SSブログ

共通テストのカンニング事案 [社会]

大学入学共通テストでちょっと手の混んだカンニング事案が明るみになった。家庭教師マッチングサービスを利用する「高2女子」から、サービスに登録している複数の大学生あてにスカイプ経由で問題用紙の画像が届いた。家庭教師としての実力を知りたいという名目で、真に受けて解答に応じた大学生もいたが、後に不審に思い通報し事件が発覚した。警察に出頭した「高2女子」の正体は、滑り止めで入った大学に通いながら仮面浪人していた19歳だったということである。12月に偽名でマッチング業者に登録していることから、周到に準備された計画だったものと思われる。

animal_chara_smartphone_azarashi.pngそんな大胆なカンニングが試験会場で実行可能なのか、と驚いた。本人によれば、スマホを袖に隠して撮影したということである。画を撮るだけなら、レンズだけ出るよう袖に忍ばせれば、確かに隠し通せるかもしれない。だが、それをスカイプのチャットで送信したり、送られてきた解答を確認するには、スマホの画面を直接確認しないといけない。慣れた子なら大した操作ではないとは思うが、そもそも共通テスト中はスマホは電源を切ってカバンにしまいなさいと開始前に必ず釘を刺される。試験中ポケットに入っているだけで違反を取られかねないし、ましてスマホを手にしている現場が見つかれば(仮に操作中でなくても)言い逃れはできない。どう考えてもリスクは高いし、別案件だが実際にスマホを太腿に挟んで見つかり失格処分になった受験生もいたそうである。

自分が入試監督者をやるときは、適当な頻度で会場を巡回したり、しばらく会場の後方に立って見渡したりする。監督者は最低2人はつくので、前と後ろに展開すれば死角は減る。カンニングを企む受験生がいたとして、背後のどこから見られているか確認しようのない状況では、こっそりスマホを操作するなどかなり敷居が高いのではないか。問題の受験生がいた会場の監督者は、彼女の不審な動きに感づいていただろうか?間違っても無実の受験生を誤認逮捕するわけにはいかないので、共通テスト会場で不正を認定するには相応の段取りがある。そもそも不正行為の摘発が監督の目的ではないので、怪しいと思ったら近くを重点的に巡回するなど、未然防止に務めることになっているはずだ。もし監督者が周りをウロウロし始めたら、おちおちスマホ操作などできるはずもない。

ある意味で、入試監督は警察のネズミ捕りに似ている。たまに警官を動員して速度違反を取り締まったところで、交通事故がたいして減るわけではない。むしろ、いつ切符を切られるかわからないのでむやみに飛ばすのは止めておこう、というドライバーに対する心理的抑止効果に意味がある。飛ばしてちょっとでも先に行くささやかな満足感は、反則金を払い免許証に点数が積まれるリスクに比べまるで割に合わない。試験監督も、受験生全員の一挙手一投足を漏れなく監視できるわけがない。ただ、不正をやらかすとバレる「かもしれない」というリスク、バレたときに払う代償の大きさを考えたとき、常識的な思考力があればカンニングの選択肢は取らない。もちろん、大多数の受験生はカンニングなど頭をよぎりもしない。

スマホの進化とカンニング摘発がイタチごっこで、入試のあり方が限界に来ているみたいに言う人もいる。が、別に入試システムの問題ではない。リスク管理の判断力が著しく欠落した一握りの受験生の問題である。

共通テーマ:日記・雑感

ながら作業 [音楽]

kaisya_shigoto_music_man.png音楽を聞きながら仕事が捗るか、という話題でつい先ごろ会話が盛り上がったのだが、折しも東北大学の研究者が「ながら」作業の効能に否定的な研究成果をプレスリリースしていたことを知った。聞こえるかどうかくらいの低音量でも、BGMが鳴っていると作業の集中力が落ちるらしい(音量が小さすぎると逆に気になって耳をそばだててしまうせいか)。ガヤガヤした環境でも特定の会話が耳に入ってくる認知能力を選択的注意(カクテルパーティー効果)と言うそうだが、音楽は選択的注意の機能を阻害するのだという。

