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ワクチンとマスク [科学・技術]

medical_mask_shinpai_doctor_man.pngアメリカでは、新型コロナワクチン接種を終え2週間経った人は大抵の場所(交通公共機関除く)でマスクはしなくて良いとCDCが宣言するに至った。ところが日本では、専門家がまるで違うことを言う。ワクチンの効用は完璧ではないので、集団免疫が成立するくらい接種が普及するまではマスク着用をお願いします、という類の忠告を幾度となく聞かされた。どちらの言い分が正しいのか?単純な理屈で考えれば、日本の(一部の)専門家がおっしゃることは、今ひとつ筋が通らない。

症状がないのにマスクをしないといけないのは、新型コロナには無症状の感染者が一定数おり、無自覚に飛沫感染を広げてしまう恐れがあるからだ。しかし2回接種後一定期間を経た人の感染リスクは、十分低い(ウイルスが体内に入ってきても増殖する前に免疫システムが退治してくれる)。本人が感染しなければ他人にうつす可能性もないから、マスクの必要はなさそうである。

たしかに当初は、ワクチンは重症化を防ぐが感染防止の効果は不明とされていた。しかしデータが揃った今では、感染抑止に十分効くことがわかっている。研究によって数値は多少ばらつくが、2回目接種を終えて1週間たつと、感染が80~90%程度(研究によってはそれ以上)抑制されるようである(山中教授のまとめ)。ワクチンを打たなければ10人感染する状況で、全員ワクチンが済んでいれば1人か2人で済むということになる。ファイザーのワクチンは、変異株にも90%以上の効果があるという話だ(もう一人の山中教授の研究)。運悪く感染してしまう1~2人も、重症化の恐れは未接種者よりずっと低い。

いま感染者が10人いたとして、全員がマスクを着用しているとしよう。不織布マスクは、吐き出す飛沫を20%程度に抑えるという研究がある(豊橋技術科学大学のサイト)。マスク着用の10人が、合わせて2人分の飛沫を飛ばしていることにになる。面白いことに、10人中2人程度という割合は、ワクチンの感染予防効果とほぼ同じか、むしろ高いくらいだ。つまり、接種済みの人がノーマスクで行動する感染拡大リスクは、未接種の人が全員マスク着用で行動する模範的対策の状況と変わらないし、どちらかといえばより安全と言ってもいい。やはり、接種が済んだ人にマスク着用を要求する理由が見当たらない。

ただし、今のところ日本にはワクチンパスポートのような制度がないので、接種を終えたことを公的に証明する手段がない。仮に接種完了者にだけマスクを免除しても、自己申告に頼らざるを得ない。ワクチンを打ったふりをする不届きな輩も出てくるだろう。それを誤差のうちと寛容に受け入れるのか、けしからんと眉をひそめるか。生真面目な日本社会だから、ワクチン警察とかいろいろ出没しそうである。ワクチンとマスクをめぐる専門家の言葉にあまりサイエンスを感じないのは、彼らがその辺りの空気も読んで喋っているせいかも知れない。

はらぺこバッハ [文学]

plant_onshitsu_shokubutsuen_chou.png毎日新聞が『はらぺこあおむし』をパロったIOC批判の風刺画を掲載し、絵本を出版する偕成社からこっぴどく叱られた(社長名で出された声明)。IOCの強欲ぶりを食欲満点のアオムシになぞらえたことが、出版元の機嫌をえらく損ねたようである。風刺画そのもの出来栄えはさておき、偕成社の怒りっぷりが並大抵でないので、失礼ながらそちらのほうに笑ってしまった。

いちばん可笑しかったのは、「『はらぺこあおむし』の楽しさは、あおむしのどこまでも健康的な食欲と、それに共感する子どもたち自身の「食べたい、成長したい」という欲求にあると思っています」というくだりである。絵本を読みながら、嗚呼あおむしのように食べ成長したいなどと感動する子供が、いったいどこにいるんだろう?

