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カルディ店頭のコーヒー [その他]

カルディ・コーヒーファームという全国チェーンの食料品店がある。その名の通り本来はコーヒー豆を売る店だが、輸入食品の品揃えが多彩なことで知られ、ちょっと珍しい食材を求めに来店する客がメインではないかと思う。個人的には、ハーブティーとワインとマンゴージュースを目当てに時おり買い物に行く。

カルディで必ず売っているCelestial Seasoningsという米国コロラド州拠点のハーブティー・ブランドがある。現地に住んでいたころどのスーパーでも売っていたのでいつも買っていたし、ボールダーにある本社の工場見学に行ったこともある(製造ラインで稼働するロボットは日本製だと聞いた)。日本で買うのはいくらか割高だが、絵本の一ページのようなパッケージが懐かしい。

cafe_coffee_beans.pngコロナ前はよく、カルディの店頭で無料コーヒーが小さな紙コップに注がれ振舞われていた。とくにカルディで買い物のない日も、そばを通ればコーヒー目当てに立ち寄り軽くウィンドウショッピングしていたものである。しかしコロナ禍になって試飲サービスが中止になり、コロナが5類扱いに格下げになった今年5月以降も一向に再開の兆しがなかった。梅雨が明け暑い夏が到来し、熱中症リスクの注意喚起も手伝いノーマスクで歩く人が着実に増えた。それでも、かつて店員さんが立ちっぱなしでコーヒーを淹れてくれていた店頭の小さなデスクは、頑なに無人のまま放置されていた。

ところが一ヵ月前くらいだったか、カルディのコーヒーサービスがついに再開した。三年ぶりに味わうカルディの試飲コーヒーは、以前と変わらずブラック党には少し甘すぎる。しかし、私がこれを待ち望んでいた本当の理由は、率直に言えばコーヒーの味とは関係ない。クィっと飲み干したちまち空になった紙コップの底を見つめながら、ああこれでようやくコロナが終わった、と思った。私にとってコロナ禍の終息とは、5類変更でもピークアウトでもなく、カルディが再び店頭でコーヒーを振舞い始めた時だと密かに決めていたのである。

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ライドシェア問題 [社会]

岸田首相がライドシェア解禁に前向きな意見を表明した。諸外国ではとっくに社会に根付いているサービスだが、日本の現行法ではいわゆる白タクで違法である。タクシー業界の反発で法改正が進まなかったと言われるが、昨今の慢性的なドライバー不足が社会問題化し、ついに政府が重い腰を上げた。

欧米でウーバーやリフトが普及した背景の一つは、タクシーの評判が芳しくないことである。運転手が無愛想で運転が荒いのは当たり前、(私自身は悪い体験はないが)ぼったくり被害のうわさも後を絶たない。一方ライドシェアサービスは、運転者の評価を乗客があらかじめ確認でき(逆にドライバーも乗客の評価を確認できる)、料金は事前登録クレカの前払いで完了する明朗会計である。地図アプリのナビのおかげで、ドライバーは現地の地理に精通している必要もない。本来はプロのサービスであるタクシーへの信頼が薄い文化圏では、制度設計がクリーンであればアマチュアドライバーの代替サービスでも歓迎される。ウーバーが急成長した秘訣の一つは、そのニーズを読んだ慧眼にあると思う。

car_taxi_wagon.png一方、日本はタクシーが提供するサービス水準の高い国である。車内は清潔で運転手は概して礼儀正しく、客を乗せながらスマホで友人と大声で電話することもなければ、無茶な割り込みでクラクションを鳴らされることもなく、もちろんボッタくりは起こり得ない。以前のように、タクシー乗り場に必ず空車が待っていて、呼べばすぐ迎車がやって来るのが当たり前であれば、素人ドライバーが提供するライドシェアを望む需要はとくに存在していなかったのである。しかし、コロナ禍を経てタクシー業界の人手不足が顕在化した今、マーケットに巨大な空隙が突如出現した。