私は学生の頃は一切「ながら」をしなかった。音楽を聴いたら音楽に集中してしまうし、別の作業に没頭すると音楽は鳴っていても一切耳に入らないので、ながら作業をする意味がなかったのである。最近は気が変わって、YouTubeでBGMを流しながら仕事をする日も少なくない。

気分によってクラシックだったりJ-POPだったりするので、YouTubeのAIは私の嗜好を類推するのにやや苦戦するようである。King Gnu→ミレパ→米津玄師→宇多田ヒカル→藤井風、みたいなミックスリストをセットメニューに盛り込んでくる傍らで、ハチャトリアンやビゼーやバッハが単品で脈絡もなく並んでいる。クラシックは一曲が長いせいか、AIは敢えてミックスリストに組み込んでこない。ガイーヌとカルメンと平均律1巻2巻をつないでしまったら、それだけで一日の就業時間を超える。お薦めにアストル・ピアソラが紛れ込んでいるのを見つけたときは「お前なかなか分かってるじゃないか」と感心したが、ときに「なぜそれをぶっこんできた」とツッコミを入れたくなるヘンテコな提案が飛び出すときもある。

仕事に集中している間は音楽が耳に入らないのは、今も変わらない。だからたぶん、BGMは仕事の効率を上げも下げもしていない。ただ、オフィスに着いてエンジンがかかり始める前とか、ふと集中力が途切れたアイドリング状態のときに、曲がすっと入ってくるのが心地よい。オフィスからふと窓の外を見やり晴天にぽっかり浮かぶ雲に魅入られるように、作業と作業のつなぎをふわりと埋める緩衝材のように音楽が鳴っているのがいい。

水まんじゅうのあんこを包み込む半透明の生地、あれはなんと呼ぶんだろう。私にとっての「ながら」音楽は、ちょうどそのくらいの絶妙な存在感だ。

共通テーマ:日記・雑感

目の前のリスクと将来のリスク [社会]

昨年夏の第5波のさなかに書いたブログの末尾で、こんなことを書いた。
ワクチンが怖いという人は、沈没する船から救命ボートに飛び移るとき、足が滑ったらどうしようと尻込みするのに似ている。ボートの脇で海に落ちても、たぶんすぐに誰かが助けてくれる。しかし飛び移る勇気が出ないまま沈みゆく船と運命を共にするなら、その限りではない。
目の前の小さなリスクと将来の大きなリスクを比べたとき、どちらを切実に感じるか、という話である。

ハナ・ホルカというチェコのフォークシンガーがコロナで亡くなった。ワクチンは打っていなかったそうである(BBC記事)。夫と息子は接種を完了していたが、その二人がクリスマスの時期にそろってブレイクスルー感染した。本来なら一週間ほど二人と接触を断つべきであったのに、彼女は敢えて一緒に過ごし続けた。コロナに罹った家族に寄り添いたい気持ちもあったかもしれないが、実は自ら進んで感染を望む確信犯であった。チェコでは、ワクチンを打つか直近の感染歴がないと映画館にもバーにもカフェにも入れない。彼女は、ワクチン接種よりも感染する選択肢を選んだのである。果たして彼女はコロナに感染した。快方に向い今後は劇場にもコンサートにも行ける、とSNSに書いた二日後、自宅の寝室で世を去った。まだ57歳だった。

chinbotsusen.png一連の顛末を語っているのは、彼女の息子だ。母はマイクロチップ説みたいな陰謀論の信者ではなかった、ただワクチンを打つよりコロナに罹るほうがまだマシと考えていた、と彼は言う。ワクチンに否定的な意見の中には、他人から押し付けられることへの反感と未知のものを体に入れる恐怖心という二種類のパターンがあって、ハナ・ホルカさんはどちらかというと後者のケースだったように思われる。救命ボートに飛び移るリスクを過大評価し、沈みゆく船と運命をともにするリスクを過小評価した。ホルカさんの息子は母を説得しようにも感情的な言い争いになるだけでどうにもならなかったそうだ。それでもなお救える道はなかったのか、と息子は自問自答を続けているかもしれない。彼の心中を思うと胸が詰まる。

共通テーマ:日記・雑感

トンガ噴火が引き起こした津波のようで津波でない潮位変動の話 [科学・技術]

