SSブログ

全日本フィギュア 音楽雑感 [音楽]

sports_ice_skate_shoes.png全日本フィギュアスケートの男子シングルで、今季初めて試合に出場した羽生結弦選手がぶっちぎりのスコアで優勝した。史上初の4回転アクセル成功なるかにばかり話題が集中したようだが、個人的には今の羽生選手の凄さは音楽的センスの鋭さだと思う。演技の所作一つ一つが、秒単位で音楽とピタリと合う。素人にも、これがいかに凄いことかは想像できる。ジャンプの踏み切りにタイミングを合わせていけば、1、2秒くらい曲に置いていかれることもあろう。相当なレベルのスケーターでも、「なんとなく」音楽に合わせてくる方が普通だ。しかし、去年くらいからか羽生選手はほとんどそのブレがないから、音楽に寄り添い綿密に練られた振付の意図がひしひしと伝わる。彼の演技が観客の心を打ついちばんの源は、そこにあるのではないか。

羽生選手は、ショートプログラムの楽曲にサンサーンスの『序奏とロンド・カプリチオーソ』を選んだ。清塚信也さんが書き下ろしたというピアノソロ版で、華やかでかっこいい。もともとはサンサーンスがサラサーテのために書いたヴァイオリンと管弦楽の曲で、ビゼーが編曲したピアノ伴奏版も有名だ。ドビュッシーはこれを2台ピアノ用にアレンジしているから、作曲家の創作意欲を刺激する何かがあるのかもしれない。ピアノ独奏版は序奏部がとてもリリカルで、原曲とはまた違う美しさがある。

宇野昌磨選手のショートプログラム、テレビの解説者は「曲は、オーボエ協奏曲」と厳かにと告げたが、視聴者の中には「で、誰の?」と思わず突っ込んだ人も多かったのではないか。交響曲とか協奏曲とかソナタとか、クラシックは音楽形式がそのまま曲名に使われる場合が多いので、作曲者を特定しなければ曲名は意味を成さない。宇野選手のオーボエ協奏曲はアレッサンドロ・マルチェッロの曲だが、のちにJ.S.バッハがチェンバロ独奏用に編曲したことでも知られる。バロック音楽は、楽譜の旋律に奏者が好みで装飾を加え自由に演奏することも多い。バッハは、マルチェッロのシンプルなメロディーをかなり自由にアレンジし、それを丁寧に譜面に起こした。私たちの耳に馴染んでいる有名な旋律は、主にこのバッハの創作である。この協奏曲に関しては「誰の」作曲かは一筋縄ではいかない話で、事実上はマルチェッロとバッハの共作に近いのではなかろうか。

羽生選手がいつもプーさんと行動を共にしていることは周知の事実で、今回も滑走の直前にプーさんの顔をギュッと握っていた。プーさんは北京オリンピックにも羽生選手に同行するものと思われるが、習近平国家主席がよくプーさんに擬えられることから、中国政府は黄色いクマにとても神経質である。税関で取り上げられたりしないことを祈る。

共通テーマ:日記・雑感

北極圏某所にて 2021 [フィクション]

