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一平さんの事件 その5 [スポーツ]

document_sojou.png他に書くネタが見当たらないので、性懲りもなく水原一平事件を掘り下げたい。36ページに及ぶ告訴状(PDF)をつらつら眺めていたら、あまりメディアで取り上げられない細部で興味深い点がいくつか目に付いた。

G章(21ー23ページ)に水原さんが大谷選手を騙り銀行に電話した記録の具体例が載っている。一度目は2022年2月2日で、彼がオオタニ口座の連絡先を自分の管理下に変更した直後に当たる。自動車ローンと偽り送金を試みたが、チャレンジ失敗でオンライン取引がロックされた。同じ日に再び電話して別の担当者と話し、本人確認の質問事項をパスして凍結解除に成功した。数日後、再び電話して30万ドルの送金を試みたが、未遂(attempted)に終わったようである。

この3回に関しては、ロック解除の一度を除くと「大谷サンのフリ」作戦は基本的に失敗している。訴状の脚注には、大谷選手を騙る水原さんの音声は流暢な英語を喋っていたとある。大谷本人ならネイティブ並みの英語は話せないはずとピンときたかは定かでないが、対応に出た銀行員は何かがおかしいと判断した様子である。とはいえ、やがて同じ口座から水原さんによる高額送金(50万ドルずつ)が繰り返されるようになる。不審電話の履歴がありながら結果的に度重なる不正出金を見逃したのは、銀行側も脇が甘かったのではないか? 

訴状のI章(26ー30ページ)で、大谷選手のエージェントや資産管理チームに聴収した結果が載っている。オオタニ口座へのアクセスを「大谷選手がプライバシーを望んでいる」という建前で水原さんが独占していたことは、すでに報道されているとおりだ。しかし、利子収入や贈与の出金があれば納税義務が発生する。大谷選手の経理担当者、フィナンシャルアドバイザー、税理士はいずれもこの点を指摘したが、水原さんはオオタニ口座に利子は発生せず贈与もなかったと説明したそうである。

それでチームが「ああそうですか」と引き下がったのなら、恐ろしくヤル気のない人たちである。高額資産を丸ごと無利子口座(Checking account)に放置しておくなど、常識では考えられない。フィナンシャルアドバイザーは、適切な資産運用をクライアントに勧めるのが仕事のはずだ。それに、Tax Return(米国の確定申告)の時期になると銀行は利子収入の証明書を発行するので、私が税理士ならせめてその書面だけでも見せて欲しいと言うだろう(そこに取引履歴は載らないのでプライバシーは漏れない)。それすら水原さんが却下したなら、さすがに不審に思うべきだ。下手をすれば大谷選手が脱税に問われかねない案件であり、そういうことが起こらないために税理士が付いているはずではないか。

訴状のK章(31ー33ページ)では、送金に大谷選手の同意を得ていたとする水原さんの証言に疑念を示す捜査官の意見が示されている。その最後の文章がこれだ。
Further, I do not find it credible that Victim A would have agreed to pay MIZUHARA’s gambling debts from the x5848 Account while allowing MIZUHARA to deposit the winnings from his gambling into MIZUHARA’s bank account.
さらに、水原の賭博勝ち金がミズハラ口座に振り込まれることを許容しながら、賭博負債をx5848口座(=オオタニ口座)から支払うことに被害者A(=大谷選手)が同意するとは、考えられない。
これを読んだ時なるほどと思ったのは、仮に大谷選手が水原さんのギャンブル損失を払ったなら、勝った儲けの分け前も要求するはずだ、という前提に捜査側は立っているのである。そういう視点で訴状を読み返すと、捜査官の言葉遣いにいろいろ納得がいく。(もともと金に執着のない)大谷さんが水原さんがギャンブルから足を洗えるようにと自腹で損失を埋めた、という当初ESPNから出て来た物語を、わざわざドライに再解釈した上で大谷選手の関与を否定しているのである。結論としては大谷選手の潔白を証明する訴状ではあるが、同時に日本人が考えるピュアな大谷像がアメリカでは共有されていない事実を図らずも象徴している点が面白い。

