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一平さんの事件 その2 [スポーツ]

fashion_baseball_cap2_blue.png大谷翔平選手の会見が行われた。水原さんの違法賭博事件について、大谷選手は全く関知していないという「公式」版のストーリーを裏付ける証言に終始した。すなわち、水原さんが数か月から一年にわたり大谷選手の口座に無断アクセスを繰り返して大金をくすね、メディアの追及には(どう考えてもすぐにばれる)嘘を作り込んで語り、一方で大谷選手はつい先週までその異常に全く気付かなかった、ということである。もし水原さんが確信犯的な(しかし絶望的に詰めの甘い)詐欺師で、大谷選手が資金管理や身辺の異変にまるで無頓着な無類の野球バカであった、ということなら、(いろいろと残念だが)あり得ない話ではない。

だがどうにも腑に落ちないのは、大谷選手が真相を知ったのがドジャーズのチームミーティングの場だったという証言である。それに先立ち代理人が問題を把握していたことを、大谷選手自身が語っている。チームに対して話が明かされる前に、当事者である大谷選手に代理人から何の説明もなかったということがあり得るだろうか? チームミーティングで大谷選手が困惑したという話は既に報道で出ていて、彼が「知らなかった」ことを印象付ける演出めいた匂いを感じていた。大谷選手は水原さんがメディアの取材に応じたことを事前に聞いていなかったと会見で述べているので、彼がチームミーティングで知って驚いたのはそっちなのではないか、という憶測も成り立つ。

ところで、今回の騒動は大谷選手を巡る日米の温度差を図らずも浮き彫りにしたように思う。日本人の目に映る大谷選手は、野球の本場アメリカで頂点を競う国民的英雄である。日本のメディアはシーズン前から大谷選手の一挙手一投足に注目し、キャンプで勢い余ってトレーニング器具を引きちぎるだけでニュースになる。しかしアメリカ国内では、エンゼルスやドジャーズのコアなファンならともかく、大谷選手は数多いるメジャーリーガーの一人に過ぎない。野球にとりたてて関心のない多くの米国人は、名前は知っていても大谷選手に何ら特別の思い入れはない。

それはちょうど、日本人にとってのモンゴル人力士のようなものではないか。現役時代の朝青龍は、モンゴルの人たちには日本の国技に乗り込み横綱として君臨する英雄であった。だが、生粋の相撲ファンを別にすれば、日本人の大半にとって朝青龍は「ああ、あの力士ね」くらいの存在に過ぎなかったはずだ。いろいろとやんちゃな素行に事欠かなかったので、どちらかというとネガティブな印象を持つ人も多かったかもしれない。もしモンゴル力士が日本の角界で話題をさらうことを密かに快く思わない人がいたとすれば、同じことは大谷選手がアメリカでどう受容されるかについても言えるのである。

その意味で、水原さんの事件により大谷選手はかなり微妙な状況に追い込まれている。もし彼が水原さんの窮状を見かねて借金を肩代わりしたのが真相だったとしても、それが感涙の友情エピソードとして処理されるほど米国人は大谷選手に愛着はない。大谷選手の代理人はそこに美談を見なかったからこそ、大谷選手を水原事件から完全に切り離す作戦に打って出たのだと思っていた。大谷会見後の今も、その印象は払拭できていない。

或いは、大谷選手側の主張どおり一から十まで水原さんが水面下で仕組んだ犯行だったのかもしれない。だがいずれにせよ、質疑なし12分の会見が大谷選手の名誉回復にどれだけ寄与したか、その効果はあまり見えない。大谷選手に非がある話ではないのに、誠意に欠けるような印象を与えかねない対応戦略は大丈夫なのか、とか他人事ながらいろいろ心配している。

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一平さんの事件 [スポーツ]

money_satsutaba.png水原一平さんのドジャーズ解雇という報道に仰天した。大谷翔平選手の専属通訳で良きバディだったはずの水原さんが、違法スポーツ賭博に手を出したばかりか、損失の穴埋めに総計数百万ドルに及ぶ大金が大谷選手名義で送金されたというのである。大リーグ開幕戦の祝祭感も吹っ飛ぶ、破壊力全開のニュースだ。ドジャーズお膝元のLos Angeles Timesとスポーツ系チャンネルESPNの記事をざっと読むと、だいたい次のような経緯が浮かび上がる。