この本は装丁に色々工夫があって、大きさの違うページをめくったり戻したり、虫食い穴に指を突っ込んだり、まずは身体感覚を刺激する。そして、日を重ねる度に増えていく食べ物とか、食べ過ぎて丸々と膨れたあおむしとか、最後にページいっぱいに羽ばたく極彩色の蝶とか、物語のリズムや溢れる色彩が独特だ。それだけで十分な魅力なのに、「子どもたち自身の食べたい、成長したいという欲求」などと妙に立派な理屈を持ち出してきたところが、残念である。

私は小さい頃、『のろまなローラー』という絵本の大ファンだった。たぶん今でも書店に並んでいると思う。道路工事で舗装に使われるあの重機が主人公である。黙々と仕事をこなすローラーだが、他の車から追い抜きざまにノロマぶりをバカにされる。しかしローラーがのろのろと山道に差し掛かると、追い抜いていった車が軒並み荒れた路面でパンクし困り果てている。一台一台に励ましの声を掛けながら、舗装作業を続けるローラー。やがて復旧した車が追いついて来て、今度はローラーの仕事ぶりに感謝を述べて走り抜けていく。

『のろまなローラー』のメッセージは明らかだ。歩みは遅いが効率では図れない仕事の価値。人に顧みられずともコツコツ努力を続ける尊さ。冷たい言葉を浴びせた相手にすら惜しまない思いやり。いずれもこの絵本が読み継がれる所以だとは思うが、所詮は大人目線の哲学でしかない。幼い私が『のろまなローラー』を愛読していた理由は、何よりも「ごろごろ ごろごろ ローラーは」といった言葉の響きやリズムが好きだったのである。運動音痴でトロかった自分を肯定してくれるような安心感も、手伝っていたかもしれない。いずれにせよ、子供が絵本を楽しむのに高尚な動機など必要ない。

偕成社が『はらぺこあおむし』に並々ならぬ愛着をお持ちなことはよくわかる。しかし残念なのは、出版元自ら『あおむし』の解釈を一方的に押し付けていることである。あおむしの顔にIOCバッハ会長をはめ込み、あおむしの「健康的な食欲」に飽くなき金銭欲を引っ掛けた毎日新聞は、下品と言えば確かに下品だ。でも『あおむし』を読む子供の中には、コイツは食べてばかりで困ったやつだと感じる子もいるかも知れないし、それはそれで構わない。数字や曜日を覚えるのにうってつけの本という親の賛辞も聞こえてくるが、絵本は絵本であって教科書ではない。先日他界した作者エリック・カール氏の意図は今や知る由もないが、小賢しい大人の読み方を強要するような人ではたぶんなかったのではないか。

繰り返すが、毎日新聞の風刺画が秀逸とは別に思わない。しかし偕成社の方も、毎日を名指しして「不勉強、センスの無さを露呈」とか「猛省を求めたい」とか言葉がいちいち刺々しい。あのおおらかな『あおむし』の世界と、まるで似つかわしくない。大した事件ではないが、やはりいろいろ残念である。

動物の眼 [科学・技術]

ミナミジサイチョウ(南地犀鳥と書く)というアフリカ原産の鳥がペットショップから逃げ出し、連れ戻された。ペットショップということはペット需要があるということだが、こんな大きな鳥を狭い日本家屋でどうやって飼えばよいのか?それはともかく、逃走後一年半ぶりの帰還だそうである。鳥は顔の左右に目がついていて視野角が広く、どこから近づいても見られてしまうので捕まえるのが大変だと聞いた。実際、捕獲成功まで何度も失敗を繰り返したようである。

鳥は眼が左右についていると書いたが、猛禽類だけは眼光鋭く視線が正面を向いている。ワシやタカがペットショップにいるのか知らないが(鷹匠専門ショップとかあれば別だが)、フクロウを好きな人は多いのではないか。フクロウカフェなるビジネスが成立するくらいである。フクロウ人気の理由は、人間並にペタっと平たい顔に親近感を覚えるせいもあるかと思うが、眼が前を向いていることも大事な要素だ。

animal_dog_front.pngあなたは犬派?猫派?などと聞かれることがあるように、犬と猫は飼いたい動物のランキング最上位で人気を二分する。人にとってはどちらも愛くるしいペットだが、犬も猫も自然界では食物連鎖の頂点に君臨する肉食獣の仲間だ。なぜ人は捕食動物にかくもメロメロになるのか?これもやはり、目が顔の前に付いているからである。

目が同じ方向に向いていると、両眼視野(両目で同時に見える範囲)が広い。すると、立体視の要領で距離を測ることができる。捕食動物は、獲物の位置を正確に捉え追跡しないといけないから、これは大切な能力だ。ヒトを含む霊長類も、目が顔の前面に並んでいる。犬や猫がこちらを振り返りじっと見つめてくると、ピタリと視線が噛み合う。だから、心が通じ合うような気がする。