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一平さんの事件 その4 [スポーツ]

水原一平さんの事件が急に動いた。連邦検事の会見が行われ、水原さんが大谷選手を騙って銀行を欺こうとした電話記録とか、胴元との生々しいテキストメッセージの応酬とか、いろいろ闇の深い話が出てきた。何よりも、大谷口座から不正に出金された総額が1600万ドルとされ、今まで出ていた話からさらに数倍グレードアップした。庶民感覚ではもはや何のことやら訳がわからない。

白黒がハッキリしたのは前進だが、被害額が膨れ上がっただけに、大谷選手が一度たりとも異変に気付かなかった事件の特殊性はかえって際立った。水原さんがオオタニ口座の連絡先を自分宛に変えていた痕跡があるそうだ。普通そういう時は、あなた設定変えましたかという確認メールが元の(大谷選手の)アドレスに届く不正抑止措置がある。それに、正常な取引のアラートもある日を境にピタリと届かなくなれば、何かを疑うきっかけになっただろう。大谷選手にとって、銀行からの通知はもともと何の意味もなかったようである。

訴状によれば、大谷選手には専属の資産管理チームがいたが、水原さんは大谷選手の意向と称して彼らがオオタニ口座へアクセスするのを阻止していたそうである。資産管理担当者がクライアントの口座を見られないなんて、プロとして悲しくないのか。彼らの誰も、水原さんを怪しいと思わなかったのだろうか?

実はこういうことだったんじゃないかと最近思っていた一つの仮説がある。

gamble_chuudoku_izonsyou.pngギャンブルの損失に困った水原さんが、ある日ふと魔が差してオオタニ口座におそるおそる手を付けた。次の賭けに勝ったらこっそり埋め合わせておけばいい、と最初は思っていた。その時はまだ少額で、本人を騙って銀行を煙に巻くのも不可能ではなかった。だがあれよあれよと負けがかさみ、負債はみるみる隠しきれない規模に達した。万事窮した水原さんは、洗いざらい大谷選手に打ち明けた。大谷選手は当然ムッとしただろうが、見るに見かねて手を差し伸べることにし、白紙小切手委任の状態を事実上黙認した。その結果、送金に大谷選手は関与しない傍ら、もう賭けはやらないと改心したはずの水原さんに歯止めが利かなくなった。ギャンブル依存症の彼にとって、アルコール依存症患者が酒蔵の鍵を預けられるようなものだったわけである。

というのはもちろん単なる妄想だ。ただ、水原さんの二転三転した証言に説明がつくし、イッペイは本当に信用できるかと資産管理チームに問われた(としても不思議のない)大谷選手が事を荒立てなかった背景も理解できる。大谷選手のスマホに不審な記録が残っていなかった捜査結果とも矛盾はない(常に行動を共にしていたかつての二人の関係なら、電話など不要だったはずだ)。そして、今年2月ドジャーズのイベントで大谷選手が水原さんを「友達ではない、割り切って付き合っている」と言った発言の真意も想像がつく。

水原さんは数年にわたり不正送金を隠し通せるほど計画的犯罪の素質があるようには見えなかったし、大谷選手が足元で数十億円相当の預金が消えていくことにまるで気が付かないほどウブだとも思っていなかった。大谷選手自身が自己資産に無関心だったとしても、それを代わりに管理すべきプロ集団がギャンブル狂の一通訳にコロリと騙されるとも思わなかった。でも、落としどころはそういうことだったようである。事実は小説より奇なりということなのか、呆れるほど単純だったと言うべきなのか。

(大谷選手の金を)勝手に使い込んだわけではないんだろ、と念を押す胴元に対し、水原さんはこう答えたという。
Technically I did steal from him. It’s all over for me.
厳密な意味では、盗みだったんだ。もう何もかもおしまいだ。
彼は「Technically」と前置きすることで、何を仄めかしたかったのか? そこを誰かに聞いてみたい。

