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必勝しゃもじ [政治・経済]

さほど野球に興味はないのだが、今回のWBCはさすがにシビれた。そのクライマックスを迎える準決勝と決勝に日本中が湧いていた最中、岸田首相がウクライナを電撃訪問した。その際に土産として持参したという「必勝しゃもじ」が物議をかもしている。

syamoji_mokusei.pngこのしゃもじ(杓子)は宮島の特産品で、古くは日露戦争に出征する兵士が厳島神社に奉納し無事を祈ったとされる。当時は極東の小国に過ぎなかった日本が大国ロシアに勝利した経緯を含め、広島が地元の岸田総理にとってゼレンスキー大統領に贈るうってつけの手土産と考えたに違いない。受け取ったウクライナ政府側は、「何だこれ?」と思いつつ客人の贈り物だからとりあえずその辺に飾っておくか、くらいの感覚ではなかったかと想像する。だが一般日本人の視点では、ビミョーな違和感を拭えない。言葉を失うような悲劇に直面する人々に深い共感を伝えるべき局面で、なぜ「必勝しゃもじ」なのか。

首相が訪問先に手土産を持参するのは普通の慣習だ。故安倍元首相はトランプ元大統領にゴルフクラブをプレゼントした。岸田総理のしゃもじも、「普通」の延長で決めた手土産なのだと思う。違和感の元凶はたぶん、普通でない状況に置かれた相手に「普通」の感覚を平気で持ち込む無邪気さにあるのではないか。無理やり例えるなら、年の瀬に参列した告別式で、香典と一緒にお歳暮を置いてくるような神経。永田町の常識ってそういうものなんだろうか。

隣国ポーランドで総理の一行が列車に乗り込む際、うまい棒の段ボールが積み込まれる様子が確認されていた。報道によれば、その中身が総理ご自慢の杓子だったそうである。意図のわかりづらいしゃもじを置いてくるより、いっそのこと箱いっぱいのうまい棒を進呈した方が、気持ちは伝わりやすかったかもしれない。

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1%未満 [社会]

日本もようやくマスクの着脱は個人の判断ということになった。とはいえ、そもそも我が国でマスク着用が法的に義務化されたことは一度もないから、もともとお願いベースだったものが取り下げられたに過ぎない。お願いを解除されたところで、どう対応すれば正解なのか今一つ釈然としない。で、大方の予想通り、市中のマスク率は大して以前と変わっていない。

人前でマスクをしないことに何となく罪悪感を感じるようになってしまったご時世だが、当たり前すぎて見過ごされがちな事実が一つある。周囲の誰も感染していなければ、マスクはしてもしなくても全く同じということだ。現時点で一日の新規感染者数は1万人を切っている。コロナに感染した人が治るまでに1週間ほどかかるとざっくり仮定すると、およそ7万人弱の感染者が国内にいることになる。単純に人口1億2500万で割ると、0.05%くらいだ。実態として検査の数値より数倍の感染者が存在するとしても、1%に遠く及ばない。

rain_kasa_black_close.pngもし日常的に数百人とか千人規模の不特定多数の人と長時間喋ったり会食したりする人がいるなら、その中に一人以上コロナ罹患中の人がいるかもしれないから、感染対策は気にした方がいい。そうでなければ、今では身近に感染中の人を見つけ出すほうがよほど難しい。花粉症の人と素顔を晒したくない人は別として、現在の感染状況でマスクを常時着用するのは、降水確率1%未満の快晴の日に頑なに雨傘を差しながら歩くメンタルと変わらない。

西洋の傘はもともと日傘が発祥で、雨傘として用いられるようになったのは18世紀のイギリスだそうである(以前書いた)。女性のアイテムであった日傘から転用された当初、男性が差す雨傘は奇異の視線を浴びたと聞く。だがやがて、単に雨を凌ぐ道具を越え英国紳士の嗜みの一つとして定着した。日本人にとってのマスクは、今やジェントルマンがステッキのように愛用する蝙蝠傘に匹敵するセンターポジションを獲得したようである。

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新幹線の車内放送 [語学]

以前は最低月一回くらいは東京出張が入っていたが、コロナ禍に入ってからの二年間、全くというほど新幹線に乗る機会を失った。昨年後半あたりから少しずつ国内外を移動する日々が戻りつつあるが、久しぶりに東海道新幹線に乗って気付いた変化がある。車内の英語アナウンスである。

school_housouiin_girl.pngコロナ前は、軽い英国アクセントの車内放送(実際に音声を入れたのはオーストラリアの人らしいが)を聞き慣れていたのだが、それがなくなった。代わりに、発音は模範的だがイントネーションが微妙に引っかかる不思議な英語音声が流れるようになった。おそらくコンピュータの合成音声なのではないか。駅に停車するごとに発車時刻を言うので、事前の録音では無数の組み合わせが必要となり現実的でないが、機械の自動読み上げなら簡単にプログラミングできる。

入力した文章をコンピュータが流暢に読み上げる技術は日進月歩と思うが、それでもどこか不自然で居心地が悪い。音声版の「不気味の谷」を越えそうでまだ越えられていないということか。英語に先立ち流れる日本語アナウンスもやはりどこかぎこちないから、これもたぶん自動音声だろう。

一方、逆の変化もある。以前はネイティブが吹き込んだ録音で済ませていたセリフを、車掌が生アナウンスで英語をしゃべるようになった。まもなく新横浜駅に停車します、左側の扉が開きます、のような放送に続き、We will soon make a brief stop at Shin-Yokohama. The doors on the left side will open.などと言うアレだ。車掌の堂々たる和風アクセントとはいえ、噛まずにすらすらと喋っているから立派である。コロナ中に運行本数が減り勤務時間に余裕ができた機会を利用して、JR東海は乗務員の英語研修でもやったんだろうか?

生身の人間が話す日本語訛りの英語と、機械的に合成されたネイティブっぽい英語、そのどちらがより「本物の」英語に近いだろうか。車内販売のコーヒーを片手に、そんなことを考えたりする。ちなみに、以前は5枚一組だった新幹線のコーヒーチケットが、いつの間にか4枚綴りになっていた。新幹線の利用頻度が減った客のニーズに合わせたのか、これもコロナ禍がもたらした変化の一つかもしれない。

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