捜査機関はまだ表立った動きがなく、メディアのスクープが事件発覚のきっかけだった。大谷口座からの送金データに異変を察知したESPNの取材に対し、水原さんは初め大谷選手の同意のもと損失を埋め合わせてもらったと語った。そのとき大谷選手は明らかに不満げであったが、水原さんが足を洗えるならと送金に同意した、ということである。ところが取材の翌日、大谷選手は何も知らなかったと水原さんは前言を翻した。これを裏付けるように、大谷側の弁護士は大谷選手を水原さんによる「窃盗の被害者」とする声明を出した。胴元側は弁護士を通じ大谷選手と直接の接触はなかったと明言しており、大谷選手自身が賭博に関わっていない点では証言が一致している。

現時点では、相容れない二つのシナリオが共存する奇妙な状況にある。大谷選手が自らの意志で水原さんの擦った金を肩代わりしたという当初の説明と、そうではなくて水原さんが無断で大谷選手の金を使い込んだという話である。公式には、関係者の証言は後者のストーリーに収束する様相を見せている。これが事実なら、大谷選手が補填を承諾したという最初の説明が水原さんの真っ赤なウソだったことになり、破廉恥の誹りも免れない事態である。

しかし、窃盗説にはいろいろ不可解な点がある。ESPNが把握した送金記録は昨年の9月と10月(各50万ドル)だそうだが、それほどの規模の「窃盗」が持ち主に何カ月も気付かれずに済むだろうか? そもそも、プロのハッカーでもない一般人が他人の口座に手を付けられるだろうか? 水原さんが大谷選手の資産管理を一任されてでもいない限り、かなり無理のある話に聞こえる。

カリフォルニア州では、スポーツ賭博は違法である。水原さんは違法性を知らなかったと証言しているが、ドジャーズの一員であった立場を考えると妙に脇が甘い。あり得る可能性としては、彼のギャンブル癖に目をつけた胴元が、言葉巧みに合法性を装い水原さんを巻き込んだのかもしれない。スポーツ賭博の経営者からすれば、名門球団のインサイダーを取り込む旨味は大きいはずだ。水原さん自身はさすがにメジャーリーグの賭けには関与していなかったというが、大金を擦った弱みに付け込み情報提供者のように顧客を利用する下心が胴元側にあったとしても、不思議ではない気がする。

もし大谷選手が事情を承知で送金を許したのだとすれば、下手をすれば違法賭博に手を貸した嫌疑をかけられる。そのリスクを断ち切るため、大谷選手の弁護士は窃盗被害という落としどころで話を整理したがっているように見える。水原さんにとっては、賭博と無関係の大谷選手を道連れにするのは本意でないはずだから、自分が窃盗の罪を被る覚悟を決めたのかもしれない。ESPNに直撃された当初は、動揺のあまり大谷選手に降りかかる火の粉まで想像が及ばず、経緯をそのまま話してしまったのではないか。

大谷選手はたぶん、窮地に陥った友人を救いたかっただけなのではと想像する。結果として違法賭博に加担してしまうように見られるリスクが彼の頭によぎったかどうかは、わからない。ただ、二人の関係としてわれわれが知るパブリックイメージから察するに、進退窮まった水原さんが大谷選手を裏切り私財を着服したという物語より、リスクに思い至らず(あるいは承知で)大谷選手が水原さんに手を差し伸べたシナリオのほうが、何だかありそうな気がするのである。

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大谷翔平のグローブ [スポーツ]