「先輩、結局やっぱりクリスマスはステイホームになっちゃいましたね。今年は配達行けるかとちょっと期待しましたけど、オミクロンのやつのせいでどこの国にも入りづらくなりましたし。」
「ああ、去年と同じでクリスマスプレゼントはAmazonに任せた。ま、いいさ。わしのYouTubeチャンネルは視聴数がぐんぐん伸びてるし、プロユーチューバーへの道は近い。昔から配達のかたわら動画を撮りためた甲斐があったな。」
「サンタ先輩の動画、フライトシミュレーターみたいでかっこいいって声が多いっすね。ソリで飛んでいる間、スマホのカメラつけっぱなしだったんですか?」
「というか、電源を切るのをつい忘れてな。おかげで北極海上空でスマホがバッテリー切れして、チャージする術もなく困ったことが何度もあった。」
「あ、飛行中に突然画面が真っ暗になった動画ありましたよね。サンタ墜落か、ってコメ欄が大騒ぎになってましたよ。」
「そうじゃったな。それにしても、今年の春に公開し始めてしばらくはほとんど反応がなかったのが、8月くらいから急に『いいね』が付き始めてな。世界的にコロナの波が揺り戻していたから、旅行系のチャンネルでステイホームのつれづれを紛らす人が多かったんじゃろうか。」
santa_tonakai_beach.png「8月ですか・・・?夏は仕事もなくて暇でしたねえ。」
「それで暇つぶしにコメ欄を丁寧に読んでおったんだが、『あのお茶目なサンタさんだ!』とか『チャンネルドルフからここに来ました!』とか不可解なコメントが次々に出てきてな。おまえ、何のことかわかるか?」
「え?いや、さぁ、何でしょうね。」
「チャンネルドルフってのを検索してみたら、こんなのが出てきたぞ。これ、お前のチャンネルか?」
「え、えっと、ルドルフっていう名のトナカイ、他にもいるんじゃないかな。はは。」
「赤の他人が撮った動画だったら、なぜわしが登場しておるんじゃ?煙突のない家だったから窓からそっと部屋に入ってプレゼントを届けようとしたんだが、セコムの警報機が鳴った一部始終がばっちり写っておる。『サンタ、セコムに追われる。草』みたいなコメントがごろごろ並んで、視聴数は1万を超えてたぞ。」
「ええまあ、あれはかなりヒットした回で・・・」
「それだけじゃないぞ。スピード違反で切符来られそうになったときの動画も、かなりアクセス数稼いだじゃろうが。恥さらしじゃないか。パトカーの前で調子こいて暴走したのはお前だぞ、ルドルフ。」
「いやいや、あれは同情的なコメばかりでしたよ。『サンタさん一晩で全部届けないといけないから、そりゃ焦るわ。お巡りさん許してあげて!』みたいな。」
「白状したようだから、まあ許してやるか。いったいいつからチャンネルドルフなんて立ち上げておったんじゃ?」
「えっと、東京オリンピック見ながら動画編集してたから、7月終わりから8月にかけてですかね。」
「8月?もしかして、サンタチャンネルのアクセスが急増したのは、おまえの動画からリンクで飛んできた輩ばかりだったのか?サンタチャンネルの人気が急浮上したわけじゃなかったのか・・・。」
「先輩、そんなにがっかりしないで下さい。サンタチャンネル、すごい好評ですよ。チャンネルドルフみたいにドッキリ系じゃなくて、正統派の旅番組としてちゃんと成立してますから。」
「今日はやたら気を遣うんだな。まあ、お前のおかげでファンがたくさん付いたと思えばむしろ感謝だな。ん、ちょっと待て。いまドッキリ系って言ったか?」
「あ・・・。いや別に、ぼく言いました、そんなこと?」
「イブの晩にサンタがプレゼント持って来るのはみんな分かってるから、大抵セコムは切っておくはずなのに、あちこちで警報が鳴って何かおかしいと思ってたんじゃ。スピード違反のときも、確かお前が・・・」
「いやいやいや、誤解です誤解。それにいいじゃないですか、先輩お茶目キャラで人気も出たし、結果オーライで・・・」
「ん?そのお前のスマホ、なんでレンズがこっちに向いておるんじゃ?まさか、いまそれで撮っているんじゃ・・・おいおい、そんな勢いで逃げ出すなよ。別に怒っておらん。長い付き合いだから、お前のやりそうなことはだいたい見当がついておる。このチャンネルドルフにしたって可愛いものじゃ。ん?新しい動画アップしたのか?どれどれ・・・。何だこれは!?ルドルフ、おい!戻ってこい!!」



※ 2人の前日譚はこちら

共通テーマ:日記・雑感

アナログレコードの話 [音楽]

1980年代にCDが普及し始めて以来、アナログレコードの市場規模は(一部マニアの根強い支持は別にして)縮小の一途を辿ってきた。ところが過去10年ほど、レコードの生産数が再び上昇しているそうである。音楽ソフト全体の売上が伸び悩む昨今、興味深い傾向だ。

record_player.png私が小さかった頃は、まだアナログレコード全盛期だった。記憶にある限り初めて出会ったレコードは『およげ!たいやきくん』のシングルで、B面に『いっぽんでもにんじん』が入っていた。私と同世代なら、今でも空でこの2曲を歌える人は多いのではないか。父の趣味で自宅にはそこそこ本格的なオーディオ設備が整っており、書斎の棚にはクラシック音楽のLPレコードが所狭しと並んでいた。父の嗜好は概ね前期ロマン派以前に留まっていたが、名盤と評判が立つと何故か好きでもないはずの近現代物も買って来て、すぐに棚の肥やしになった。しかしその気まぐれが、後の私にストラヴィンスキーとかショスタコーヴィチとか武満徹など禁断の回廊へ扉を開いてくれたのである。YouTubeはもちろん、インターネットすら影も形もない時代だったことは言うまでもない。

