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エブエブ [映画・漫画]

今年のアカデミー賞は『Oppenheimer』が7部門を席巻したが、昨年のアカデミー賞で7冠をさらった話題作が『Everything Everywhere All At Once』(通称エブエブ)だった。二年連続で理系テイストの話題作が作品賞に輝いたが、シリアスな『オッペンハイマー』と対極的に、エブエブはハチャメチャでバカバカしいSFコメディだ。それでいて、ときに深遠な世界観が垣間見える第一級の娯楽作品でもある。アジア系やLGBTキャラが主役・準主役を占めるマイノリティ映画がアカデミー賞の頂点を極めた異例さに注目が集まったが、根底には人生や家族の「意味」を巡る人類共通のテーマが貫いている。

nature_stone_EEAAO.pngエブエブでSF的仕掛けの基礎にあるのはマルチバース(多元宇宙)だが、よくあるパラレルワールドものと違うのは、無限に存在する並行世界の「多様性」が映画の核になっていることだ。別宇宙では主人公エヴリンが別の人生を送っていて、カンフーの達人となったエヴリン、歌手のエヴリン、シェフのエブリン、と無数のバリアントが存在する。現実世界の問題を解決するため、別世界にアクセスし己の分身が持つ能力を借りパワーアップする、というエブエブ独自の設定が面白い。映画後半、マルチバースの諸世界を総動員し一つの物語を紡いでいく映像表現は圧巻だ。

ある意味では、エブエブの世界観は量子力学の多世界解釈に近い。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的なパラレルワールドは、ひとつの世界に入り込んでいる間は当人にとって別の世界は消滅している(量子力学に例えるなら、波動関数が一固有状態へ収縮するコペンハーゲン解釈的だ)。一方エブエブでは、映画タイトルそのままに多彩なマルチバースが乱立したまま同時進行する。そしてそのすべての宇宙にアクセスしたジョブ・チュパキなる存在が、無限の能力を自在に操りマルチバースを危険に晒すラスボスとしてエヴリンの前に立ちふさがる。

エブエブが描くマルチバースは、自身の選択次第でありえた別の人生をエヴリンに突きつける。心優しいが頼りない夫とコインランドリーを経営するぎりぎりの生活に疲れた彼女は、マルチバースの一つに女優として成功する別バージョンの自分を発見する。あのとき夫と駆け落ちしていなければ、輝かしく幸福な人生を手にしていたのか? 私たち誰もが一つ二つは胸に秘める「もし、あの時」の後悔は、古傷のように心を苛み、今そこにある人生がますます色褪せて見える。

ジョブ・チュパキの正体が実はエヴリンの娘ジョイであることは、物語の早い段階で明かされる。マルチバースを隅から隅まで俯瞰し尽くした彼女は、あらゆる人生の可能性にアクセスできる万能性と引き換えに、どの人生を生きることにももはや意味を見出すことができなくなっていた。エヴリンは娘に導かれるまま、マルチバースの究極的な無意味性を具現化する虚無の穴を覗き込む。二人の対決は現実世界でぶつかる母娘の葛藤と交錯し、やがて同一化する。

エブエブの背後で描かれる家族のドラマは、普遍的でほろ苦い。現実世界のエヴリンは、夫婦間や親子間に問題を抱えるありふれた中年女性だ。彼女の現実は数々の「間違った」選択の末にたどり着いた冴えない人生かもしれないが、そもそも予定調和の幸福に向かって前進していく人生など存在しない。実現しなかった幸福を夢見れば見るほど、心は虚無の穴に吸い込まれていく。

エブエブのマルチバースとは、手が届きそうで届かなかった架空の人生に対する後悔と憧憬のメタファーだと言ってもいい。無限に分岐していくマルチバースのどこかに理想の人生が待っているはず、そう無為に夢想するのを止めたとき、身近な人の優しさやささやかな幸福がそっと心に沁みる。やりたい放題悪ノリの限りを尽くした抱腹絶倒のドタバタ劇の着地点は、棘とほころびだらけの人生の愛おしさであった。エブエブはそういう映画である。

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