大谷翔平選手が、全国の小学校に総計約6万個のグローブを寄贈すると発表した。スケールのデカい話だが、今回書きたいのはそのこと自体ではない。大谷選手がインスタで公開した日英併記のメッセージに興味を引かれたのである。次のような下りがある。
このグローブを使っていた子供達と将来一緒に野球ができることを楽しみにしています!
これに相当する英文はこれである。
I’ll be looking forward to sharing the field one day with someone that grew up using this glove!
基本的な文意は共通するものの、いくらかニュアンスが違う。

sport_baseball_glove.png日本語は「子供達と将来一緒に野球ができること」というほのぼの感が前面に出ていて、(イチロー選手がやっているように)高校球児を指導に来て一緒にキャッチボールに興じるような印象をうける。一方英文は「このグローブを使って育った誰かといつか共に球場に立つこと」と言っているから、むしろメジャーリーグでガチな試合の緊迫感を分かち合いたいのではと思わせる。大谷選手が書いた原文は日本語と思うが、英訳の過程で「子供達」という不特定多数の意味合いが薄まり単数形の「someone that grew up...」に化けたのはなぜか?機械的な直訳ではまず出てこないニュアンスの変化で、日本語と英語の双方をよく理解している誰か(水原さんか?)が意図して訳出してこうなったはずである。

日本語のメッセージを見た第一印象として、6万個のグローブを使う子供のうち実際に大谷選手と「将来一緒に野球ができる」子はごく僅かだろうなあ、と思った。もちろん、リップサービスとしては充分成立する。ただ、本当に将来メジャーリーガーになって大谷選手と(彼の現役中に)対戦できる人材となると、それこそ通算で数人いるかいないかのレベルだ。そこまであからさまに対象を限定してしまうと、リップサービスとしても無理がある。

邪推だが、大谷選手はわざと日本語と英語で建前と本音を使い分けたのかもしれない。日本は人を才能で特別扱いしたがらないある種の平等至上主義が根強いので、「選ばれし誰か」よりも「子供達」全体に語り掛ける方がウケがいい。そこで、日本語では無難な公式メッセージを発しつつ、英語には(彼の意を汲んだ水原さんの助けを借りて)密かな本音を込めたのではないか。大谷さんは本心では、いつかメジャーの球場で「大谷選手のグローブ、昔使いました」と言ってくれる若手選手に出会いたいんじゃないだろうか。

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0.1秒 [スポーツ]

sports_starting_blocks.pngブダペストで開催中の世界陸上をテレビで見ていて、短距離種目のフライング検出精度に驚いた。今さらながら調べて分かったのは、号砲から0.1秒以内にスタートブロックに圧力が加わるとフライング判定されるシステムが自動化されているそうだ。音を聞いてから筋肉が反応するまでには、一定の応答時間がかかる。その生理的限界を超える0.1秒以内にスタートしたら号砲前に飛び出したと見做す、という理屈だ。

以前、オンライン越しに楽器のアンサンブルを合わせる難しさについて書いた(『心の同期』)。遅延が0.1秒ちょっとのZoomでは、会話はできても合奏はまるで成立しない。YAMAHAが提供するSyncroomというツールがあって、リモート演奏の遅延をハード的に可能な下限近くまで抑えてくれる。それでも、対面でアンサンブルをする一体感には遠く及ばない。それを考えると、0.1秒は人間の認知機能にとって決して無視できないのでは、という疑問が生まれる。

もっとも、音楽の場合は別の奏者を聞いてから自分の音を出しているわけではない(この話題は別記事『伴奏ピアニスト』で触れた)。心の中で刻むリズムが全員でピタリと合う一体感が、アンサンブルの醍醐味だ。音が物理的に聞こえてから合わせるのでは、間に合わない。初めはわずかな遅延でも、たちまち連鎖し音楽が空中分解する。号砲を聞いてからスタートを切るアスリートは、その点でちょっと事情が違うかもしれない。

とは言え、フライングの0.1秒ルールが本当にフェアかという議論は絶えないようである。不意の外部刺激にコンマ1秒で反応することは難しいとしても、音楽家が心のリズムで精緻なアンサンブルを奏でるとき、0.1秒を優に切る精度でタイミングを図っているはずだ。世界の一流選手はたぶん、On your marksからSetの流れで極限まで高まる緊張感の中で、号砲が響く瞬間に向けて無意識に「リズムを取っている」のではないか。それが結果として号砲の瞬間とピタリと合ってしまったら、確信犯的な故意はないのに、機械的にフライングを取られることになる。タイミングが「音楽的に」完璧であるほど、フライングと原理的に区別されなくなる。素人目には、酷なルールだなと思う。