LPレコードは詰め込んでも片面30分程度が限界で、とくにクラシックは一曲が長いので収まりきらない。交響曲やオペラはたいてい楽章やアリアの切れ目があるが、中には途切れなく何十分と続く音楽もある。ストラヴィンスキーの『火の鳥』全曲版は、綿々と休みなく50分近くを要する。当時自宅にあった小澤征爾/ボストン響のLPでは、『王女たちのロンド』の終わり近くハープが上行音型でオーボエにつなぐフレーズを一旦ハープだけで終わらせてA面を閉じ、B面はその直前からフェードインして後半につないでいた(記憶が正しければ)。場合によってはスコアすら改変せざるを得ない苦労が、アナログレコードの宿命だったのである。

CDは連続して70分以上入り、再生も簡単だし保存もかさばらないからメリットが多い。一方で、CDは再生音が不自然だとかアナログレコードのほうが音がいいといった懐古派のぼやきもくすぶり続けた。CDは可聴域より高周波の成分はサンプリングしない。だから超可聴域を排除しないアナログレコードのほうが音質が優れているという俗説が、まことしやかに広まった。しかし同じレコードでもスピーカーやアンプやカートリッジ(レコード針とその周りのパーツ)など再生装置次第で音はぜんぜん違うので、音質に関してはレコードかCDかというメディアの二者択一論に意味があるとは思えない。

レコードをジャケットからうやうやしく取り出し、ターンテーブルにそっと載せ、見えるか見えないかの極細の溝を狙って針を慎重に置く。アナログレコードを聴くには、厳粛で少々面倒くさい儀式が伴う。サブスク世代の若者達の眼に映るアナログレコードの世界とは、スタバの抹茶ラテで育った現代っ子が格式高い茶会に招かれるようなものかもしれない。どちらのお茶がより美味しいか、どちらがより良い音が出るのか、それはたぶんあまり本質ではない。敢えて一手間も二手間もかけて、まず心を整える。そんなふうに正座して向き合う音楽の形が、楽曲データがタップ(クリック)一つで手に入る時代にあって、逆に新鮮で輝いて見えるのだろうか。

共通テーマ:日記・雑感

ツンデレな猫 [動物]

以前もちょっと話題に上げたが、あなたは犬派?猫派?などと聞かれることがある。犬はもともと群れを作る習性があるから社交的で秩序を重んじ、きちんと躾ければ飼い主の言うことをよく聞く。ネコ科はライオンのような例外を除くと基本的に群れない動物で、飼い主がいくら呼んでも気が向かない限り振り向きもしない。尻尾を振って駆け寄ってくる犬が可愛くて仕方のない人もいれば、猫のツンデレぶりに心がとろけてしまう人もいる。

cat_koubakozuwari_brown.png最近、PLoS ONEにちょっと面白い論文が載った。飼い主の呼びかけを徹底的にスルーする猫の本心は、実際のところどうなのか?猫に聞いてみるわけにもいかないので、ちょっとした実験をした。飼い主の呼びかけを録音し、部屋にいる猫に聞かせる。「慣らしフェーズ」で5回立て続けに聞かせた直後、「テストフェーズ」として飼い主の声を別のスピーカーから流す。飼い主が瞬間移動したかのような現実にありえないシチュエーションを演出し、猫の反応を観察するのである。それと別に、飼い主の声を別の猫の鳴き声や電子音で代用した同様の実験を行い、猫の出方を比べる。家猫と猫カフェから40-50匹の「被験者」を募り、各々が住み慣れた居住スペースで実験を実施した。

その結果が興味深い。飼い主が「テレポーテーション」すると、猫は驚く様子を見せた。一方、猫の鳴き声や電子音が瞬間移動しても、反応は薄かった。つまり、周囲の猫同士を意識する以上に、猫は飼い主の気配をちゃんと気に留めているということだ。呼びかけを完全に無視しているように見えても、ちゃんと聞いているのである。

積極的にコミュニケーションを取りたがる犬と違って、猫はマイペースで気ままな動物だ。腹が減ったり寒さに耐えかねると自動給餌装置(飼い主)や暖房装置(飼い主)に寄ってくるが、そうでなければまるで言うことを聞かない。そのくらいの距離感が心地よい人が「猫派」であって、声を掛けてもツンとする気高さに惚れて半ば自虐的な幸福感に満たされる。と思っていたのだが、もし確信犯でツンデレを演じているのだとすれば、猫が飼い主の愛を繋ぎ止めるのも実は計算のうちということか。猫派が聞いたら、愛しさがますます募って悶絶しそうな話である。