先週末はいろいろびっくりすることが起きた。共通テスト中の東大キャンパスで起きた刺傷事件にも衝撃を受けたが、トンガの噴火が引き起こした津波にはもっと驚いた。Hunga Tonga Hunga Ha'apaiという火山島が吹っ飛んだそうだが、「フンガトンガフンガハアパイ噴火」などほぼ早口言葉である。アイスランドで2010年に噴火し欧州の航空路線をしばらく休止に追い込んだエイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajökul)もそうだったが、海外の火山はなんで簡単に読めない名前がつくのか。「富士山」とか「阿蘇山」のような潔い名称じゃだめなのか。

kazan_funka_magma.png気象庁は当初、日本には噴火による津波の影響はないと発表していた。しかし想定外の早さで想定外の潮位変動が観測されるに到り、土曜日深夜に太平洋岸全域に津波警報・注意報を出した。夜更けに突然スマホが騒いで仰天した人も多かっただろう。沿岸域の一部で係留中の船や養殖場などに物損被害があったようである。気象庁の弁明がちょっとおもしろくて、津波のようで津波でない、なんでこうなったかよくわからない潮位変動だったそうである。噴火をきっかけに大気中を飛んだ衝撃波(空振)が引き起こしたという説が取り沙汰されている。これをちょっと考えてみたい。

土曜日の夜8時半から9時位にかけて、日本各地で急激な気圧変化を観測した。せいぜい1-2hPa程度の微小変動だったが、ふつうの気象ではあり得ないスパイク状の変化で、これがトンガの噴火がもたらした衝撃波の名残であった。噴火自体は日本時間の同日午後1時過ぎで、日本までの距離約8000キロを7-8時間かけて到達したことから平均して秒速300m前後の伝搬速度だったと推定される。対流圏中・上層の音速がだいたいこのくらいなので、理にかなっている。

さて、この波がどのように津波(のようで津波でない潮位変動)を誘引したのか?気圧が下がると海面は上昇するが、普通は1hPaの変動に対しせいぜい水位1cm程度の吸い上げ効果に過ぎない。だが、気圧変化の移動速度に海洋長波(海水全体の動きを伴う波)の伝搬速度が近くなると、共鳴を起こして振幅が増幅する(プラウドマン共鳴という)。海洋長波の伝搬速度は水深の平方根に比例し、空振の秒速300mに付いていくには計算上10,000m近い水深が必要だ。しかし太平洋の平均深度は4,000mくらいだから海洋長波はもっと遅く、追いつけない。それでも観測通りの潮位変化が説明できるのか、私には確かめるすべがない。いま気象や海洋研究者のSNSやMLを覗くと、そのあたりの議論で大いに盛り上がっている様子である。じきに誰かが解明してくれるだろう。

北南米の西海岸にも津波(のようで津波でない潮位変動)が到来し、ペルーでは犠牲者も出た。当然海外メディアでも注目を浴びているが、どこもふつうにTsunamiと呼んでいる。プラウドマン共鳴はふつう比較的浅い海域で気象擾乱が海洋長波を増幅するメカニズムとされ、これを気象津波(Meteo-tsunami)と呼ぶ。地震起源の津波と確かにメカニズムは違うが、回りくどい言い方をせず素直に津波と呼んでおいても別にいいんじゃなかろうか。

付記:気象津波については高野(2014)(PDF)の解説記事が勉強になった。この文献やトンガ噴火に関わるML動向について教えてくださったJAXAのK氏に感謝します。

共通テーマ:日記・雑感

ジョコ問題 [スポーツ]

sports_tennis_racket_ball.png全豪オープンのためオーストラリアを訪れたジョコヴィッチ選手の立場が、二転三転している。ワクチン未接種で入国しようとしたが書類不備でビザを取り消され、処分の不服を訴え裁判を起こしたところ勝訴し入国できたところまでは良かった。ところがつい昨日夜、再びオーストラリア政府の権限でビザ取り消しの宣告を食らった。情報が錯綜気味でわからないことも多いが、いったい何が起こっているのか。

