SSブログ

オーケストラで弾きたい楽器 [音楽]

クラシックのコンサートのように客がずっと黙っている会場は、感染リスクが低いので過度に入場規制する必要はないんじゃないか、と以前書いた。実際、クラシックの演奏会や映画館など一部のイベントで満席まで客を入れられるよう、先週ガイドラインが緩和された。演奏する側は舞台上での密を避けるなど試行錯誤が続いているようだが、少しずつ以前の生活が戻りつつあるのは嬉しい。ただヨーロッパで感染が再び急拡大している国があるように、火種がいつどこに潜んでいるか分からず、相変わらず気が抜けないのが面倒だ。

music_cor_anglais.png学生の頃、友だちが乗るアマチュア・オケのコンサートをよく聴きに行った。自分もオケで弾きたいと羨ましく思っていたが、弦楽器も管楽器も何一つ満足に弾けない以上どうしようもない。トライアングルくらいなら叩けそうな・・・、と言うと打楽器をナメるなと叱られるだろうか。もし演奏の難度を度外視してオーケストラの楽器をどれか1つ弾けるようになれるとしたら、私はコーラングレ(Cor Anglais、通称アングレ)を吹いてみたい。

コーラングレはオーボエの仲間で、オーボエよりすこし低い音域をカバーする。どちらかと言うとマイナーな楽器で、『運命』とか『未完成』とか『悲愴』とか教科書に載りそうな超有名曲ではあまり耳にする機会がない。大半の管弦楽団ではオーボエ奏者が必要に応じコーラングレのパートを兼ねていると思うが、ベルリン・フィルにはDominik Wollenweberというアングレ専門の奏者がいる。たぶん出番の全くない舞台も多いと思うのだが、逆に選曲にアングレのパートがあるときは(ベルリン・フィルのコンサート・アーカイブで見かけた記憶の限りでは)彼の独壇場である。

コーラングレが活躍する一番有名な曲は、おそらくドヴォルザークの『新世界』二楽章だろうか。例の「遠き山に日は落ちて」の主題で、小学生のころ下校時にこの曲に見送られた人は多いはずだ。ロドリーゴ『アランフェス協奏曲』の第二楽章、ギターが爪弾く伴奏に乗せて有名なテーマを切なく歌いあげるのもアングレだ。低音の物憂げなダミ声から甘く透きとおった高音まで音色のスペクトルが幅広く、少し哀しげで息の長い旋律を奏でさせるとアングレの右に出る楽器はない。オーボエのような艶っぽさは控えめだが、酸いも辛いも噛み分けたような渋さと温かみが混じり合う響きがアングレの魅力だ。

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調第二楽章、ピアノのソロが奏でる夢のように美しいメロディーに続き、フルート、オーボエ、クラリネットと木管楽器が断片的に旋律を引き継いでいくが、再現部に入って主題をフルコーラスで任されるのは何を隠そうコーラングレだ。ここぞという聞かせどころで、木管の常連スター達を差し置き、大役を張るのである。シベリウスの『トゥオネラの白鳥』では、終始アングレのソロが音楽に物憂げな彩りを添える。ショスタコーヴィチはとりわけコーラングレに思い入れが強かったようで、彼の交響曲は印象的なアングレ・ソロの宝庫だ。とくに8番の一楽章と11番の最終楽章では、他のパートが軒並み弱奏ないし沈黙する中、アングレが3分超にわたりひとり切々と歌い続ける忘れがたいパッセージがある。登場の機会が少ない割に、聴きどころの美味しい役どころをさらっていくのは案外アングレだったりする。一般的な知名度は低いかも知れないが、少なからぬ作曲家がコーラングレに一目を置き、その独特な魅力を愛していたことはたぶん間違いない。

コーラングレは仏語で「英国の角笛」という意味で、英名はそのままイングリッシュ・ホルンという。この楽器の前身は、オーボエ・ダ・カッチャという主にドイツで普及したテナー・オーボエの一種と言われる。オーボエ・ダ・カッチャは大きく湾曲した独特の形状が特徴で、宗教画でよく描かれる天使が吹く角笛に似ていることがコーラングレの名の由来となった。しかし中世ドイツ語で「天使の」と「イギリスの」を意味する言葉はいずれもengellischで区別がつかず、勘違いのままイングリッシュ・ホルンという名が定着したという説が有力らしい。本来は「天使の角笛」なる高貴な名がついていたはずが、地味で
意味不明な誤訳に敢えて甘んじる慎み深さもまた、オーケストラの隠れた名脇役の品位に似つかわしい。

共通テーマ:日記・雑感