んでいる。2月末から3月初旬は最大10%程度まで上昇したが(グラフ枠外)、ひと月前からは5~6%から2%程度の間で推移している。検査陽性の多くは有症者なので(そもそも無症状では濃厚接触者でない限り検査対象にならない)、20%が重症ないし重篤という数字は日本の実態に比べると過剰のようである。PCR検査対象にならなかった疑い患者のうち一定数が罹患しているとすると、その数を分母に加えれば実際の重症者率はさらに低いはずだ。とは言え、医療体制が逼迫している現状に変わりはない。

致死率(総感染者数に対する死者数の比率、緑線)は3月中旬にピークを迎え、その後下がってここ一週間ほどで底を打っている。一方、感染拡大率(総感染者数に対する一日当たりの新規感染者の割合、白線)は致死率の山型カーブをひっくり返したパターンである。この理由は先週触れたとおり、感染がわかってから病状が悪化し亡くなるまでの時間差を反映した統計効果として説明できる。すなわち、感染拡大が鈍りつつあるフェーズでは、死者数が少し前の急拡大の記憶を引きずっているため致死率を大きく見せ、逆に感染拡大が加速しているとき致死率は減っていく。そのため、感染拡大率と致死率は増減傾向があべこべになる。重症者率のカーブも致死率と似た増減パターンを辿っているが、やはり感染拡大率を逆転させた傾向として説明できる。ただし、減少が始まるタイミングや底打ちのタイミングをよく見ると、重症率が致死率よりわずかに先行する。重症化から死亡までの時間差が見えていると思われる。

3月下旬に加速傾向にあった感染拡大率は、4月に入った辺りから頭打ちになり、4月12日前後から感染拡大が鈍り始めた。感染実態が検査に現れるまで時差があるので、4月7日に出された7都府県対象の緊急事態宣言の成果と見てよいか、今のところ微妙か。ただ、感染拡大率が12日時点で10%、16日で6%と、直近では一日1%程度減のペースで感染拡大率が収まってきているので、直線的に外挿すれば4月22日以降感染拡大は縮小に転ずることになる。単純な希望的観測ではあるが、4月7日から2週間後にピークアウトという目標は、とりあえず視野に入ってきたのではないか。

さて、上で述べた時間差の統計効果を確かめるため、簡単な検証をしてみよう。推定致死率をf、陽性判定から死亡までの遅延をt日として、致死率シミュレーションを「f ✕(t日前の総感染者数)÷総感染者数」と計算する。COVID19-mortalityJpnSim.png図にf=5%(破線)と3%(点線)について遅延を7日と仮定したシミュレーションを描いてみると、実際の致死率(実線)はちょうどその狭間を推移する。目分量で試行錯誤したところ遅延7日が実測カーブのピークによく合ったので、新型コロナによる死者は検査陽性から平均的には一週間ほどで亡くなるものと推定される。3月中旬から3月末まで推定致死率5%の曲線にぴたりと沿っていたが、4月から少しづつ下方にシフトし現時点は3%曲線上にある。シンプルに解釈すれば、今月に入って致死率が改善してきたことになる。

ただ、そもそも感染者数の統計がPCR検査に依存しており未検査の感染実態が見えていないので、依然として確たることは何も言えない。検査が拡大して分母が膨らみ、致死率が減少して見えているだけかも知れない。国内のPCR検査はキャパの限界に近づいていると言うし、患者を受け入れる医療体制は既に限界を超えつつある。検査能力を拡張できるスピードは、市内感染拡大の速さにとても追いつけていないのではないか。データで直接見えない感染実態を大雑把にでも推測する方法がないものか、色々考えているがまだ答えが出ていない。

共通テーマ:日記・雑感

番外編:すべる首相 [政治・経済]

figure_dance.png安倍首相に共感を覚えることはあまりないのだが、最近少し気の毒に思えてきた。やることが派手に滑りがちである。星野源の『うちで踊ろう』にかぶせた「コラボ」動画が物議を醸しているが、もともと育ちが良いせいかソファでお茶を嗜む姿がハマり過ぎてしまったようである。たしかに政府のコロナ対策は機動性と即効性に難があるとは言え、安倍総理は基本的に生真面目で勤勉な人だ。首相が週末に自宅でくつろぐ一コマを糾弾しようとは思わないが、ノリが悪すぎるところには違和感がある。芸能人が上げるコラボはたいてい一緒に歌ったり踊ったりジャム感満載なのに、首相の動画は一切音楽とシンクロせず、セッションする気がまるでない。そのせいで、隣で歌う星野さんを意図せずディスっているような仕上がりになってしまったことが、見ていてイラッとくる最大の原因じゃないか。もっとも、歌い踊る首相を見たかったかと聞かれれば、微妙なところだが。