コロナ対策に厳格なオーストラリア政府は、ワクチン未接種者の入国を原則認めていない。医学的理由でワクチンを打てない場合は例外措置が適用されるが、反ワクチン派とされるジョコヴィッチ選手は健康上の事情があるわけではなく、昨年12月にコロナ感染した事実をもって例外措置を求めたと伝えられている。ところがオーストラリアは入国者に対しコロナ感染歴を未接種の理由とは認めていない。これは豪政府サイトにはっきり書かれている。
The Australian Department of Health advises that previous infection with COVID-19 is not considered a medical contraindication for COVID-19 vaccination.
もしジョコヴィッチ選手が直近の感染歴以外に未接種を正当化する理由を提示しなかったのだとすれば、入国拒否はやむを得ない。

ではなぜ裁判所はジョコヴィッチ選手の不服申立てを認めたのか。その経緯はBBCの記事が詳しい。法律論の詳細は難しくて理解できていないが、要はジョコヴィッチ選手が一時収監される際に政府側の杜撰な対応があり、そこを突いたジョコヴィッチ側弁護団の主張を豪政府が覆せなかったようである。つまり裁判で争点となったのは人権問題であり、ワクチン問題ではなかった。最近の報道では入国書類に虚偽の申告をしていたことが暴露され、ジョコヴィッチ選手の旗色は悪い。ご本人はうっかりミスと弁解しているそうだが、悪意があろうとなかろうと虚偽申告の罪は変わらない。つまるところジョコヴィッチ選手の自業自得という側面は否定できない。

泣く子も黙る世界のトッププレイヤーなだけに、注目度も大きい。12月に感染が判明した後あちこちのイベントにノーマスクで参加していたことが騒ぎになった。脇の甘い人だなあとは思うが、これ自体はオーストラリアの入国拒否問題とは関係ない。また現地の人にとっては、スター選手であれば特別待遇かと批判があったようである。結果的には、オーストラリア連邦政府はジョコヴィッチ選手を特別扱いしなかった。とは言え、普通の人は入国を拒まれれば大人しく送還されるほか選択肢がないわけで、国を相手に急遽裁判を起こす反撃が可能だったこと自体、彼が「普通の人」ではなかったからである。今後もまだ法的に対抗する余地はあるそうで、彼が果たして全豪オープンで戦えるのか、まだしばらくはジョコ問題が耳目を集めそうである。

個人的にはジョコヴィッチ選手のファンでもアンチでもないので、ただシンプルに「つべこべ言わずにさっさとワクチン打っとけばよかったのに」とだけ思う。国外退去命令が確定すれば今後3年間オーストラリアの入国ビザ取得が禁止だそうで、払う代償は大きい。

共通テーマ:日記・雑感

救済策? [社会]

school_test_seifuku_girl.png文科省が、コロナ感染や濃厚接触で大学入学共通テストの受験機会を逃した受験生に「救済策」を講じるよう各大学に要請したそうである。追試を含め共通テストを受けられなかった受験生には大学ごとの個別試験だけで対応しなさいとか、個別試験も受けられなかった場合は別途選考方法を考えてね、という内容だ。文科省の能天気ぶりが炸裂している。この期に及んで無茶ブリを突きつけられた大学は、さぞかし頭を抱えていることだろう。おそらく、対応不可能としてスルーする大学が多いのではなかろうか。

この時期にコロナにやられた受験生は、もちろん気の毒である。本人には何の罪もない。とはいえ、コロナかどうか以前の問題として受験時期に体調を崩す人は一定数いる。インフルエンザは多い年にはシーズン通算で国内1000万人以上が罹り、人数ではオミクロンの比ではない。過去にインフルエンザで寝込み共通テスト(センター試験)に(追試も含め)行けなかった受験生を、文科省肝いりで救済したことがあったか?コロナだけ特別扱いする理由はたぶん、受験生の利益に配慮云々より、無理を押して試験会場にやって来る受験生を阻止したいのが本音ではないか。入試クラスターでも起これば、主催側の対応に批判が向きかねない。文科省が本当に「救済」したいのは誰か?