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オッペンハイマー:映画編 [映画・漫画]

クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』が日本で公開され、ようやく待望の大作を観る機会を得た。この作品に関しては、「広島と長崎の惨禍が描かれていないのがけしからん」という論評を時折り耳にするが、いささか的外れな批判である。被爆国目線で何か言っておくのが日本人の見識ということかもしれないが、映画はあくまでオッペンハイマーの半生を彼自身の内面に照らして描いたフィクションであり、原爆開発のドキュメンタリーではない。

tabako_suigara.png主役から脇役まで俳優陣の充実ぶりは今さら言うまでもないが(数分しか出番のないクセ強めのトルーマン大統領役が、まさかのゲイリー・オールドマンだったりとか)、史実をなぞりながら随所にフィクションを忍ばせる脚本の手練が際立っている。バークレー在籍時からマンハッタン計画までのオッペンハイマー最盛期、事実無根のソ連スパイ疑惑で追い詰められる原子力委員会の聴聞、その裏で暗躍したストロースの入閣可否を問う上院の公聴会、という主に3つの時間軸を、物語は縦横無尽に行き来する。歴史的背景の予備知識なしに観ると、迷子になるかもしれない。

映画の原案となった伝記本を読むと、内面が複雑に揺れ一筋縄では読み解き難いオッペンハイマー像が浮かび上がる(原著編で書いた)。映画『オッペンハイマー』はそんな彼の人物像を丁寧に再構築する。原爆開発を成功に導いた天才科学者が後に罪の意識から反核思想に転向する、といった直線的なヒューマンドラマでは全くない。象徴的なのは、原爆投下成功の報せに沸くロスアラモスの研究所で、オッペンハイマーが職場の同僚たちから拍手喝采で称えられる場面だ。歓喜に足を踏み鳴らす喧騒に迎えられ演壇に立った彼は、狂喜する聴衆の中に熱線が焼き尽くす被爆者の幻影を見る。以後オッペンハイマーにとって、英雄の栄光は破壊神の汚名と不可分になった。

オッペンハイマーが熱線の幻を見るシーンが、終盤にもう一度だけ登場する。原子力委員会の聴聞会で、22万人を超える広島と長崎の甚大な犠牲の事実を突きつけられ、彼が良心の呵責を認めた場面だ。ならばなぜ原爆の実戦使用に反対しなかったのか? 原爆を容認しながらなぜ戦後水爆開発に抵抗し続けたのか? 畳みかけられる詰問にオッペンハイマーは必死で正当化を試みるが、己の矛盾に心のどこかで気付いている。ひどく混乱した彼の頭中で観衆の踏み鳴らす靴音がフラッシュバックし、聴聞会の小さな部屋を眩い閃光が貫く。場面は上院公聴会の時間軸と目まぐるしく交差し、オッペンハイマーの偽善を罵るストロースの怒号がかぶる。史実の舞台装置を借りてオッペンハイマーを苛む心の軋みを鮮やかに可視化した、息を呑むクライマックスである。

オッペンハイマーを賞賛も非難もせず、彼の葛藤と矛盾を渾然一体のまま白日の下に晒すことが、この映画の着地点だ。幕切れの直前、ロスアラモスを勇退しプリンストンの高等研究所長に招かれたばかりのオッペンハイマーがアインシュタインと交わした会話が明かされる。当時のアインシュタインはすでに、本人が創始に関わった量子力学に背を向ける孤高の人であった。アインシュタインは、自ら生み出した魔物を持て余すオッペンハイマーに同じ運命の影を嗅ぎ取り、のちに訪れる試練を仄めかす暗い予言を告げる。この会話自体はおそらくフィクションだが、三時間にわたる長尺に深い余韻を残す見事なエンディングだ。

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