アベノマスクも問題の本質は同じだ。品薄の現状を憂いてマスクを全世帯に配布する意気込みまでは良かった。一律2枚という不可解な方針も、無いよりはマシだから無駄ではない。最大のがっかりポイントは、なぜ今どき街角で見かけることがめっきり減った「給食当番マスク」なのか、ということだったと思われる。マスクは眼鏡と同じで顔の一部だ。いくら洗って再利用できても、いやむしろ繰り返し使うならなおさら、お仕着せにレトロすぎるマスクが送られてきてもテンションが上がらない。小池都知事がこれみよがしに可愛い系の手作りマスクで会見に登場すると、ああここでも差をつけられたな、と皆ひそかに思っているのではないか。

どこの職場にも、渾身のジョークがすべって寒い空気を醸成してしまう残念な上司がいる。悪い人ではないのだが、何かが救いようもなくズレている。総理に適切な助言をするスタッフが官邸にいないのか、いても耳を貸さないのか。いずれにせよ、最近何だか気の毒である。

共通テーマ:日記・雑感

番外編:8割減? [科学・技術]

virus_hanareru_figure_stand.png人との接触を8割減らしなさい、と言われている。非常事態宣言のあと都心の人出が週末は8割減ったが平日は6割減、これではまだ足りませんね、といった分析が報道番組が盛り上がっている。でも、人出の8割減と接触の8割減って、ちょっと違うんじゃないか。人と人が接触する頻度は、人口密度の2乗に比例するはずだから。

例えば、人口100人の集落があったとしよう。話を簡単にするため、みな独り暮らしで自宅では人と接触がないとする(家族はいずれにせよ人数が限定されているので話の本筋は変わらない)。春の陽気に誘われて全員が出歩けば、散歩の道中で各々約100人と出会うことになる(正確には99人だが、これも本筋に関わる誤差ではないので気にしない)。ところが自粛要請が出て、翌日は半分の50人だけ外出したとする。すると集落人口の半数は約50人と出会うが、あとの半数は家にこもっているので誰とも顔を合わせない。すると村全体では、接触50人と0人が同数いるので1人あたり平均25人と接触する計算になる。つまり人出が二分の一になれば、人との接触機会は四分の一に減る。もし6割減の40人だとすると、集落の40人が約40人と出会う一方、在宅の60人は一切接触がないので、一人あたりの平均接触人数は(40x40+0x60)÷100=16人となる。100人が16人まで減るので、84%減だ。人出が6割減れば、人との接触は8割以上減っているのである。

もちろん、現実はそれほど単純ではない。都心に出るのをやめた人が、みな家にこもっているとは限らない。とは言え、接触8割減と人出8割減では8割の意味が本質的に違う、ということは一応心得ておいた方がいい。数字は嘘をつかないが、読み方を誤れば人は容易に数字にだまされる。

共通テーマ:日記・雑感

番外編:これは戦争ではない [社会]

緊急事態宣言を出したときの総理もそうだったが、ウィルスを「見えない敵」と形容する人がいる。よく考えると奇妙な比喩だ。敵と言えば必ず悪意を持って襲ってくるものだが、ウィルスに悪意も善意もなく、その意味で自然災害に近い。時に多くの犠牲者を出す地震や台風を「敵」と表現する人はいない。なぜウィルスだけを敵視するのか?