ウサギの両目は、多くの鳥と同じように顔の側面についている。そのおかげでウサギの単眼視野は両目合わせて360度近くをカバーすると言われ、どこから敵が近づいて来ても見逃さない。その代わり、両眼を同時に使える視野はとても狭い。草食動物にとって、正面のターゲットに照準を合わせるよりも、どこから現れるかわからない外敵を察知するほうが優先度が高い。ウサギにとって目の前に佇む人間は、魚眼レンズのように広い視野に紛れる風景の一部に過ぎない。そのせいで、正面から見るとウサギの視線を捉えることが難しい。目が合わないので、彼らが何を考えているのか、今ひとつつかみづらい。

ハムスターは犬猫とウサギの中間で、視野角は270度くらいだそうである。ウサギよりは両目がちょっと前よりに付いているが、犬や猫ほど視線がロックオンしない。こちらを見ているような見ていないような、ちょっとすっとぼけた佇まいに、独特の愛嬌がある。それはそれでもちろん可愛らしいのだが、犬や猫にじっと見つめられた時のトキメキにはどうしても敵わない。「この子は私を見つめ私のことを想っている」と(飼い主の勝手な思い込みであれ)確信できるからこそ、そこに強い絆が育まれるわけだから。

クララとお日さま [文学]

yuuyake_yama.png『クララとお日さま(Klara and the Sun)』は、カズオ・イシグロが6年ぶりに上梓した新作長編である。もともと寡作な作家だが、その代わり作品一つ一つの密度と完成度が半端ない。前作『忘れられた巨人(The Buried Giant)』では、忘却の霧に沈みゆくアーサー王伝説後の世界を舞台に、仲睦まじい老夫婦の心深くに眠る孤独の闇をえぐり出した。『クララ・・・』はというと、差別や遺伝子改変技術といった社会の課題を横軸として、家族や隣人のあいだに交錯する複雑な感情を丁寧に見つめる。SFやファンタジーの設定を借りつつ、身近で普遍的な人間関係の軋みを描くのが、ここ10年ほどのイシグロ小説(二つだけだが)のテーマのようである。

イシグロ作品の登場人物は、たいてい自我が強くてとげとげしい。表向き人当たりが良くても、往々にして内心は頑固で自己中心的だ。それは『クララとお日さま』でも例外ではないが、主人公のクララだけは一貫して冷静沈着で他意がない異色のキャラである。作者がクララだけに異例の特権を与えたのは、彼女がそもそも人間ではないからだ。

クララはAF(Artificial Friend)と呼ばれるアンドロイドの少女である。ショップの窓から垣間見える世界の一角を、日々観察するクララ。知的で洞察力に優れながら、その一方で世界を独特な「常識」で捉えている。太陽光発電で動作する彼女は、生身の人間も同じように陽射しを糧に命をつないでいると信じている。ある日クララは、病弱な少女ジョジーの話し相手として買い取られる(『アルプスの少女』のハイジとクララの関係に少し似ているが「クララ」の立場が逆転している)。クララはジョジーを不治の病から救うため、太陽を相手に取引を持ちかける奇矯な計画をひそかに温める。

AFの存在が当たり前の近未来世界だが、アンドロイドに向けられる人々の眼差しはしばしば冷たくぎこちない。しかし怒りや憎悪の情動をプログラミングされていないクララは、露骨な仕打ちすら淡々と受け止める。時折クララの認知機能に一時的な障害が生じ、彼女の視覚が奇妙に歪む。しかしストレスやパニックという概念を知らないクララは、明らかな機能不全すら慌てる素振りも見せない。クララの一人称で語られる物語は、早朝の湖面に映し出される大自然の風景のように、澄みわたった静けさに満ちている。

だが読者はやがて、そんな水面にさざ波を掻き立てる不穏な風向きを感じ取る。隣家に住むボーイフレンドのリックとジョジーを隔てる「階層」の壁。その壁に抜け穴を穿とうと企むリックの母。別居するジョジーの父と母を分かつ価値観の溝。そして、ジョジーの母がクララを手に入れた本当の理由。ジョジーとリック、リックと母、母とジョジー、人間たちがエゴと表裏一体の愛情に傷つき苦しむ傍らで、クララはひとり純粋で無償の友情を貫こうとする。イシグロ作品の常として過剰な演出を拝した静謐な物語だが、終盤思わぬできごとが春先の突風のように訪れる。仰々しい仕掛けは何もないのに、そのクライマックスが言葉を失うほど神々しい。