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ルールの運用 [スポーツ]

北京冬季オリンピックが、メダル以外の話題でいろいろ巷を賑わせている。たとえば、高梨沙羅選手を傷心の淵に追い込んだスーツ規定違反の問題。スキージャンプ混合団体でいきなり大量失格者が出たので舞台裏で何かが起こったのは間違いないが、規定そのものが急に変わったはずはないから、判定者の裁量がもたらした混乱のようである。

ふつうの職場でも、経理に異動してきた職員が規定遵守の鬼で、昨日まではギリOKだった事案に次々とダメ出しを突きつけるようになった、というようなことはある。ルールが客観的でも運用するのは人間だから、主観的な幅が生じる。その幅を完全にゼロにすることは難しいとは言え、なるべく曖昧さが小さく済むように運用の仕方を細かく決めておくことは、公平性確保の上では大事だ。その点、スキージャンプのスーツ問題はどうだったんだろう。オリンピックのジャッジが経理部の職員よりはるかに厳しい中立性を要求されることは言うまでもない。

snowboard_halfpipe.pngハーフパイプで金メダルを獲った平野歩夢選手の「決勝二回目」問題も物議を醸した。「史上最高」のルーチンをこなしながらスコアが理不尽に低く、ジャッジがブーイングを食らった。ハーフパイプでは6人のジャッジが点数を付けて、最低点と最高点を除いた4人分の平均点でスコアが決まる。平野選手の決勝二回目のスコアは96,92,90,89,95,90で、96点と95点をつけたスウェーデンと日本のジャッジを除く4人は軒並み低めの評価だ。全く同じルーチンで望んだ三回目は、 98,95,96,96,97,95と全員が評価を上げ平野選手の優勝が決まった。私はハーフパイプの技術論には何の知識もないが、数字だけから見る限り二回目は1人や2人のジャッジの不可解判定というわけではなく、4人が一致して評価を下げた「何か」があったはずだ。それが何だったのかはちゃんと公に説明されるべきだ、というのは平野選手自身が試合後に述べたことでもある。

ROCのワリエワ選手のドーピング違反が発覚したが、年齢や問題の検体採取時期を理由に出場続行は許された。当然フィギュア界隈は騒然としている。キム・ヨナさんはインスタに漆黒の画像とともに抗議の声を投稿した。
Athlete who violates doping cannot compete in the game. This principle must be observed without exception. All players' efforts and dreams are equally precious.
敢えて個人を名指しをしなかった批判の矛先はたぶん、疑惑の選手本人よりもその背後でうごめく黒く巨大なシステムに向けられているのではないか。15歳のワリエワ選手が独断で暴走し禁止薬物に手を出したとは考えにくい。選手生命が始まるころにはすでにシステムの歯車に飲み込まれている、暗い宿命。キム・ヨナさんの最後の文章「全ての選手の努力と夢は等しく貴い」には、二重の告発が込められているような気がしてならない。

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ジョコ問題 [スポーツ]

sports_tennis_racket_ball.png全豪オープンのためオーストラリアを訪れたジョコヴィッチ選手の立場が、二転三転している。ワクチン未接種で入国しようとしたが書類不備でビザを取り消され、処分の不服を訴え裁判を起こしたところ勝訴し入国できたところまでは良かった。ところがつい昨日夜、再びオーストラリア政府の権限でビザ取り消しの宣告を食らった。情報が錯綜気味でわからないことも多いが、いったい何が起こっているのか。