感染病は震災や気象災害と違い、被害の程度や広がりが人間の行動に大いに左右される。だから、政府が社会活動を大規模に制限せざるを得ない。その時、ウィルスを自然災害と見るより仮想敵と位置づけたほうが、人心引き締めに効果が高い。外敵の脅威がすぐそこに迫っているとき、人は進んで結束するからだ。フランス大統領は演説で(公衆衛生上の)戦争を宣言し、アメリカ大統領はもっと露骨に自らを戦時の大統領になぞらえた。

シュタインマイヤー・ドイツ大統領が、イースター(キリスト復活祭)にあたり国民へビデオ・メッセージを発表した。新型コロナ拡大に立ち向かう覚悟を呼びかける点では他の国家元首と向いている方向は同じだが、一つだけ違ったのは「これは戦争ではない」と明言したことだ。戦争は国と国との争いだから、戦時に人々は強い国家を望み、その統制のもとに集結する。しかし感染症は国を区別しない。シュタインマイヤー大統領のメッセージは、自己中心的に閉じていく社会と人道的に開かれた社会との二者択一を迫り、国境を超えた自発的連携を私たちに呼びかける。

ドイツの大統領は、政治的な実権を持たない。かつてワイマール憲法のもと絶大な権力が与えられた大統領制がナチの暴走を許した歴史的反省から、第二次大戦後は権限が大幅に制限され半ば象徴に近い国家元首である。だからこそ、いかに未曾有の感染症から人々を守るためとは言え、戦時を騙って人心を掌握することに異を唱えたのかもしれない。英語の副音声を当てたDWニュースの動画が視聴できる(残念ながら日本語版は見つからなかった)。



共通テーマ:日記・雑感

COVID-19自由研究その3 [科学・技術]

新型コロナ陽性件数に感染経路不明の割合が増えています、と最近よく聞く。裏を返せば当初は陽性患者の感染経路を全て把握できていたことになるが、そもそも経路が見えた人を中心に検査に回していたのだから、当然と言えば当然だ。集団感染者(クラスター)を丁寧に辿って感染拡大を封じ込めるというのが日本の対策で、水際作戦として成功すれば効率的だが、調査のマンパワーが限界を超えればいずれ立ち行かなくなる。最近になって経路不明の感染が広がり始めたと言うより、もともと見ていなかった感染実態がようやく視野に入ってきた側面もあるのではないか。夜更けの暗闇で鍵を失くした酔漢が街灯の下ばかり無為に探し回る例え話があるが、クラスターという灯りを追っていれば鍵が必ず見つかっていたフェーズは、既に過ぎていたのかもしれない。

3蜜が爆発的感染拡大の温床だということは散々聞いたのでよくわかったし、集団感染の事例ごと接触者の洗い出しに地道な聞き取りを続けてきた努力には頭が下がる。だが、クラスター潰しを積み重ねれば事態を掌握できるという専門家の希望的観測と、経済的ショック療法に慎重な政府の思惑が何となく共鳴してしまい、緊急事態宣言がここまで遅くなったと言うのは邪推が過ぎるか。「ここ1、2週間が瀬戸際」と言われてから優に1ヶ月が経ち、「ギリギリ持ちこたえている」状況が連綿と続き出口が見える気配は薄い。見せ場をCM前後で引っ張り続ける昼ドラのようである。

中国や欧米で起こった悲劇が日本にも迫っているのではないか、とよく危惧される。以前このブログで各国の致死率(総感染者数に対する総死者数の比)の推移を比較したが、直近のデータで改めて現状を見てみたい。COVID19-mortality.png国内の統計は東洋経済ONLINEが厚労省の報告を集計したデータを、外国についてはECDC提供のデータを用いた。右図は3月1日から4月8日まで7カ国分のプロットである。じりじりと上昇を続け12-13%に迫るイタリアの致死率はここ一週間くらいでようやく減速の兆しが見えたが、少し遅れてフランスと英国が追いつかんばかりの勢いである。よく知られるようにドイツの致死率は現時点でも2%に満たない低水準に留まるが、よく見ると少しずつ上昇傾向が続いている。いったん1%近くまで低下した米国の致死率は3月下旬から緩やかな増加傾向に転じ、今では3%を少し超えた。日本はと言うと奇妙な凸凹カーブを描いて一時4%近くに達したが、東京の感染急拡大が見え始めたあたりから致死率は減少を続け、2%程度に落ち着きつつある。

日本の致死率低下については最後に論ずるが、この日本の減少カーブは特異で、他のどの国も遅くとも3月後半には感染拡大と並んで致死率が増え続け現在に至る。致死率上昇を単純に解釈すると、感染者全体の増加率より死者数の増加率が早いことを示唆し、不穏な兆候に見える。しかし、陽性判定が出てから重篤化して亡くなるまでに多かれ少なかれ時間がかかることを突き詰めて考えると、致死率の上昇はむしろ統計的に必然の帰結かと思い至った。よく倍々で感染者が増えると脅かされるが、諸外国では各国の対策の成果もあってか感染拡大のスピードは徐々に鈍りつつある(後述)。しかし死者数は少し前の記憶を引きずるので、分子(死者数)は分母(感染者数)より増大鈍化が絶えず遅れる。最終的に感染拡大が止まるまで、このずれは続く。ちょっと粗っぽいが短い数学的解説も用意したので、ご興味のある方はこちら(PDF)を(高校数学の基礎知識で十分)。