『クララとお日さま』の結末は果たしてハッピーエンドか?どの登場人物に肩入れするかで、たぶんその印象は変わるだろう。作品の舞台はクララにとって決して幸福な世界ではないが、それでも彼女の独白は相変わらず物静かで、取り乱すことはない。でもカズオ・イシグロが創り出したAFは、無私無欲の聖人ではないし、無機質なロボットでもない。最終章までたどり着いた読者は、明鏡止水のごときクララの語り口が隠しきれない、彼女のかすかな心の震えに気付くかも知れない。

怒りとは理解の不足である [スポーツ]

sport_tennis_set.png大阪なおみ選手が、全仏オープンの試合後会見への出席を拒否して話題を呼んでいる。同じような質問ばかり繰り返され、ときに悪意を感じるような会見の場に辟易としているようだ。彼女のTwitterの一部がこれだ。

We’re often sat there and asked questions that we’ve been asked multiple times before or asked questions that bring doubt into our minds and I am not going to subject myself to people who doubt me.

最後の部分は「私を信じない人たちを前に自分をさらし者にはしない」のようなニュアンスか。私は普段テニスを観ないので、彼女(や他の選手)が会見の場でどんな嫌な思いを経験してきたのか具体的には知らない。だがこの顛末で何となく思い出したのは、今や懐かしいトランプ元大統領である。在職中のトランプ氏は、記者会見で意に沿わない質問が出るたびヘソを曲げて相手をフェイクニュース呼ばわりし、Twitterで一方的に発信することを好んだ。二人を同列に並べるつもりはないが、トランプ元大統領が大阪さんのツイートを読んだら、きっと我が意を得たりと膝を叩くのではないか。

オリンピックはそれを観る人が支えている、という話を少し前に書いた。プロテニス界も同じだと思う。大会の賞金や高額のスポンサー料は、そこに巨大市場があるからこそ存在する。もちろん、試合そのものはストイックな真剣勝負の場だから、純粋にスポ根だけをグランドスラムに求める硬派なテニスマニアも少なくないだろう。しかし、コートの外を含めた選手の人間像に触れたいファンは、たぶんもっと多い。試合後の会見は、そんな「市場」と選手をつなぐインターフェースである。たしかに、負けた選手に追い討ちをかけるような質問も出るかもしれない。しかし選手の心情を理解しないメディアに向き合うのも、有り体に言えばプロ選手の「仕事のうち」ではないか。

ここまで書いたところで、大阪選手が全仏オープンの途中辞退を決めたというニュースが入ってきた。長文のツイートで、彼女自身が患った鬱の苦しさも吐露している。自分の気持ちや意見を率直に表明するのは彼女の美点だと思うし、繊細で傷つきやすいことを責めようとは思わない。しかし大阪選手自身、彼女の社会的影響力の大きさをまだ測りかねているのだろうかとも思う。大阪選手の年収が女性アスリートで世界トップに躍り出たというニュースが駆け巡ったばかりだ。世界のあらゆるトップ・アスリートと同じように、彼女の存在もまた巨大マーケットの歯車とともに回り支えられている事実は、否定しようがない。

大阪選手が呟いたちょっと意味深なツイートに惹かれる。

anger is a lack of understanding. change makes people uncomfortable.

怒りとは理解の不足である。人は変化に馴染みたがらない。シンプルな金言だと思うが、それなら大阪さん自身が表明した「怒り」も、彼女の理解不足に端を発しているとも言える。聡明な人だから、一人のアスリートとしての矜持と彼女が依存する市場原理のあいだで軋む矛盾のはざまに、じきに落とし所を見出すことを期待している。

大手町駅 C2b [その他]

自治体が管轄する一般接種と並行して、国主導の大規模ワクチン接種が東京と大阪で始まった。東京の接種会場は、大手町の合同庁舎3号館というところである。ほんの少し前まで、この建物のすぐ隣に気象庁本庁が入っていた(今は虎ノ門に移転している)。コロナ禍が始まる前は気象庁に出張で訪れる機会が度々あったので、この近辺はよく通りがかったものだ。接種会場の最寄りである大手町駅C2b出口も、幾度となく使った。旧気象庁に行くには東西線の竹橋駅が目と鼻の先なのだが、新幹線を降りて地下鉄を一駅だけ乗り継ぐのも面倒なので、たいていは東京駅から歩いて通っていた。

