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プーチンの異常な愛情 [政治・経済]

sensya.pngロシアがいきなりウクライナに侵攻した。ウクライナ情勢はここのところずっと一触即発の動きが続いていたとは言え、「おいおい本当に攻め込むヤツがいるかよ」というのが多くの人の反応ではないか。ウクライナの人たちの怒りと心痛は察するに余りある。少し驚いたのは、プーチン大統領が核保有をちらつかせて欧米の動きを牽制したことだ。この人の魂は、いまだに東西冷戦の時代を彷徨っているようである。

いったん報復の応酬が始まれば世界が滅びるという緊張感によって平和が維持される異常な時代は、旧ソ連の崩壊で終わったと思っていた。しかし大国どうしの軍拡競争と入れ替わるように、2001年の同時多発テロに象徴される「非対称な戦争」の時代に突入した。いつ空から降ってくるかわからない兵器の脅威が影を潜めると、日常生活の中でいきなり牙を剥くテロリズムに怯える日々が始まった。自爆テロの恐ろしさは、未然に防ぐ術がないところにある。本来ハイジャックの成功率が低いのは、犯人にとって逃亡経路を確保する道が極めて限られているせいだ。しかし、ハイジャック犯がそもそも逃亡を意図してない場合は、悲劇的な結末が待っている。

核抑止力は、世界を破壊し尽くす強大な軍事力を前提に成立する。全人類を人質にとった自爆テロ一歩手前の論理だ。キューブリックの『博士の異常な愛情』を引き合いに出すまでもなく、核抑止の均衡はひとりの狂人とわずかなシステムのほころびによってあっさり崩れる。キューバ危機のときは、ケネディとフルシチョフはぎりぎりで踏みとどまる理性があった。

プーチンはどこまで正気なのか?そこがよく見えないところが、少し不安だ。

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殿下のコピペ問題 [社会]

copy_and_paste.png悠仁親王の作文にコピペ疑惑が持ち上がり、静かに話題になっている。子どもノンフィクション文学賞に佳作入選した作品ということだが、一部で既存の文献と表現が酷似する箇所が見つかった。問題の内容を元ネタと比較すると偶然の一致というレベルではないので、盗用は明らかである。この疑惑に宮内庁は素早く反応し、参考文献の記載漏れという弁明で乗り切りたい様子だ。しかし文献引用という認識があったのであれば、本文中でも地の文と区別できるよう転載するのが筋である(文学賞の「応募の注意」にもそう書いてある)。実際には文脈に溶け込む形で微妙に言い回しが変わっているので、むしろ剽窃の確信犯と自分で認めてしまっているに近い。

ご本人を批判する意図は全くない。まだ中学生なのだから、こういうのはやっちゃダメよと周りの大人が適切に指導すればよい。しかし「周りの大人」が実際にやっていることはその真逆だ。宮内庁の対応は、あなたの粗相は私たちが尻拭いさせて頂きます、という悠仁さまへのメッセージにほかならない。本来なら、本件は秋篠宮両殿下が厳しくご指導されました、悠仁親王殿下も反省なさっています、となるのが正しい。

文学賞を主催する北九州市立文学館も歯切れが悪い。剽窃は単なるうっかりミスではないし、そもそも「応募の注意」に違反しているのだから、受賞を取り消して然るべきである。しかし主催側は撤回は考えていないと表明している。将来の皇位継承者からいったん与えた賞を取り上げるのに及び腰なのはわからないでもないが、そのような立場の彼だからこそ、うやむやにしないほうが良いのではないか。コピペで賞を取った過去を大人になってから掘り起こされて迷惑するのは、悠仁さまご本人である。

彼は筑附の入試関連でもいろいろ取り沙汰されており、注目度が高いぶん苦労も多かろう。その心労をむやみに増やさないためにも、周りの大人がもっとちゃんとしてあげないといけないんじゃないか。

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オリンピックマスコット [その他]

BingDwengDweng.jpg北京冬季オリンピックのマスコット「ビンドゥンドゥン」の人気が急上昇しているようである。一見パンダがガラスの壺にハマって身動きできなくなっているようにも見えるが、オリンピック公式サイトによれば氷を模した宇宙服状のコスチュームをまとっているのだそうである。目力にかすかな狂気を感じさせるが、ちょっと昔までは遊園地でドラえもんやミッキーに似ていなくもない雑な着ぐるみキャラクターが徘徊していた国であることを思えば、じゅうぶん及第点のゆるキャラと言えよう。