コロナ対策に厳格なオーストラリア政府は、ワクチン未接種者の入国を原則認めていない。医学的理由でワクチンを打てない場合は例外措置が適用されるが、反ワクチン派とされるジョコヴィッチ選手は健康上の事情があるわけではなく、昨年12月にコロナ感染した事実をもって例外措置を求めたと伝えられている。ところがオーストラリアは入国者に対しコロナ感染歴を未接種の理由とは認めていない。これは豪政府サイトにはっきり書かれている。
The Australian Department of Health advises that previous infection with COVID-19 is not considered a medical contraindication for COVID-19 vaccination.
もしジョコヴィッチ選手が直近の感染歴以外に未接種を正当化する理由を提示しなかったのだとすれば、入国拒否はやむを得ない。

ではなぜ裁判所はジョコヴィッチ選手の不服申立てを認めたのか。その経緯はBBCの記事が詳しい。法律論の詳細は難しくて理解できていないが、要はジョコヴィッチ選手が一時収監される際に政府側の杜撰な対応があり、そこを突いたジョコヴィッチ側弁護団の主張を豪政府が覆せなかったようである。つまり裁判で争点となったのは人権問題であり、ワクチン問題ではなかった。最近の報道では入国書類に虚偽の申告をしていたことが暴露され、ジョコヴィッチ選手の旗色は悪い。ご本人はうっかりミスと弁解しているそうだが、悪意があろうとなかろうと虚偽申告の罪は変わらない。つまるところジョコヴィッチ選手の自業自得という側面は否定できない。

泣く子も黙る世界のトッププレイヤーなだけに、注目度も大きい。12月に感染が判明した後あちこちのイベントにノーマスクで参加していたことが騒ぎになった。脇の甘い人だなあとは思うが、これ自体はオーストラリアの入国拒否問題とは関係ない。また現地の人にとっては、スター選手であれば特別待遇かと批判があったようである。結果的には、オーストラリア連邦政府はジョコヴィッチ選手を特別扱いしなかった。とは言え、普通の人は入国を拒まれれば大人しく送還されるほか選択肢がないわけで、国を相手に急遽裁判を起こす反撃が可能だったこと自体、彼が「普通の人」ではなかったからである。今後もまだ法的に対抗する余地はあるそうで、彼が果たして全豪オープンで戦えるのか、まだしばらくはジョコ問題が耳目を集めそうである。

個人的にはジョコヴィッチ選手のファンでもアンチでもないので、ただシンプルに「つべこべ言わずにさっさとワクチン打っとけばよかったのに」とだけ思う。国外退去命令が確定すれば今後3年間オーストラリアの入国ビザ取得が禁止だそうで、払う代償は大きい。

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開会に寄せて その2 [スポーツ]

figure_shouka.png今回の大会ほど、直前になって炎上案件が次々と持ち上がったオリンピックは記憶にない。つい数日前に記事を書いたときは、小山田問題のあとにまだ爆弾が潜んでいるとは思ってもいなかった。本番二日前に小林賢太郎氏の「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」コント問題が突然持ち上がり、これまでの案件ではノラリクラリだった組織委が、今回はまたたく間に鎮火に乗り出した。

問題のコントはノッポさんの『できるかな』パロディで、箱いっぱいの人型切り抜きを持ち出してきた設定のゴン太くんに「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな」と返し、その企画はプロデューサーから「放送できるか!」と怒られたというオチになっている。つまり放送禁止のタブーという暗黙の了解を前提に、あり得ないシチュエーションをシュールな笑いのネタにしたようである。しかし仮に外国のコメディアンが、広島・長崎の原爆投下をネタに「日本人大量惨殺ごっこやろうといった時のな、あ、これヤバいやつか」と笑いを取ったら、私たちはどんな心象を抱くだろうか。タブーとわかっていたのなら、もう少し心ある想像力を働かせていれば、あのコントにはならなかったのではないか。