天気の良い日は、地上を歩くのが気持ちいい。東京駅丸の内北口を出て、丸善が入るOAZOビルを抜け、永代通りを皇居方面に向かう。皇居のお堀まで出ると行き過ぎなので、その一つ手前の日比谷通りを右に曲がる。道沿いに直角に折れてもいいが、大手町ファーストスクエアという高層ビルを(今だから告白するが)用もないのに通り抜けると、対角線上にショートカットできる。前方に首都高の高架橋が見えるので、そのすぐ手前を左に曲がると目前に(昔は名称すら知らなかったが)合同庁舎3号館があり、その奥が旧気象庁になる。迷わずに歩いて東京駅から15分くらいだろうか。

figure_yardmap_otemachi_all.jpg天候がすぐれない日は、地下道を使っていた。東京駅の地下出口から大手町駅方面に抜け、東西線の改札の手前を曲がると永代通りの真下を進むことになる。基本的に直進するのだが、途中で階段を降りたり昇ったり、地下道が微妙に左右にクイッとずれたり、地中の構造物が邪魔しているのかまっすぐ進めない。見通しが悪いので正しい方向に向かっているか不安になるが、心を強く持ってズンズン進むとやがて突き当りにぶつかる。そこで右折すると、日比谷通りに沿って地下を北上することになる。千代田線大手町駅の改札をやり過ごして地下道が終わるところまで歩くと、微妙にわかりにくい陰にある階段を昇り、ようやくC2bから地上の光を仰ぐことができる。

大手町駅には東西線・丸ノ内線・半蔵門線・千代田線の4路線が乗り入れていて、とんでもない数の出入口があるが、東京駅から見てその最も遠い端がC2bである。迷わず東京駅とC2bを往復できるようになるまでに、何度か失敗を繰り返した。おそらく東京の(そしてたぶん全国の)地下鉄網のなかで、大手町駅C2bは到達までのハードルが高い最難関ゴールの一つではないか。上の構内図をひと目見れば明らかだが、完全に迷路である。埒が明かず適当な出口で地上に出てしまうと、どちらを向いても似たようなビルばかりで途方に暮れるだろう。スマホの地図アプリを使い慣れていればまだしも、当面は接種会場にやってくるのは基本的に高齢者だ。都心に土地勘のない人が接種にやって来て、改札を出てから最短距離でC2bにたどり着くのは至難の業と思われる。

実際迷いに迷って相当遠回りした人もいたようだが、大規模接種自体はおおむね快調な滑り出しのようである。要所々々に相当数のスタッフを配置している上、東京駅から無料のシャトルバスも手配されている。国がやることにしては手際が良いなと思っていたが、大規模接種は防衛省が仕切っているのだった。もともと自然災害など不測の事態を救済するため訓練されている自衛隊が動いているだけあって、平時の行政を回すことに特化した官僚機構とは機動性がちがう。ワクチンに限らずコロナ対策全般を自衛隊に主導してもらうほうが、役所が慣れない非常時対応にジタバタするより、いろいろなことがうまく動くのではないか。文民統制の観点からは制服組が表に出づらいのかもしれないが、災害処理のプロをもう少し頼ってもいい。東京出張が消えて久しく今や懐かしい大手町の景色をテレビで眺めながら、そんなことをつらつら考えている。

感染予測はどこまで正しいのか [科学・技術]

virus_overshoot.png数値気象予報や地球温暖化予測などに比べて、感染者数の推移を予測する疫学数理モデルは驚くほどシンプルな微分方程式だけで成立している。シンプルだから悪いわけではない。計算結果を大雑把に診断するには、モデルは単純にできている方が見通しは良い。が、シンプルなモデルは自ずとたくさんの仮定に依存する。モデルの建て付けが正しくても、仮定が間違っていれば答えは間違う。

東大のグループが精力的にコロナ感染状況のシミュレーション結果を公開していて、最近では東京オリパラ前後の感染者数を予測している(PDF資料)。彼らの結論は、海外からの入国・滞在者による影響は限定的(実施しても中止しても感染状況はあまり変わらない)だが、日本居住者の人流の大小は感染状況を大きく変え得る、とういうことである。後者については、そりゃそうだろうな、と思う。前者に関しては、ホンマかいな?と思う。

彼らのモデルでは、100人の海外感染者が水際対策をすり抜け入国するという仮定がベースになっている。オリ・パラ期間が1ヶ月ほどに渡るとすれば、一日平均数人というところか。この侵入ウイルスが産み出す新規感染者は、シミュレーションによれば一日あたり15人程度にとどまる、ということである。ふと思い出すのが、最近台湾で起きた事例だ。ずっと感染を抑制してきた台湾で、たった一人の国際線パイロットが持ち込んだウイルスが、ごく短期間で数百人規模の感染者を生み出した。この事実に照らすと、毎日数人ずつ合計100人の感染者が侵入しながら一日平均15人増で済むという試算は、甘すぎるのではないか?