共通テーマ:日記・雑感

おならで進む [科学・技術]

ISS滞在中の前澤友作さんが、宇宙に関する質問をツイッターで募っているそうである。そのなかに「オナラをしたら前に進みますか」という疑問が相次いでいるらしい。いい質問である。

space_rocket.png答えはもちろんYesだ。ただしあくまで理屈の上での話で、まともな推進速度が出るかどうかは別の問題である。軽く計算してみよう。ロケットが推進剤を後方に放出する反動で前に飛んでいくのと、原理は同じだ。オナラの噴出速度は一定と仮定し運動量保存則を静止状態から時間積分すると、前に進む速さVは
V = u ln [M/(M-m)]
のようになる(lnは自然対数)。ここでMはご本人の(放屁前の)質量、mは放出されたオナラの質量、uはオナラの放出速度である。本来はロケットの推進力を求める式で、ロケット方程式またはツィオルコフスキーの公式と呼ばれる。

オナラの噴出速度はおよそ秒速3m、一日に放出される量はふつう0.5リットルほどだそうである(参考サイト)。人は一日に平均14回屁をいたすそうで、一回分は0.5リットルの14分の1だが、効果を高めるため一日我慢して一気に放出して頂くことにする。おならの平均分子量をふつうの空気と同じ程度とすると、室温1気圧で0.5リットルは質量にして0.6gほどである。体重70kgの人の場合、オナラで得られる推力は速度にして
V = 3 ln [70/(70-0.0006)] (m/s) = 0.026 mm/s
ということになる。秒速約0.03ミリメートルと言われても想像が及ばない。とてつもなく腸内環境を活性化させて超高速のオナラをぶっ放せば10倍くらい稼げるかも知れないが、それでも秒速1mmは遠い。カタツムリの移動速度が秒速数ミリだそうで、とても及ばない。無重力下で前に進むには、オナラの推進力に期待するよりは普通に壁でも蹴るほうがよほど早そうである。わざわざ計算するまでもなかったか。

ちなみにオナラは水素やメタンなど可燃性ガスを含んでおり、宇宙船内での不用意な放屁は大災害を誘引する恐れがあるという話もある(参考サイト)。実験するのも命懸けだ。

共通テーマ:日記・雑感

宇宙開発のいま [科学・技術]

かつて宇宙開発は一大国家事業だった。アポロ計画が花開いた1960年代、米国とソ連が国の威信を賭け湯水のように国家予算を注ぎ込み、宇宙開発競争に明け暮れた。世界初の人工衛星(スプートニク)、世界初の有人宇宙飛行(ガガーリン)、世界初の女性宇宙飛行士(テレシコワ)、世界初の宇宙遊泳(レオーノフ)、とソ連は常にアメリカの機先を制した。人類初の月面着陸(アームストロング)でようやく雪辱を果たした米国だったが、それは宇宙開発競争のハイライトであると同時に衰退の始まりでもあった。

宇宙開発には金がかかるが、国家予算の確保には国民の支持が欠かせない。月面着陸という最大の目標が達せられると、世論の熱狂は冷めていった。アポロ11号の前年に公開されたキューブリック監督の不朽の名作によれば、2001年には人類は木星に到達するはずであった。当時の技術的進歩をそのまま敷衍すれば、決して絵空事ではないと信じられる空気が当時はあったのかもしれない。しかし現実の21世紀は、木星どころか月面探査すら放棄して久しい。モチベーションを失った米国の宇宙開発はスペースシャトルの形でしばらく生き延びていたが、再利用型で経済的なはずのスペースシャトルも費用対効果で世論の支持を維持することは叶わなかった。

space_iss.pngスペースシャトル引退後、国際宇宙ステーション(ISS)へ宇宙飛行士を送り届ける唯一の輸送手段をソユーズが担ってきた。ロシアにとっては棚ぼたの独占市場を手にしたわけだが、そこにイーロン・マスク氏率いるスペースX社が乗り込んできた。民間による宇宙開発事業への本格参入という新たな時代が幕を開けたのである。宇宙開発はビジネスチャンスとなり、宇宙旅行マーケットにスペースX、ヴァージン・ギャラクティック、ブルー・オリジンと次々に民間企業が参入した。かつてはSFの世界で描かれるだけだった夢物語が、にわかに実現し始めたのである。