欧米メディアの中には、小林氏の失言をAnti-semitic(反ユダヤ的)と表現した記事がいくつもある。この言葉には、ナチス・ドイツによるホロコーストは言うまでもなく、キリストの受難にまで遡る歴史的に根の深い諸問題が染み込んでいる。だから国際社会は、ユダヤ問題を揶揄する発言には極めて敏感だが、その緊張感は平均的な日本人にはなかなか想いが至らない。小林氏に反ユダヤの意図など微塵もなかったと思うが、欧米から見ればその無邪気さが逆に想像の埒外なのだ。ちなみに、この問題に抗議を表明したユダヤ系人権団体SWCのWWWページでは、小林さんと小山田さんの別案件をごっちゃにしている気配がある。色々な意味で、彼らの理解を超えているようである。(後日SWCのサイトは改訂され、小山田氏のいじめ案件と混同していた箇所は現在は削除されている。7月24日追記)

ちょうどオリンピックの開会式をテレビで見ながら、この記事を書いている。前半は少しダレ気味の感があったし、IOCの男爵は場が白ける冗長なスピーチでまたヒール感がパワーアップしたようだ。しかし、後半はかなり面白かった。競技ピクトグラムを敢えてアナログに再現するアイディアは新鮮で見事だったし、市川海老蔵と上原ひろみの異色共演が見られるとは思わなかった。コロナ禍のさまざまな制約の中でこれを造り上げた人たちの創意工夫と尽力に、頭が下がる。

聖火ランナーの最終走者が大阪なおみさんだったのは、いろいろあった組織委員会がひねり出した優等生的回答だなと思う。テニス界で名実ともに世界の先端を走るスター選手であり、BLM運動など社会の不平等問題に積極的な発信をする人である。オリンピックの精神に照らした組織委員会の「満点答案」が、彼女だったと言える。もっとも、テストで一番を取る子がクラスの人気者とは限らない。少なからぬ日本人は、吉田沙保里さん、王貞治さん、長嶋茂雄さんといった伝説アスリートを差し置いて大阪さんがトリに抜擢されたことに、微妙な後味を覚えたかも知れない。組織委員会は先生の顔色を伺うのに必死、という印象を新たにした幕切れだったと言うこともできる。

東京2020改め2021大会が(良い意味で)特別なオリンピックとして歴史に記憶されるか、今はまだわからない。ただ、紅白歌合戦の小林幸子のように年々ハードルが上がり続けたオリンピック開会式の演出を一旦仕切り直し、地味な手作り感に原点回帰するのもアリだと世界に示す機会としては、とても良かったと思う。

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開会に寄せて [スポーツ]

東京オリンピックの開会式が、今週金曜日に迫っている。紆余曲折を経てついに開幕を目前に控えたいま、相変わらず場外がいろいろ騒がしい。開会に寄せて、小ネタをまとめておきたい。

figure_depressed.pngウガンダの重量挙げ選手が失踪した。ウガンダ選手団全体が濃厚接触者として自己隔離したあとだったので、騒ぎはいっそう大きくなった。この選手は直近の世界ランキング変動の結果オリンピック出場資格を失ってしまい、一人帰国を余儀なくされていたそうである。だから逃げて良いわけではないが、はるばる東京までやってきた矢先に夢の舞台から門前払いを喰らい、心が折れてしまったのか。故郷の家族を支えるため日本で仕事を探したい、と書き置きを残していたそうで、その律儀さがなんだか切ない。しかし日本の就労許可はお持ちでないはずなので、早く見つかって連れ戻された方がご本人のためにも良さそうである。

バッハIOC会長の歓迎会が人数限定・飲食抜きで行われ、このご時世に浮かれるなと迎賓館の外では抗議デモが繰り広げられたそうである。メシなし酒なしの徹底した倹約レセプションを「男爵」ご本人が本心でどう思っていたかは知らないが、感染対策を取った上で地味にセレモニーを開くことに、異を唱える理由はない。好き嫌いは別にして客は客だし、賛成か反対かは別にして五輪は始まるのだ。取引先のボスが高飛車なヤツでも、契約にしがみつくと決めたのなら、ビジネスライクに礼儀は通さないといけない。