そしてもちろん、公平性の問題がある。共通テストを一次選抜(足切り)として使う大学にとって、学力と無関係の理由で特定の受験生にシード権を与える正当な理由はない。公平性を担保するには、一人でも該当者がいれば全員の共通テスト結果を採用しない(足切りもしない)という極端な選択肢しかない。それでは、時間をかけ共通テスト対策に尽力した受験生の努力を愚弄するに等しい。それに大学にとっては、5科目をまんべんなくクリアする知的バランスを評価したいとか、共通テストを採用する何らかの大義がある。思いつきの「救済策」で簡単にひっくり返すような話ではそもそもない。

問題作成や試験監督など現場を担う人間は、入試の公平性・客観性は最優先事項でとにかく神経を使う。そのあたりの厳しさを、文科省はまったく理解していないようである。共通テストと言えば、記述式解答とか英語の外部試験活用とか、誰かの浅知恵で改革が迷走し頓挫した前科がある。入試制度に関わることは、文科省はしばらく黙っていてはどうか。

共通テーマ:日記・雑感

別のパンダの話 [海外文化]

上野動物園の双子パンダ、シャオシャオとレイレイが一般公開を控えている。ただオミクロン株の影響で、当面は抽選の済んでいる3日間だけという話だ。ただし今日書こうと思っているのはその話ではない。

PandaExpress.jpgPanda Expressという米国の中華ファーストフードチェーンがある。短期間でもアメリカに住んでいたことがある人なら、たぶんご存知だろう。ショッピングモールのフードコートなどによく入っていて、店員と対話しながら好きなメニューを選んでいく。サンドウィッチのサブウェイと同じ要領だ。この類の同業他社は多いが、パンダは老舗の一つと思う。中華だからパンダ、というベタな直球ネーミングが潔い。

サブウェイの注文がパンのチョイスから入るのと同じで、まずはベースの炭水化物系を聞かれる。ライス(炒飯)か焼きそばを選ぶが、ハーフ&ハーフと頼むと半分ずつ載せてくれる。おかずは1つか2つ(3つのオプションもあったかも知れない)を選べるコースがあって、欲しいメニューを自由に組み合わせればいい。ちゃちな再生紙か発泡スチロールの皿にてんこ盛りによそってくれ、たいてい焼きそばの端っこが皿から飛び出している。最後にレジで飲み物を選び、お会計をする。

アメリカで暮らす知恵の一つは、外食の際にどこで何を選べば不味くないか(美味いかではない)経験則を蓄積することだ。よほど高級レストランに行くのでなければ、だいたいエスニック料理にたどり着く。メキシカン、タイ、ベトナム、そのあたりは安い店でも致命的なハズレはない。中華はそもそも数が多いので残念な店も少なくないが、米国内どこに行っても出会えるチェーン店なら良くも悪くもクオリティが予測可能だ。個人的には、パンダのカシューチキンとかブロッコリビーフとかが好きだ。ほぼ見た目どおりのわかりやすい味で、安心感がある。感涙するほど美味しいわけではないが、アメリカで気軽に出会えるファーストフードとして何ら不足はない。

一年ちょっと前、住まいの近くにららぽーとがオープンした。そのフードコートに、なんとPanda Expressが入店している。日本に進出しているのを知らなかったので、再会が嬉しい。メニューも懐かしい品揃えで、テンションが上がる。本国のパンダに比べると、味は洗練されている気がするし、ボリュームは明らかに少ない(というかアメリカ標準のてんこ盛りがおかしい)。日本なので行くべき名店は他にいくらでもあるし、油と添加物で健康に悪そうな気もするが、それはそれでいい。Panda Expressとは、ある意味でアメリカという国の猥雑でチープで底知れない魅力の象徴なんだと思う。

共通テーマ:日記・雑感

蚊帳の内 [社会]

全国の新規感染者数が急増し久々に2000人を超えたと報道を賑わせている。たかが数千人でビビってはいけない。アメリカでは一日の陽性者が100万人の規模だそうだから、世界の最先端は3桁も上を行っている。イギリスやフランスでも日々10万人や20万人の感染者が出る勢いで、ここまで来ると感染者の数よりこれらの国の検査キャパの底力に驚く。日本でも検査を徹底すれば、欧米ほどではないにせよ思わず絶句するくらいの陽性者数には跳ね上がるのではないか。コロナは初めから無症状者や軽症者が多い特徴があって、検査の網にかからない感染者が街中を跋扈していると言われてきた。オミクロン株はとくにその傾向が強いようである。