感染拡大率(一日あたりの新規感染者数を総感染者数で割った値をこう呼ぶことにする)の推移をプロットしてみると、興味深いことがわかる。COVID19-growth.png新規感染者数は日によってばらつきが大きいので、(軽く移動平均をかけているものの)分母が小さいうちは統計ノイズが目障りだが、全体として欧米諸国はいずれも減少カーブすなわち感染拡大の緩やかな鈍化傾向が見られる(とくに3月下旬以降はっきりしてくる)。減少カーブはどの国も似ていて、注目すべきはドイツの感染拡大率がイタリア・フランス・英国のカーブと仲良く並んで推移していることで、致死率で見られた対照と様相がかなり違う。つまりドイツは他の欧州諸国並みに感染拡大が速いにもかかわらず、顕著に低い致死率を堅持している。ドイツが世界トップクラスの検査件数をこなしている背景もあるかと思うが、(先週も触れたように)医療崩壊を防ぐ独自の取り組みが功を奏しているものと思われる。同じく戦略的に医療崩壊の危機を回避した韓国は、3月中旬には感染拡大率がゼロに近いレベルに低下し、収束に向け一歩先んじているようである。

さて日本の感染拡大率の推移を見ると、3月いっぱいは欧米諸国に比べてかなり低い水準を維持していたことがわかる。感染拡大率は定義上R0(1人の患者が感染させる人数の目安)と連動している。専門家会議(PDF)が算出した東京の3月下旬のR0は1.7で、海外の調査で出ている2.5といった数値を下回っており、実際に日本の感染拡大は諸外国に比べ遅い。3月初旬から中旬にかけて拡大率はいったん減少傾向にあるが、3月後半から再びじわじわと上昇を始めた。この逆さ富士グラフは基本的に致死率の山型カーブをひっくり返した形であり、上で述べたように陽性判定から死亡までの時間差が生み出す統計効果として説明がつく。

上図で示した7カ国の中で、3月下旬から4月にかけてなぜか感染拡大率が上がり続けている唯一の国が日本である。4月に入って拡大率が一日当たり10%に達し、感染拡大が鈍化してきた欧米諸国を逆に凌ぐかという勢いだ。それでも日本は欧米主要国に比べ感染者の母数が桁違いに少ないので、新規陽性の絶対数は多くないが、感染拡大率が増すということは指数関数的増加が加速しつつあるわけで、都知事が危機感を募らせるのには相応の根拠がある。感染拡大の原因が自粛疲れの緩みなのか、検査数の広がりでそう見えているだけなのか今後検証が必要だが、その見極めを含めて緊急事態宣言の効果が今後どうデータに現れてくるか注視したい。

共通テーマ:日記・雑感

番外編:専門家グループ三態 [科学・技術]

テレビで新型コロナを解説する医療や疫学の専門家には、少なくとも3つのグループがあるようである。

figure_presentation.png一つ目は、専門家会議や自治体諮問委員の当事者。施策に影響を及ぼす立場におられるので、政府や地方行政の動きの科学的根拠を知りたい時に頼りになる。ただし、一斉休校の時のように専門家が提言しなかったことを突然首相がぶち上げたりすると、立場上全面的なサポートも真正面の批判もできないので、急に歯切れが悪くなる。専門家会議が「アベノマスク」をどのように見ているのか、一度本音を聞いてみたい。

二つ目は、行政のアドバイザーではないが報道番組に毎日のように登場する専門家だ。おそらく番組の台本やパネルの監修を務めながら、キャスターの解説にお墨付きを与える役目を果たしている。報道番組は(生放送の宿命と思うが)予定調和を優先する傾向にあり、立ち位置を心得て既定路線を逸脱しない専門家が重宝される。その対極にあるのが、討論系バラエティに出没する第三のグループだ。予定調和より場を盛り上げる人材が求められるので、時々突拍子のないことを言い出すちょっとエキセントリックな「専門家」もおられる。信憑性が定かでない語りも飛び出すが、安全運転指向の正統派解説では出てこない視点が発想の転換に役立つこともある。