以前、スモールワールド・ネットワークの話を書いた。いくつもの閉じたネットワークに少数の経路を加えて結んでやるだけで、ネットワーク間のつながりは一気に広がる。パンデミックの文脈に照らせば、少人数が都市や国の間を行き来するだけで、感染の急拡大を誘発し得ることを意味する。実際、ようやく新規感染者数が下降傾向に入った大阪や東京と入れ替わるように、連休明けくらいから北海道と沖縄で感染が拡大している。GWに大都市から人気観光地を訪れた旅行者が現地に火種を持ち込んだ、ということのように思われる。地元の人だけの小さなネットワークに閉じていれば何も起こらないはずが、そこに舞い込んだ一人の他所者が運悪くウイルスを持っていると、池に投げ込まれた小石から環状に広がるさざ波のように、新たな感染が広がっていく。

私たちの社会は人と人が薄くランダムにつながっているのではなく、家庭や職場や学校のような密で小さいネットワーク同士が緩やかに接して成り立っている。東大グループの疫学モデルは、スモールワールド・ネットワークの非一様性を表現できるほどには、うまくチューニングされていないのかもしれない。面白いことに、彼らのモデル予測を後日几帳面に実測データと比較したグラフが公開されている(ここのページ最下部)。各時点から一週間先の予測を検証した時系列で、一見よく再現されているようであるが、よく見ると新規感染者数の予測がわずかに(一週間ほど)実測から遅れて推移している。

一週間先の予測が一週間遅れて現れるのは、今日の天気で明日の天気を予報しているようなものだ。今日が晴れなら明日は晴れ、今日が雨なら明日も雨、と言い続けると、あとから見れば一日遅れで必ず「当たる」予報になる。それと同じで、遠目には実測に沿っているように見えるシミュレーションは、一週間スパンで初期条件がほぼそのまま反映されているだけの結果にも見える。これでは、このモデルが弾き出す数カ月先のシミュレーションがどれほど当たるのか、評価するすべがない。

蓋を開けてみれば、オリンピックをやっても目立った感染拡大は起こらないかもしれないし、怒涛の波がやって来るかもしれない。そんなロシアン・ルーレットを迫られたとき、本当に引き金を引かなければいけない理由があるのか。いま私たちに突きつけられているのは、そんな問いである。

火星某所にて [フィクション]