bug_ka.png米国も英国も、もはやロックダウンの道は選ばない。蚊の大群がやってきたら、一匹ずつ叩いて回っても埒はあかない。オミクロンはブレイクスルー感染が多いから、蚊帳を張っても隙間から侵入して来る。蚊取り線香を焚いたり虫除けスプレーを噴射したり、できることをやったらあとは普通の生活を送るしかない。オミクロンの重症化リスクはデルタ含む従来株より低いのは今や確かなようだから、蚊が恐ろしい病を運んでくるわけでもない。だから多少痒いのは我慢して、ひ弱な蚊がブンブン飛び交うのは放っておく。というのがオミクロン時代に相応しいコロナ対策のようである。

日本はしばらくの間、到着便に一人でもオミクロン陽性者が出ると乗客まるごと濃厚接触者扱いしたり、オミクロンとわかると問答無用で病院にぶち込んだり、狂気に近い慎重さで臨んできた。蚊を一匹ずつつまんで潰すような地味すぎる対策は、運用がいずれ破綻する。幸い水際対策も隔離方針も見直しが進んでいるが、まだ改善の余地はあるかもしれない。イギリスやアメリカでは、新しい科学的知見に基づき自己隔離期間が7日とか5日とかどんどん短縮されている。日本はいまだに10日とか14日とか、地味に長い。

いつか世界の人たちがオミクロンに慣れて、腕をポリポリ掻きながらも普通に外を歩き回る日常を取り戻したとき、日本はどうしているだろうか。おっかなびっくりでも世界に追随するのか、一人蚊帳に閉じこもり血走った目でオミクロン蚊を一匹一匹潰しているのか。日本が蚊帳の外ならぬ蚊帳の「内」に籠もって世界から孤立しないといいなあと願う。

共通テーマ:日記・雑感

年始雑考 2022 [その他]

あけましておめでとうございます。気がつくと2022年、コロナ禍が始まってからそろそろ丸2年が経つ。今年こそは世界が「普通の年」に戻ってほしい。

osechiryouri_osyougatsu.png小さい頃、正月といえば小さな悲喜こもごもの集大成だった。ちょっとした祝祭感にウキウキはするが、真冬のさなかで布団から出るのがつらい。おせち料理は見た目が豪華だが、子供の舌にはあまり馴染まない。田作り(ごまめ)と栗きんとんにはテンションが上ったが、重箱に収まるその他大勢の品々は正直あまり好きではなかった。もともとお節料理には、一年の収穫を祈って神様にお供えする意味合いがあるそうだ。神様の口に合う料理を現代の子供が好む理由はない。正月にばたばたと食事の支度をしなくて済むよう、年内から作り置きしておく保存食という役割もあったから、軒並み味付けが濃い目でちょっと飽きる。昔に比べるとお節料理の中身はバラエティに富んでいると思うが、冷蔵庫やレンジが当たり前の時代、お正月にいただく食事はもっと自由でもいい。

歳を重ねると、慌ただしい年末に年賀状を書くのがますます億劫になる。子供の頃は大人ばかりに届く年賀状が羨ましかったが、いざ大人になるとそれが重荷になるのだから、勝手なものである。若い時分、出した枚数より元旦に届く枚数のほうが少ないと、投資に失敗したような気分になった。最近はそもそも誰に出したかすぐ忘れてしまうせいもあり、回収実績は全く気にならなくなった。昨今はメールやSNSで済ます人も増えていると思うが、差し出す相手を想いながら一手間をかけることが年賀状の価値だとすれば、一斉送信はむしろ逆効果になりかねない。電子化に完全一本化するには、相応の勇気が要る。

帰省ラッシュが事実上消滅した1年前と違い、今年はそこそこ人が動いているようである。昨年は初詣の人出を分散させるため、お参りは元旦でなくてもご利益は変わりませんと専門家(神主だったか住職だったかは失念)が公言していた。今日まだニュースを見ていないが、今年の初詣は例年の賑わいがある程度は戻っているのではないか。個人的にはあまり信心深いタチではないので、1月1日は感染対策にかこつけ家で寝正月に決めている。コロナ太りと正月太りのあわせ技が今から気がかりだ。

共通テーマ:日記・雑感