過去のオリンピックのマスコットは公式サイトで確認できるが、正直のところどれもあまり記憶に残っていない。オリンピックは高邁な理念とか国威発揚などあれこれ使命を引きずるから、マスコットも背負わされるものが多くどうしてもデザインが理屈っぽくなる。あれもこれも詰め込もうと思うと、奈良県の「せんとくん」のように化け物感が表に出てしまう(実際にロンドンオリンピックの一つ目マスコットなど妖怪感が全開である)。幅広い人気を獲得するゆるキャラの共通点は容姿に無理がないことで、「熊本者だからくまモン」みたいに一発芸で攻める方が筋がいいし見た目も普通にかわいい。

直近では、東京オリンピックのミライトワがその「影の薄さ」ゆえに話題になった。東京オリパラは開催直前まで運営サイドの炎上案件が続出したので、とばっちりを恐れて露出を控えていたのかもしれない。ミライトワ自身に特段の問題があったとは思わないが、何の生き物かすらよくわからないし(デジタル世界で生きているのだったか?)、ぬいぐるみにして抱きしめたいと思わせる愛情喚起力は弱かっただろうか。反面、ビンドゥンドゥンは単なるパンダなのでわかりやすい。結局、デザインに余計な思想をあまり詰め込まなかったことが人気の勝因ではないかと思う。

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ルールの運用 [スポーツ]

北京冬季オリンピックが、メダル以外の話題でいろいろ巷を賑わせている。たとえば、高梨沙羅選手を傷心の淵に追い込んだスーツ規定違反の問題。スキージャンプ混合団体でいきなり大量失格者が出たので舞台裏で何かが起こったのは間違いないが、規定そのものが急に変わったはずはないから、判定者の裁量がもたらした混乱のようである。

ふつうの職場でも、経理に異動してきた職員が規定遵守の鬼で、昨日まではギリOKだった事案に次々とダメ出しを突きつけるようになった、というようなことはある。ルールが客観的でも運用するのは人間だから、主観的な幅が生じる。その幅を完全にゼロにすることは難しいとは言え、なるべく曖昧さが小さく済むように運用の仕方を細かく決めておくことは、公平性確保の上では大事だ。その点、スキージャンプのスーツ問題はどうだったんだろう。オリンピックのジャッジが経理部の職員よりはるかに厳しい中立性を要求されることは言うまでもない。

snowboard_halfpipe.pngハーフパイプで金メダルを獲った平野歩夢選手の「決勝二回目」問題も物議を醸した。「史上最高」のルーチンをこなしながらスコアが理不尽に低く、ジャッジがブーイングを食らった。ハーフパイプでは6人のジャッジが点数を付けて、最低点と最高点を除いた4人分の平均点でスコアが決まる。平野選手の決勝二回目のスコアは96,92,90,89,95,90で、96点と95点をつけたスウェーデンと日本のジャッジを除く4人は軒並み低めの評価だ。全く同じルーチンで望んだ三回目は、 98,95,96,96,97,95と全員が評価を上げ平野選手の優勝が決まった。私はハーフパイプの技術論には何の知識もないが、数字だけから見る限り二回目は1人や2人のジャッジの不可解判定というわけではなく、4人が一致して評価を下げた「何か」があったはずだ。それが何だったのかはちゃんと公に説明されるべきだ、というのは平野選手自身が試合後に述べたことでもある。

ROCのワリエワ選手のドーピング違反が発覚したが、年齢や問題の検体採取時期を理由に出場続行は許された。当然フィギュア界隈は騒然としている。キム・ヨナさんはインスタに漆黒の画像とともに抗議の声を投稿した。
Athlete who violates doping cannot compete in the game. This principle must be observed without exception. All players' efforts and dreams are equally precious.
敢えて個人を名指しをしなかった批判の矛先はたぶん、疑惑の選手本人よりもその背後でうごめく黒く巨大なシステムに向けられているのではないか。15歳のワリエワ選手が独断で暴走し禁止薬物に手を出したとは考えにくい。選手生命が始まるころにはすでにシステムの歯車に飲み込まれている、暗い宿命。キム・ヨナさんの最後の文章「全ての選手の努力と夢は等しく貴い」には、二重の告発が込められているような気がしてならない。

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日本に来られない留学生の話 [社会]

syukkoku_nyukoku_japan.pngコロナ新規感染者数は相変わらず多いが、増加率は頭打ちになった。東京都では7日移動平均の増加比が100%を切り(都のモニタリングサイト)、下り坂に入りつつある。揺り戻しがないという保証はないが、感染拡大はひとまず山場を超えた気配はある。そんな中、ビジネス目的の入国者や留学生などを対象に水際対策の緩和を検討すると岸田首相が発表した。ようやくか、と少し安堵している。