法改正が進んだとして、日本にウーバーが根付くだろうか?利用の仕組みはGOのような既存のタクシー配車アプリと変わらないから、使い勝手はすぐに馴染むだろう。課題があるとすれば、日本人が有料サービスに対して要求するハードルの高さである。タクシーのサービス水準が高い事実そのものが、良く言えば日本のおもてなし文化、悪く言えば顧客優位社会の象徴とも言える。ライドシェアはある意味、売り手と買い手が人間的に対等な欧米社会の商慣行が前提のシステムだ。それを日本型のマーケットに移植したとき、素人ドライバーのサービスと上から目線の顧客のあいだで微妙な摩擦が頻出しないか、少し気がかりである。

ウーバー慣れした外国人観光客にはライドシェアはたちまち重宝されるだろうが、利用者が旅行客だけではマーケットは成立しない。ライドシェアサービスが日本人の「お客様は神様」マインドにすんなり受け入れられるのか、ある種の社会実験として興味深い。

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ロックアウト [その他]

ロシアのウクライナ侵攻に続いて、今度はハマスとイスラエルの戦争が勃発した。気の滅入る速報ばかりニュースのヘッドラインを埋め尽くし、ブログを更新する気力も起こらない。誰かに頼まれて書いているわけでもないのでしばらく放置して何ら支障はないのだが、こういう時のために『コロラドの☆は歌うか』復刻企画があることを思い出した。

暗い世相なので、渡米後まだ間もない頃に書いたお気楽な記事を掘り起こすことにする。現地でアパート入居の当日に遭遇した、トホホな出来事の顛末である。



私は生涯に一度だけパトカーに乗ったことがあります───というとずいぶん昔の出来事に聞こえるかもしれませんが、何のことはない、つい昨年(注:2002年)のことです。しかも、日本では一度も厄介になったことのないパトカーに、アメリカに着いて一週間も経たないうちにお世話になってしまいました。念のため付け加えておきますが、何ら法に触れる行為に及んだわけではありません。私のしでかした間違いは、自分のアパートから一歩踏み出してドアを閉めた、ただそれだけだったのです。

その日は、アパートの契約をして入居した当日でした。一通り新居の内装と設備の点検を済ませ、付き添ってくれた研究室のボスが帰った後に、デジカメで部屋の写真を撮りまくっていました。家の写真を撮ったのは、1ヵ月半後コロラドにやって来ることになっていたオクサンの不安
 (隣家は10km先、四方は人影のない砂漠で、
 穴の開いたブリキのバケツが突風に吹かれて
 庭先をカラカラと転がっていき、…)
を払拭しておく必要があったからです。私の住まいは勤務先の大学が経営するアパートで、隣家は10kmどころか壁をはさんだ10cm先にありますし、窓の外には青々とした芝生(最近水不足のせいで色あせ気味ですが)が広がり、壁には大学のネットワークに直結するイーサネットのジャックまで付いています。

部屋の中を一通り撮り終えたので、アパートの表構えをフィルムに収めることにしました。左手にデジカメを持ち表に出て玄関のドアに右手をかけた瞬間、私はこのドアがオートロックであったことを思い出しましたが、自分で何をしているのか意識する間もなく、私の右手は躊躇うことなく扉を閉めていました。

その後どのくらいの時間だったか、これは何かの間違いではないか、初日早々に自分の家から締め出されるなど馬鹿なことがあっていいものか、という思いが頭をぐるぐる駆け巡っていましたが、玄関は押しても引いてもびくともせず、ポケットには鍵はおろか小銭一枚入っておらず、手元にあるのは当面の状況打開にはおよそ役に立たないデジカメ唯一つです。

とにかく、何とかしなければいけないことは分かっていました。既に夕方6時半をまわっていたので、閉まっているだろうと思いつつアパートの管理事務所に回ってみましたが、案の定そこは既に真っ暗で鍵が下りていました。入居当日では、助けを求めるにも顔見知りの隣人がいるわけもありません。契約時の説明で、時間外に担当者と連絡を取る際の携帯番号を書いた紙を渡されたのですが、その時の書類一式はそっくりアパートの部屋の中でした。それを部屋に取りにいけるくらいなら、初めから誰も困りはしないのです。