メディアが専門家に望む解説が、科学的に正鵠を射ている保証はない。いくら「今まで経験したことのない怖い感染症ですね」というコメントが欲しかったとしても、そんな個人的経験値に過ぎない悲観的心象を専門家が口走れば、視聴者の不安が増すだけだ。俗説に流れずしかし奇をてらわず、プロの視点で状況を鋭く分析し噛み砕いて説明してくれる専門家が頼もしい。第二グループと第三グループの狭間にいるくらいの方が最も信頼できるように思う。個人的には、久住英二医師のファンだ。落ち着いた口調の中にちょっぴりユーモアを交えた語りがわかりやすく、どんな質問にも聞き手の意図を瞬時に汲んで答える知的反射神経が冴え渡る。何より専門家としての視点がブレないので、あやふやな常識にも挑発的な質問にも足を取られない。科学者として学ぶべきところが多い。

共通テーマ:日記・雑感

心の免疫 [科学・技術]

まずは虚心坦懐に次の文章を読んでほしい。

…私は反射的に神戸市保健所に駆けつけたのですが、深夜の保健所は全職員が出務し、マスコミまでが入り乱れ騒然とした場面は今でも明確に私の脳裏に残っています。12時間後、当院は神戸市内で第一号の発熱外来を立ち上げ24時間体制で疑い患者さんの受け入れを開始しました。感染症病床(1種2床、2種8床)は半日で埋まり、24時間後には感染拡大期に使用する最大の病床数であった36床を超え、感染症病棟を埋め尽くす勢いで患者さんは増加し続けました。48時間後には患者さん受け入れのために確保していた病床をも占拠し、一般の患者さんが入院している病床にまであふれそうな勢いになりました。…

hospital_gyouretsu.pngこれはフィクションではない。ただし、新型コロナの話でもない。神戸市立医療センター中央市民病院が発行する広報誌「しおかぜ通信」平成21年6月の特集号、当時感染拡大が懸念されていたH1N1新型インフルエンザの対応にあたった医師のコラムである。10年以上前にここまで緊迫した状況が国内で起こっていたことを、ご存知だっただろうか?私は全く知らなかった。上の文章の続きは『5月17日、厚生労働省、神戸市保健所などと協議し、軽症例は在宅での治療に切り替える方針が出された事により、医療体制の崩壊は寸前のところで回避されましたが、以降も増え続ける発熱外来の患者さんに当院は24時間体制で診療に当たってきました』とある。とても教訓に富んでいる。

2009年の新型インフルエンザはずっと昔に流行したウィルスとほぼ同型で高齢者に免疫があり、それも医療崩壊を阻止できた背景にあったのかもしれない。もともとこのコラムにたどり着いたきっかけは、季節性インフルエンザでなぜ医療崩壊が起きないのかという素朴な疑問であった。季節性インフルエンザ由来の疾患で亡くなる人は国内で年間推計1万人、世界で25万から50万人とされる(厚労省サイト参照)。新型コロナの現時点の死者数よりずっと多いにもかかわらず、季節性インフルエンザが先進国の医療崩壊を起こしたことはない。したがって武漢やイタリア北部で起きた(そして今ニューヨークで起きつつある)問題は、単純に重篤の肺炎患者が急増して医療のキャパシティを圧迫したからとは考えにくい。風邪やインフルエンザと違う「新型コロナウィルスの怖さ」は、無症状や軽症の患者が多い反面いったん肺炎が重症化すると進行が早いという毒性の二極化だ、と最近よく言われる。前者が無自覚に感染を拡大し後者の患者を増産している、というシナリオだ。この仮説について少し考えたい。

二極化の根拠として、専門家会議が発表した「症状のある感染者のうち約80%が軽症・14%が重症・6%が重篤」なる数字がメディアで注目される。感染者の8割は風邪程度の症状でも2割は絶対に入院なんです、と力説する専門家もいる。警鐘を鳴らす心はわかるが、そんな二重人格のようなウィルスの特性が医学的に説明できるのか?(できるのかも知れないが今のところ答えが見つからない)そもそも、専門家会議の挙げる数字が国内の感染実態を踏まえた分析なのかはっきりしない。と言うのは、この数値はWHOと中国の合同報告書(PDF)の結論(mild to moderate 80%, severe 13.8%, critical 6.1%)にピタリと符合するので、これをそのまま引用している気配があるからだ。WHO報告書は武漢を含む中国の2月下旬における調査結果であって、致死率が10%を超えたイタリアは重篤6%では済まないはずだし、逆に致死率が1%弱のドイツなどでは重症・重篤者の比率はもう少し低いと考えるほうが自然だ。重篤化率や致死率は、ウィルスの毒性だけでなく医療体制ふくむ各国の社会状況にかなり左右される。