大学で教える立場にいる人間としては、留学生への配慮が一番気になる。私のところにも、昨年4月に入学したもののいっこうに来日できない博士後期課程の留学生がいる。研究能力もモチベーションも高く、毎週Zoomで進捗を聞くたびにどんどん先に進んでいる。大学の日本語クラスをネットで受講していて、会話のはざまに時々ぶっこんでくる日本語が日々少しずつ上達を見せている。明るく前向きな性格でいつも元気いっぱいだが、日本政府がいったん再開した留学生の入国手続きをオミクロン対策で再停止した直後はさすがにがっかりした様子で、気丈に振る舞う彼女の姿に心が痛んだ。

彼女が住む台湾は日本よりもずっと感染状況は落ち着いているし、本人はワクチンも二回済ませている。日本にやって来る留学生出身国の上位3カ国は中国・ベトナム・ネパールで、いずれの国も直近の人口あたり新規感染者数は日本より少ない(第6波以降は日本と韓国がダントツで東アジアのワーストに躍り出た)。水際対策という点で、日本国内より感染リスクが低い国から来る人たちを一律に入国拒否する合理的な理由はない。日本で学びたいという隣国の若者の熱意を身近に感じる一人として、早く留学生の入国プロセスを再開してほしいと率直に思う。

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あれから50年 [その他]

ski_jump.png北京の冬季オリンピックが始まった。スキージャンプの小林陵侑選手がノーマルヒルで優勝し、今大会で日本勢初の金メダルをもたらした。オリンピックで日本のスキージャンプ選手が優勝したのは1998年長野大会以来、ノーマルヒルに限れば1972年の札幌大会(当時ノーマルヒルは70m級と言った)以来の快挙だという。札幌大会の70m級では日本人選手が金銀銅をもぎ取って表彰台を独占し、全国が歓喜に湧いたであろうことは想像に難くない。今なら〇〇ジャパンとでも連呼されていたかもしれないが、当時の呼称は昭和臭も豊かな「日の丸飛行隊」だったようである。奇しくも小林陵侑選手の金メダル獲得と同じ2月6日の日曜日、ちょうど50年前の出来事であった。

子供の頃、生まれた日の新聞一面のコピーを販売するサービスを書店の片隅で見かけた。元手がかからないわりに法外な値段だ、とぼやきつつ親が買ってくれた紙面コピーを、しばらく大切に取ってあった。結局失くしてしまったので記事の詳細は記憶にないが、モノクロ紙面のセンターで満面の笑顔を輝かせる三人の男性の姿だけはおぼろげに覚えている。1972年2月7日の朝刊はもちろん、前日に五輪の表彰台で肩を寄せ合う日の丸飛行隊の勇姿を伝える内容だったはずである。とは言え当日生まれたばかりの本人には、日本の冬季オリンピック史上に燦然と輝く大記録の瞬間を覚えているはずもない。

戯れに同じ2月7日生まれの有名人を探すと、聖徳太子の生誕が西暦換算で574年2月7日ということだそうである。聖徳太子と同じ誕生日とはつい自慢したくなる話だが、もともと真偽不明な伝説の多い人であるし、6世紀の記録にどこまで信ぴょう性があるのか定かではない。現代の著名人では、ノーベル物理学賞の故益川敏英博士や俳優の向井理さんが同日生まれである。ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんは1972年2月7日生まれで、歳も同じだ。むかし従兄弟にその話をしたら、「いいとこ全部もってかれたんちゃうか」と言われた。

49歳と50歳の最大の違いは、十の位を四捨五入すると100歳に繰り上がってしまうことで、まだ若いという苦しい言い訳はもはや通用しない。一生の折返し地点をとうに過ぎたことは別に構わないのだが、50年も生きたわりに人間の中身が追いつかない我が身を振り返ると気が滅入る。だが葛飾北斎は90歳を目前に亡くなる間際、あとせめて5年あれば真の絵描きになれたのにと言ったと伝えられている。北斎ですらそうだったのであれば、凡人が齢50で一人前などおこがましいにも程がある。人生まだ始まったばかりと思えば、いくらか気が楽になる。

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予測と予報 [科学・技術]

job_otenki_oneesan.png天気予報という言葉は普通に使われるが、天気予測とはあまり聞かない。一方、地球温暖化の話で出てくる将来気候予測は「予測」であって、温暖化予報とは言わない。英語でもweather forecastとclimate projectionは言葉を使い分けるので、予報と予測には明確な意味の違いがある。字面の通り、予報には人々に「報せる」ニュアンスが表に出ている。予測はシミュレーションやデータ解析のような純粋な知的作業だが、予測が描く近未来の姿を周知する社会的行為が予報だ。気候予測が「予報」でないのは、数十年後の気候は人類の意思決定次第で変わりうるので、「報せる」べき将来像はまだ白紙というメッセージだと私は思っている。