とは言え、商用宇宙旅行は今のところ億万長者だけに許された贅沢に過ぎない。ZOZO創業者の前澤友作さんが、いまISSに滞在中である。かかった費用は同行のマネージャーと2人で約100億円だそうだが、その相場感は庶民感覚では高いのか安いのか見当もつかない。だが、100億円といえば大型衛星を打ち上げる際に支払うロケット1機分の値段とあまり変わらない。モノを打ち上げるのと人を乗せるのでは安全基準がケタ違いだから、人間二人をISSに送ってまた地上に連れ返す費用が100億円なら、むしろ安上がりなのではないか。前澤さんはソユーズを利用したが、スペースXの参入によりロシアはISSビジネスでシェアが縮小したから、仮に薄利でも大事なお客様ということのようである。

いま中国が宇宙開発でブイブイいわせており、有人飛行とか無人月探査とか米ソを半世紀遅れで猛追している。こちらは国家の威信を賭けた大プロジェクトで、その意味でも冷戦期の宇宙開発を彷彿とさせる昭和感が半端ない。民間企業による宇宙旅行ビジネスと昔ながらのマッチョな国家プロジェクトが、洋の東西で同時進行する。宇宙開発史上かつてない興味深い時代が到来したと言っていい。

共通テーマ:日記・雑感

大きい方が安い [政治・経済]

petbottle_water_full.png1年以上ぶりに出張に来ていて、ホテル近くのコンビニで買い物をした。飲料水の陳列棚を凝視しながら、久しぶりに思い出したことがある。コンビニの水は、何故か2Lボトルが安い。mLあたり単価が安いだけではなくて、本当に安いのである。同じブランドの1Lボトルが160-170円くらいするのに、2Lが100円ちょっとだ。ふつう手にすることの多い500mLボトルと値段がほとんど変わらない。場合によっては、2Lが500mLより値を割り込むことすらある。理屈に合わない。

試しにググると、同じ疑問を持った人が飲料メーカーや大手コンビニ各社に問い合わせた記録がゴロゴロ出てくる。はぐらかしているとしか思えない公式見解も多いのだが、コンビニの言い分としては2Lボトルはスーパーの実勢価格に合わせているというコメントが定番のようである。嘘ではないと思うが、本当にスーパーに合わせるのであれば、500mLはもっと下げないと釣り合わない。

昔から、コンビニで売っているものは何でも高かった。欲しい時に欲しい量だけ買える便利さを、付加価値として売っているのである。もっとも、最近はコンビニが他業態のニッチに侵食を始めた。自社ブランドの飲料をお値打ちで売り、惣菜系の品揃えが増し、スイーツがやたら美味しくなった。もちろん、スーパーも負けてはいない。大手メーカーのお茶500mL各種をスーパーでは60-70円台で買えることが多いが、コンビニが伊右衛門や綾鷹を100円未満で売ることはない。職場の昼休みにお茶一本のため遠くのスーパーに行くのは割りに合わないので、コンビニの客は多少割高でも喜んで買う。だからコンビニは、叩き売る必要がない。

そう考えると、水2Lボトルだけ「スーパーの実勢価格」を意識するコンビニの真意は謎である。そもそも、コンビニで2Lボトルを買う人って誰だろう(と言いつつ私は買ったが、出張中にホテルの冷蔵庫に入れておく便宜以外ではまず手を出さない)。ちょっと喉の乾きを癒したくなっただけのために、重くて持ちにくい2Lボトルを買う人はたぶんいない。でもコンスタントに2Lが入荷されている以上、ニーズがあるはずである。誰か一度ガチで調査してくれないか?

共通テーマ:日記・雑感

終わりの始まり [科学・技術]

先週からオミクロン株の話ばかり続いて何だが、旬のネタなのでご勘弁を。世界各地で市中感染を疑われる事例が出ているそうで、南アで同定される前からオミクロンがあちこちをほっつき歩いていたことは今や間違いなさそうである。そうすると、ドイツやフランスで最近急拡大している原因もオミクロンだったのか、という話がじきに出てくるだろう。ゲノム解析のデータを遡って洗い出したらオミクロンがごろごろ出てきたとしても、不思議はない。