コロナ致死率の高い国々で、医者や看護師への感染が深刻化していると伝えられる。イタリアでは60人以上の医師が新型肺炎で亡くなり、スペインは感染者の1割以上が医療従事者だと報道された。本来医療機関は院内感染に入念な防止策を取っているはずで、季節性インフルエンザなら医療従事者はみなワクチンを打っているだろうし、簡便な検査キットが普及しているので患者の特定がルーチン化している。しかし新型コロナは、実態がつかめていなかった初動段階で院内感染の防止対策が遅れた国が多かった。インフルエンザと違って誰も抗体を持たずワクチンもないから、その意味で医療スタッフは丸腰でウィルスに立ち向かう他ない。しかも抗生物質が効く細菌性肺炎や治療薬のあるインフル起源のウィルス性肺炎と違って、新型肺炎は重症化すると有効な治療の手段が尽きる。もともと病院は、さまざまな病因で抵抗力の低下した患者が集まる場所だ。罹患した医療従事者を介していったん感染が広がれば、気がついた時には病院全体が治療不可能な肺炎患者であふれかねない。

医療崩壊が起きてしまった国で致死率が跳ね上がるのは、市内肺炎の患者が爆発的に増えた結果のように見えていたが、むしろ制御不能に陥った院内感染の連鎖が死者を大量生産しているのではないか。そう考えると、社会全体では新型肺炎で亡くなる数は(一般の肺炎死亡者数と比べ)必ずしも多くないにもかかわらず、医療施設が未曾有の機能停止に追い込まれた謎に説明がつく。対策として病床数確保のようなハード面の整備も大事だが、その大前提として医療現場の感染防止とそのための行政支援が不可欠と思われる。韓国は軽症者を収容する施設を病院外に作り、ドイツはホームドクターが患者と病院の仲立ちとして機能していると聞く。見えざる感染源となる軽症患者を病院から遠ざけた国が、深刻な院内感染の端緒を断つことに成功し、結果として新型コロナ致死率を低く抑えている。

日本は(本来の意図は何であれ)コロナ検査対象を戦略的に絞っており、実際の感染者は間違いなくもっと多いが、結果として感染者が無自覚に外を歩き回ることはあっても医療機関に押し寄せたりはしない。つまりウィルスを(仮に社会から隔離できなくても)病院から締め出すことで、新型肺炎の犠牲者数をかろうじてコントロールできている。しかし東京を中心に陽性患者が急増しており、院内感染事例もちらほら出ている。軽症・無症状感染者を医療機関がむやみに受け入れ院内感染の暴走を許す事態だけは、絶対に避けなければならない。さもないと、日本もイタリアと同じ道を辿ることになる。

冒頭で紹介したコラムは、2009年新型インフルがやがて季節性インフルエンザの一つとして定着することを予想し(実際そうなった)、緩やかに集団免疫を獲得した社会がウィルスを怖がらずに受け入れることを説き、それを「心の免疫」と呼んでいる。新型コロナも、いずれ同じように季節性のウィルスとして末永く付き合っていくことになるかも知れない。これを最悪のシナリオと呼ぶ人もいるが、その時までには多くの人が罹患して免疫を持ち、やがてワクチンや治療薬も開発され、医療崩壊のリスクは大幅に低下しているだろう。院内感染の負の連鎖が解かれて重篤患者が減り、また現在は統計に現れていない未検査の感染実態が最終的に把握されれば、新型コロナの致死率は今の数値より必ず下がる。結局ウィルス本来の毒性は季節性インフルエンザとさして変わらなかった、というオチもあり得る。今後数週間や数ヶ月で何が起こるにせよ、現実を冷静に分析し将来を見据えることが大切だ。気持ちを前向きに整えるため「心の免疫」がきっと役に立つ。

共通テーマ:日記・雑感