密やかに天気の予測をするのは自由だが、天気を勝手に「予報」すると法に触れる恐れがある。予報の仕事を行うには気象業務法にもとづく許可が必要で、事業者は一定人数の気象予報士を配置する義務がある。気象予報士の資格は、単にお天気キャスターの登竜門にとどまらない大事な役割があるのである(合格率5%前後の難関だから、もちろん尊敬に値する資格であることは間違いない)。勝手に予報してはいけないのは大学や研究機関で気象の研究に従事する専門家でも同じことで、いくらその道のプロだからと言え無許可で明日の天気を公的に発信すれば、気象庁に叱られる。それは天気予報が社会的影響力の大きい情報だからで、いい加減な予報を出せば場合によっては人命に関わる事態になりかねないから、国レベルで徹底したクオリティコントロールに努めている。予報には責任が伴うのである。

例えば株価予測はあくまで予測であって、予報ではない。明日の値動きを責任を持って予想できると公言する人がいたら、たぶん詐欺師かインサイダーである。気象は物理現象なので方程式があるが、株価はそうはいかない。明日世界のどこで何が起こるかわからないし、数多いるトレーダーの思惑を正確に先読みすることは難しい。コロナの感染予測も、予報と呼ぶには依然として未熟だ。感染症の数理モデルに方程式はあるが、次々と現れる変異株のパラメータをその都度正しく組み込むのは至難の業だし、想定困難な人の動きに左右される点では天気予報より株価予測に近い。感染予測がピタリと当たった例はあまり記憶にないが、心が折れず予測に挑み続ける関係研究者のメンタルの強さには頭が下がる。

あちこちの研究グループがコロナ感染予測を個別に発信しているが、誰かが取りまとめて一度に公開してはどうだろう。モデルによって予測カーブがバラバラで収集はつかないだろうと思うが、少なくともその違い程度の誤差はあるわけだから、ばらつきを不確実性の指標として一緒に開示する方が建設的である。IPCC報告書では何十年も前から世界の研究者が顔を突き合わせてそういう努力をしている。コロナのパンデミックは始まってまだ2年なので経験値が無いのは仕方ないが、いずれ気候研究業界のような実例を参考に研究コミュニティが協働する体制を作る必要があるんじゃなかろうか。

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ピークアウト [語学]

枕詞で「感染拡大が止まりません」と言うニュースキャスターが少なくない。嘘ではないが、ちょっと浅薄な表現かなと思う。感染者数は依然として増えてはいるものの、実効再生算数はだいぶ前から減り続けている。つまり感染拡大の速度は鈍ってきているわけで、「止まりません」というほど悲観的な状況でない。2月上旬をピークに新規感染者数は減少に向かうという見立てもあるようで、本当にそうなるのか誰にもわからないが、希望的観測としては早く落ち着いてほしい。

graph10_oresen1.png新規感染者数が山場を越えると「ピークアウト」したなどと言ったりする。試しにちょっとググるとこれは和製英語だという見解が大勢を占め、このニュアンスでpeak outと言うのは誤用という意見が主流だ。peakを動詞で使うときは関数などが最大値を取る意味になり(the function peaks at x=3)、頂点が突き出るイメージを強調するためにpeak outと言うことはあるが、山場を越すニュアンスとは違うということである。同じ発音でpeek outという全く別の言葉があって、物陰から外を覗く意味のほかスマホがポケットからぴょこっと顔を出している場合にも使える。outが飛び出すイメージを喚起しているわけだ。

ただ、日本語で言うピークアウトが必ずしも英語として間違いとは言い切れない。昨年の夏の話だが、アメリカ国立衛生研究所(NIH)所長のコメントにこんな表現がある(参考)。
This is going very steeply upward with no signs of having peaked out.
Thisとは(今や懐かしい)デルタ株の新規陽性者数のことで、明らかに「頭打ちになったという兆候はない」という意味でピークアウトと言っている。他にも、(私の誤読でなければ)株価の動向が天井を打ったという文脈でピークアウトを使う記事はいくつか見つかる(例1例2)。いずれの例でも完了形になっているのがミソで、「have peaked」と言うだけでピークは過ぎた読めるところを、敢えてoutで強調している。

outには物理的に「外」を意味するほか、ものが消えて無くなる意味合いでも使う。吹雪で視界が真っ白になるwhiteoutとか、停電で真っ暗になるblackoutがその例だ。論文を書くときに重宝するout関連の言い回しがいろいろあって、二つ以上の効果が相殺してチャラになるcancel out、数値を平均しデータの凸凹が取れるaverage outなどはよく使う。本来なら、ピークは越えることはあっても消えることはない。それでも敢えてpeak outと言いたくなるのは、コロナの高波が早く消え去ってほしいという人類共通の願いが図らずも滲み出すせいかもしれない。

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