以前も書いたが、感染拡大期に特定の変異株が他を駆逐しつつあるからといって、その変異株が感染拡大そのものを駆動する原因であった証拠にはならない。逆に、人々の行動変容が感染を拡大させた結果として、いちばん感染の早い変異株が選別されただけかもしれない。相対的に感染力が高い事実は間違いないにしても、感染の波のうねりを作っているのは基本的に人間社会の方である(たぶん)。昨年の今頃だったかイギリスで猛威を奮ったとされるアルファ株(最近聞かないが今頃どうしているだろう)が東京でたいした波を引き起こさなかったのも、人々の行動様式が国や地域によって違うからではないか。相関が因果関係を意味しないのはデータ分析の基本中の基本だが、「専門家」でもごっちゃにする人は多い。

baikin_genki.pngごっちゃといえば、変異株にワクチンが効かないのではという話になると「ウイルスは生存戦略で変異を繰り返しますから」とまことしやかに語る人が必ず現れる。ウイルスの各変異株代表団がサミットを開いて、戦略会議を重ねているとでも思っているのだろうか。よくあるダーウィニズムの曲解に過ぎない。ワクチンに耐性のある変異株が生まれるとしてもそれは単なる偶然の産物であって、いったん生まれればやがて他の株は淘汰されるかもしれないが、それは結果論であって「ウイルスの生存戦略」ではない。

今のところ、オミクロン株が重症化を引き起こす証拠はないようである。感染力が強いウイルスは毒性が弱くなるという人がいるが、これも(少なくともコロナに関しては)ダーウィニズムを単純視した都市伝説に過ぎない。が、ついにコロナが「ふつうの風邪」に落ち着く日が来るのか、と希望的観測に賭けたくなる気持ちはよくわかる。オミクロンが長いコロナ禍の終わりの始まりだとすれば、久々に前向きな気持で2022年の新年を迎えることができそうだ。でも、まだわからないことが多い。

共通テーマ:日記・雑感

オミクロンの謎 [科学・技術]

にわかに世間を騒がせているオミクロン株だが、報道だけではよくわからない不可解な点がいくつかある。

virus_corona.png南アフリカで感染が再拡大しているとはいえ、新規感染者数は現時点で一日数千人規模である。人口あたりに換算しても、英国やドイツより一桁少ない。にもかかわらず、瞬く間に世界のあちこちでオミクロン株が見つかった。日本も例外ではない。しかし、アフリカ最南端の国で広まり始めたに過ぎないウイルスが、地球の裏側まで魔法のように拡散するだろうか。もっと以前から各国で密かに浸透していたと考えるほうが、自然ではないか。

そうだとすると、南アで注目されるまで誰も気に留めていなかったことになる。世界に急に広がったように見えているのは、ゲノム解析の指名手配写真が出回るまでは野放しになっていただけかもしれない。ということなら、潜伏している他地域では目立った悪さをしていなかったということか。南アフリカではオミクロン株は急速にデルタ株を駆逐しつつあるというから、デルタ株より感染が早い。とはいえ、ワクチン完了率が3割にも満たない南アフリカで、感染はしばらくのあいだずっと落ち着いていた。札付きのワルだったはずのデルタ株が、ずいぶんと聞き分けがよくなっていた様子で、それはそれで不思議だ。

スパイクタンパク質に約30箇所も変異があるから、ワクチンが効きにくいかも知れない、という理屈はわかる。ただ、変異が多いほど即ウイルスが凶悪化するわけではない。突然変異はランダムだから、たまたまウイルスの生存に有利な変異がおこる確率は低い。30箇所も一度に変異すれば、パワーアップするよりむしろショボくなっても不思議はない。現実には世界に散らばっているからそこそこしぶといはずで、放っておくわけにはいかないが、デルタ株からチャンピオンベルトを奪ったラスボス扱いするほどのタマかはまだわからない。香港のホテルで隔離中の旅行者が空気感染したと言われているが、感染経路は推測の域を超えない。そもそもオミクロン株がアフリカ南部起源でない可能性もあるから、アフリカに渡航歴のない人が罹っていても不思議はないかも知れない。

南アフリカ政府は、諸外国が軒並み門戸を閉ざしたことに苦言を呈した。自ら新たな変異株に警鐘を鳴らしたわりに、いささか往生際が悪い。南ア大統領は、ワクチン格差の是正を国際社会に求めている。これが本音だとすれば、ワクチン外交の呼び水に変異株を利用したい思惑もあったのかもしれない。ところが蓋を開けてみると、世界はたちまち感染国の締め出しに動いた。読みを外した南アフリカ政府が慌てて火消しに走り始めた、という憶測も成り立つ。

危機管理の原則としては、オミクロン株の素性がわかるまでは水際を固めておく判断は正しい。ただ、あつものに懲りてなますを吹いているだけかもしれない。実際のところどうなのか、見識ある専門家の考察が聞きたい。

共通テーマ:日記・雑感