早くも選手村で感染者が見つかったようである。少なくとも入国時の水際対策が万全でないことは、あっさり証明されてしまった。少数の陽性者発生は想定内で、検査と隔離が速やかに回る限り、それ以上の飛び火は防げるだろう。だがゴキブリホイホイと同じで、そこで見つかるウイルスがいるなら、その陰で検査をすり抜けているウイルスもたぶんいる。選手や関係者の入村が本格化するのは今からだし、選手村の外でも五輪関係の人の動きはますます活発化していく。懸念の種は尽きないが、とにかくオリパラ感染が大惨事にならず大会が無事終わることを祈る。

開会式のクリエイターチームの一人、コーネリアスこと小山田圭吾氏の「障がい者いじめ」問題が炎上している。オリパラの理念にふさわしくないという辞任要求派と、90年代の雑誌記事を蒸し返して吊るし上げるべきではない、という擁護派に意見が割れるようである。この期に及んでまた「意識低い系」オリンピック関係者の醜聞かと思いきや、小山田氏が吹聴したとされるいじめの内容は見識を欠く若気の至りで流せるレベルではなく、その陰惨さ・おぞましさにドン引きする。しかし組織委の学習能力の低さは筋金入りで、今回も主催側ワンチームで留任をサポートする目論見だったようだが、結局辞めるハメになった。この展開は何度目だろう?これほど絶望的なまでに危機管理意識が欠落した組織委が、オリパラのコロナ感染対策を仕切っている現実は、空恐ろしくないか。ウガンダの選手よ、私たちも一緒に逃げて良いか?

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怒りとは理解の不足である [スポーツ]

sport_tennis_set.png大阪なおみ選手が、全仏オープンの試合後会見への出席を拒否して話題を呼んでいる。同じような質問ばかり繰り返され、ときに悪意を感じるような会見の場に辟易としているようだ。彼女のTwitterの一部がこれだ。

We’re often sat there and asked questions that we’ve been asked multiple times before or asked questions that bring doubt into our minds and I am not going to subject myself to people who doubt me.

最後の部分は「私を信じない人たちを前に自分をさらし者にはしない」のようなニュアンスか。私は普段テニスを観ないので、彼女(や他の選手)が会見の場でどんな嫌な思いを経験してきたのか具体的には知らない。だがこの顛末で何となく思い出したのは、今や懐かしいトランプ元大統領である。在職中のトランプ氏は、記者会見で意に沿わない質問が出るたびヘソを曲げて相手をフェイクニュース呼ばわりし、Twitterで一方的に発信することを好んだ。二人を同列に並べるつもりはないが、トランプ元大統領が大阪さんのツイートを読んだら、きっと我が意を得たりと膝を叩くのではないか。

オリンピックはそれを観る人が支えている、という話を少し前に書いた。プロテニス界も同じだと思う。大会の賞金や高額のスポンサー料は、そこに巨大市場があるからこそ存在する。もちろん、試合そのものはストイックな真剣勝負の場だから、純粋にスポ根だけをグランドスラムに求める硬派なテニスマニアも少なくないだろう。しかし、コートの外を含めた選手の人間像に触れたいファンは、たぶんもっと多い。試合後の会見は、そんな「市場」と選手をつなぐインターフェースである。たしかに、負けた選手に追い討ちをかけるような質問も出るかもしれない。しかし選手の心情を理解しないメディアに向き合うのも、有り体に言えばプロ選手の「仕事のうち」ではないか。

ここまで書いたところで、大阪選手が全仏オープンの途中辞退を決めたというニュースが入ってきた。長文のツイートで、彼女自身が患った鬱の苦しさも吐露している。自分の気持ちや意見を率直に表明するのは彼女の美点だと思うし、繊細で傷つきやすいことを責めようとは思わない。しかし大阪選手自身、彼女の社会的影響力の大きさをまだ測りかねているのだろうかとも思う。大阪選手の年収が女性アスリートで世界トップに躍り出たというニュースが駆け巡ったばかりだ。世界のあらゆるトップ・アスリートと同じように、彼女の存在もまた巨大マーケットの歯車とともに回り支えられている事実は、否定しようがない。

大阪選手が呟いたちょっと意味深なツイートに惹かれる。

anger is a lack of understanding. change makes people uncomfortable.