space05_mars.png
「こんにちは。君はだれ?」
「うわっ、びっくりした。こんなところで人に出会うと思ってなかった。」
「そう?ぼくはあちこちの星で変テコな人たちに会ってきたよ。君は面白い姿をしてるね。」
「火星探査機なんて、だいたいこんな見てくれだよ。あちこちの星って、君はどこから来たんだい?こんな辺境で、ずいぶんオシャレな格好して。」
「ぼくは地球から故郷の星に帰る途中さ。ヘビに噛まれた足が腫れて痛くてさ、ちょっとここで一休みしようと思って。君はここに不時着したのかい?」
「不時着?いやいや、現地調査でわざわざ来たのさ。迷子で困ってるように見えたかい?」
「いや、アフリカの砂漠で壊れた飛行機に八つ当たりする人に会ったばかりでね。ここも似たような景色だし・・・。調査って、何を探してるの?」
「土や石ころを集めているんだよ。ずっと昔この辺りに海や川があって、小さな生き物が棲んでたかもって話があってさ。その痕跡を見つけたいんだ。」
「へえ。でも、昔ってことは今は誰も住んでいないんだね。君はひとりぼっちなの?」
「まあね、仕事だからさ。でも、こうやって集めたものを地球に持ち帰るために、そのうち仲間が回収に来るよ。5年後くらいかな。」
「5年後?さっき誰か降りてくるの見たけど。」
「ああ、それは中国の探査機だね。そいつは、別に知り合いじゃないよ。」
「ははぁ、ケンカしたんだね?」
「え?ケンカっていうか・・・。」
「いやいや、わかるよ。ぼくも故郷でちょっとモメてさ。大切にしていたバラの花があるんだけど、彼女いつもツンとして、要求ばっかりで。なんか居づらくなって、飛び出してきちゃったんだ。」
「花とケンカしたの?ま、モメてると言えば、確かにアメリカと中国はいま経済や安全保障で緊張が高まってるけど。」
「君、急に大人みたいな口のきき方するね。あのね、ぼくはいま後悔してるんだ、バラの本当の気持ちに気付いてあげられなくて、独り置いてきぼりにしてしまったから。君のチューゴクだって、ツンとしてても本心はわからないよ。」
「話が見えないんだけど・・・。ま、どちらにせよ科学と政治は別だから、持ち帰ったサンプルは国を問わず世界の研究者が分析するんじゃないかな。」
「難しくてわからないよ。ブンセキって何だい?」
「見た目は単なる石ころでも、目に見えないくらい小さな生き物の痕跡を、あの手この手で探し出すってことさ。」
「ああ!それならわかるよ。一番だいじなものは目に見えないって、キツネが教えてくれたし。」
「キツネ?君の言うことって、ほんと突拍子ないね。さて、そろそろ仕事に戻らないと。じゃあ・・・」
「你好!」
「うわ、またびっくりした。何でみんな急に出て来るの。」
「我推測 星之王子様?我読了 仏蘭西的童話。」
「君、もしかして中国の探査機?」
「是!你 米国探査機?米国火星探査有長大歴史!你 大先輩。我見倣 米国的探査方式。」
「仲直りできそうで、よかったね。ぼくも故郷のバラがいっそう恋しくなったよ。じゃ、またね。」
「え?ちょっと。あ、行っちゃった・・・。えっと、君、そんなじっと見つめないでよ。わかったよ、じゃあ仕事始めようか。まずアームを伸ばして、ここの地面をそっと掘り起こして・・・」

お断り)文中の漢語はもちろん私の勝手な創作であって、文法も語彙も全く体を成していません。お許し下さい。

ワクチンとマグネットのはなし [海外文化]

medical_vaccine_covid19.pngコロナワクチンの接種跡に磁石が引っ付くという無邪気なデマ動画が、アメリカを中心に拡散しているようである。自ら二の腕に小さなマグネットを貼って驚いてみせる人が続出したが、噂を聞いた当初はおバカなユーチューバーがネタでやっているのかと思っていた。しかし実際に動画を確認してみると、要はワクチン陰謀論者がキャンペーンの一環で広めているのである。

ウイルスと同じで、陰謀論にもいろいろな変異種が存在する。中でも感染力の強い流言は、コロナワクチンにはマイクロチップが仕込まれていて、接種した人はみな知らないうちに行動を監視される、という壮大なお伽話だ。ビル・ゲイツ氏が以前から感染症対策に関心が高く、ワクチン開発にも積極的に投資しているせいで、ゲイツ氏が黒幕だとする「説」がまことしやかに囁かれ早一年が経った。マイクロチップって強磁性体なのか、注射針を通過できるほど極小のチップが存在するのか、とかいろいろ疑問は尽きないが、陰謀論に合理的思考は初めから通用しない。

すでに成人人口の半数以上が少なくとも1回の接種を終えたアメリカであるが、ここ最近接種数が伸び悩んでいるという話を聞く。行政は接種促進に躍起だ。ニューヨークでは駅で接種すると一週間分のメトロカードをもらえたり、球場で接種するとタダでヤンキース・メッツ戦チケットをもらえたり、と気前が良い。オハイオ州に至っては、接種を済ませた人は毎週100万ドルが当たる宝くじに参加できるという破格の大盤振る舞いを始めるそうだ。日本では考えられないような税金の使い道であるが、裏を返せば米国の焦りの現れでもある。ゴリゴリの保守層を中心に、成人人口のおよそ5分の1から4分の1くらいはワクチンを断固拒否する難攻不落の岩盤だそうだ。それに加えて、なんとなく接種が不安で尻込みしている層が一定数いるようである。

ところで、マグネット動画をせっせと作っている人たちが反ワクチン派だとすれば、彼ら自身が本当に接種を済ませた可能性は限りなく低いはずだ。だから、「接種した」腕にマグネットがくっつくと実演している時点で、そもそも矛盾しているのである。もし進んでワクチンを打つような人なら、両面テープで(かどうかは知らないが)磁石を貼り付ける見え透いた芝居を打つ動機がない。つまり、動画のシチュエーションが成立する余地が本来ないのである。あれこれ主張するわりにツメが甘いのも、陰謀論者に見られる共通の特徴の一つだ。もともとガセネタを信じやすい純朴な人たちなので、無理もない。

砂上の楼閣 [政治・経済]

beach_suna_oshiro.png内閣官房参与の髙橋洋一氏が、『この程度のさざ波で五輪中止か笑笑』のようなツイートをして炎上した。日本の人口あたりコロナ感染者数が世界と比べ低いことは周知の事実で、今さら教えてもらうまでもない。しかし本当の問題は、「さざ波」が打ち寄せるだけで日本のコロナ医療が浜辺の砂城みたいに崩れ始めることじゃないのか。

髙橋洋一氏が5月3日付で現代ビジネスに寄稿した記事(ここ)があり、これがツイートの元ネタのようである。読んでみるとなかなか楽しい。記事冒頭で例の「さざ波」に言及した後、医療崩壊の問題に触れている。髙橋氏によると、昨年度の予備費10兆円を元に病院への支援を試みたが「昨年の1、2次補正予算後、新型コロナへの備えについて関係者(地方自治体、地方医師会など)の間で油断があった」せいでコロナ病床が増えなかった、と断定している。要約すれば、政府はカネを配ったのに自治体や医療が改革をサボっていたのが悪い、という言い分のようである。それが本当なら、そのカネはいったい何処に消えたのだろう?

そのあとワクチンの話題が続く。「ワクチンの供給は原則として感染の拡大が深刻な国・地域から行われている。データ入手可能な世界84ヶ国で日本は71位と下位であるが、感染度合を加味すると、日本は45位で平均的だ」そうである。どういう計算でそうなるのかはさておき、84カ国中45位で真ん中辺だから平均的というのは、平均値と中央値の区別すらおぼつかないご様子である。そもそも、ワクチン供給が感染拡大の深刻な国や地域から行われているとは、なかなか牧歌的な分析だ。自国生産できる国がワクチン市場で優位を維持し、そうでない国との熾烈な駆け引きが連日報道されているのは、気のせいか。接種が進むイスラエルや英国などが一抜けの様相を見せる反面、我が国は緊急事態宣言の対象地域が再び拡大している。「平均的」などと胸を張るお気楽さが微笑ましい。

記事後半で髙橋氏は、憲法に緊急事態条項のない日本では私権制限ができず、緩い規制にとどまらざるを得ないというのはお決まりの議論を展開する。それはそれで良いのだが、結局「私権制限もできないながら、新型コロナの感染者数などは先進国の中で優秀だ」と結んでいる。そこが落とし所なら、日本には私権制限など別に必要ないという話になるはずで、論理が混乱している。緊急事態宣言がスカなのに感染者数が国際標準より少ない理由は、突き詰めればファクターXの話であるが、肝心な真相の究明について問題提起すらしない。

最後は経済の話で、「先進国の中で、財政支援を横軸、経済落込みを縦軸にすると、財政支援が大きいほど経済落込みが少ないことがわかる」と始まる。そのプロットがこれ(記事中のリンク)だが、注釈を見ると横軸の財政支援の定義は「Additional Spending対GDP比/(Additional Spending対GDP比+2020年度第四四半期の前年比減少額)」とある。私は経済の専門知識がないので式の意図がよくわからないが、数学的には分母第二項が0に近い(第四四半期の落ち込みが少ない)ほど自動的に100%に近づく(財政支援が大きくなる)仕組みになっている。だから高橋氏の見立て(財政支援が大きいほど経済落込みが少ない)は、ご本人が採用した数式の建て付け上アタリマエであって、特段なにも意味しない。

「データに基づきながら、世界の中の日本を見てみよう」という言葉で高橋氏の記事が始まっているが、データを活かすも殺すもそれを分析する人次第である。数字は客観的でも解釈が恣意的では台無しだ。コロナ禍が始まって以来、政策決定の現場におられる方々のデータ分析力に不安を覚える機会が増えた。まずは彼らのサイエンス・リテラシーを向上させることが、砂上の楼閣さながらのコロナ医療体制を救済する第一歩のように思う。
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