怒りとは理解の不足である。人は変化に馴染みたがらない。シンプルな金言だと思うが、それなら大阪さん自身が表明した「怒り」も、彼女の理解不足に端を発しているとも言える。聡明な人だから、一人のアスリートとしての矜持と彼女が依存する市場原理のあいだで軋む矛盾のはざまに、じきに落とし所を見出すことを期待している。

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五輪は誰のために [スポーツ]

rikujou_track_side.png東京オリンピック参加選手に、ファイザーがワクチンを無償提供する話が出た。これについてある日本代表選手が、他の人への危険を考えるなら打つが、正直不安はある、と率直な胸中を明かした。彼女の言う通り、ワクチンは本人の安全だけでなく他者への感染を防ぐのが目的だ。しかしコンディションの調整に細心の注意を払うアスリートの何割が、大事な試合の前に未知のワクチンを進んで打つだろうか。不測の副反応で体調が劣化するリスクと日本社会に感染を広げるリスクを天秤にかけたとき、どちらを優先するだろうか。先の選手は、命に大小はないのに選手が特別扱いされているように見られるのが残念、とも語った。だがワクチン問題はむしろアスリート自身にとっての踏み絵であり、オリンピック出場の特権と一社会人としての責任のはざまでどうバランスを取るかを問われているのではないか。

オリンピックの主役は誰だろう?もちろん、各国を代表する選手たちである。ではオリンピックは誰のためにあるのか?もちろん、アスリートだけのためではない。オリンピックは、競技を観戦する人々のためにある。コンサートやライブはそれを聴きに来る聴衆のために存在し、歌舞伎や演劇の舞台はそれを見に来る観客のためにある。もちろんアーティストにとってステージに立つことは、自分と向き合うパーソナルな真剣勝負の場でもあると思う。だがそれを観にやって来るファンなしには、イベント自体が成立しない。

それと同じことで、アスリートが頂点を目指して切磋琢磨する姿は美しいが、選手個人の自己実現や記録達成のために一兆円規模の運営費を要するメガイベントが開催されるわけがない。選手にとってオリンピックは山頂に聳え立つ神殿かも知れないが、その他大勢にとっては4年に一度のエンタテイメントだ。IOC最大のスポンサーがNBC(米国のテレビ局)である事実が象徴するように、そこに繰り広げられるドラマの「感動」を消費する大観衆が、オリンピックの存在を支えているのである。

世界がコロナ禍に苦しむ中でスポーツをやっていても良いのか、と自問する選手がいるという。個人的には、アスリートはスポーツをやるのが使命なのだから正々堂々と打ち込めばいい、と思う。池江選手に出場辞退や開催反対を促す声が届いているそうだが、若い現役選手にそんな重荷を背負わせるべきではない。一方、ハンドボール日本代表の土井レミイ杏利選手がテレビのインタビューで、無観客のオリンピックならむしろ開催しない方がいいと語っていた。一選手としてはオリンピック開催を望んでいるにちがいないが、観客やファンの応援なくして競技は成立しないという想いを強くお持ちのようである。オリンピックは誰のためにあるのか、深く考え続けてきた人なのだと思う。

さて大会主催側はというと、土壇場で完全無観客というカードを切ってでも開催にこぎつけたい思惑のようだ。彼らは誰のためのオリンピックをやろうとしているのか。IOCか?NBCか?無観客で大義が立つならそれでも良いが、感染予防の観点からは、国内の観客が集まることより、水際対策をすり抜け選手らが持ち込むウイルスのほうが厄介だ。

組織委員会は、今月予定されていたIOC会長の訪日を「緊急事態宣言が延長される中で来日していただくのは非常に難しい」という理由で断念したばかりだ。しかし現在の状況でVIP一人の接待すらままならないのなら、たった2ヶ月半後の東京で何万人もの選手やスタッフの行動をどうやって制御するつもりか?30を超える競技が同時進行するスポーツ大会でバブルを実施した例は、世界のどこにもない。プレイブックなる感染対策ガイドラインの策定が進んでいるが、マニュアルが揃っても運用が回らなければ何の意味もない。

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