car_patocar_america.png途方にくれた挙句に天啓のようにひらめいたアイディアは───というのは嘘で、じつは事態に気付いた直後からうすうす意識しつつ極力回避したかった選択肢なのですが───大学直属のポリスに助けを求める、ということでした。担当者の携帯にも連絡を取れない夜中などは、大学の警察に連絡をつけなさいという管理事務所の指示を私は覚えていました。もちろんポリス・デパートメントの連絡先も部屋の中でしたが、私はたまたまキャンパスを移動中に警察の建物を見かけてその場所を知っていました。
しかし、とにかく私は気が進まなかったのです。もし一度でも、渡米早々不器用な英語で警察に話をつけに行くはめに陥ったことのある人なら、それも自分のアパートを開けてくれという情けない頼みごとのために出向いたことがあるのなら、私がその時どれほど気後れしていたか分かっていただけると思います。おかげで旅疲れも時差ぼけもすっかり吹き飛んでしまいました。

意を決して出かけたポリス・デパートメントの受付は、人気がなくがらんとしていました。カウンターは既に閉まっていて、緊急用のインターホンだけが冷たく私を見据えていました。この期に及んで私は未だ心を決めかね、用件のある方はマイクに向かって話すようにと書かれたパネルを穴が開くほど見つめていると、突然スピーカーが"CAN I HELP YOU, SIR?"とがなりたて思わず飛び上がりそうになりました。カメラで私の一挙手一投足を監視されていると気付いて私はますます気力が減退しましたが、なんとか気を取り直しインターホンに向かってしどろもどろに事情を説明しました。すると、行って開けてあげるからそこで待ちなさいということでしたので、少しホッとして硬いベンチに腰掛け誰かが出てくるのを待ちましたが、一向に動きを見せる気配がありません。私が英語を聞き間違えたのか、ここに居座っていてはいけないのかと不安になってそわそわし始めたころ、突然またスピーカがガリガリ鳴り出しあともう少し待てという指示が飛んだかと思うと、また延々と居心地悪い沈黙が続きました。永遠に近い3,40分が過ぎたころついに出てきたのは若い警官で、表に回してあったパトカーの後部座席に乗るよう指示されました。

日本ではどうか分かりませんが、パトカーの前後の座席の間は見るからに頑丈そうな透明のアクリル板で完璧に仕切られています。おそらく、いかなる銃弾もこの板を貫通することは出来ないのでしょう。そしてもちろん、後部座席のドアは内側から開けることが出来ません。私はますます惨めな気分になってきました。キャンパスから私のアパートまではものの数分でしたが、その時の私はきっと、出来心でつまらない罪を犯して捕まった気弱な犯罪者のような顔をしていたに違いありません。

アパートの駐車場に付くと、警官はゆっくりとパトカーを降り、後部ドアを開けてくれました。何かにつけ警官の動作がのろいので内心じれったかったのですが、のろい理由は彼が常に私の挙動から目を離さず、また決して私の前を歩こうとしなかったからです。私が突然銃を抜くような気配を醸していたとはおよそ思えないのですが、自宅でロックアウトされたアホな一日本人のために命がけの緊張感で鍵を開けに行く彼に、なんだか申し訳ない気分がしてきました。

警官はアパートのマスターキーを持っていました。後から知ったのですが私のようなケースは結構頻繁に起こるらしく、比較的治安の良いこの町では大学のアパートの鍵開けが大学の警察の主要な仕事の一つなのかもしれません(他人事ではないが、少し笑える)。鍵が開くと私は部屋に置いてあったパスポートを警官に見せ、彼は無線を使って私が確かにこの部屋の住人であることを確認すると、あっさり一件落着しました。吹き飛んでいた疲れと時差ぼけがその後どっと舞い戻ってきたことは、言うまでもありません。

これが、事の顛末です。あまりに馬鹿馬鹿しいので滅多に人に話したことはなかったのですが、アメリカでパトカーに乗った日本人はさほど多くないと思われるので、今振り返れば貴重な体験だったのかもしれません。この事件に懲りて、わたしはキッチンからリビングに行く時すら玄関の鍵を肌身離さず持ち歩くようになりました。いつ出来心で外に出てしまうか、知れたものではないからです。この強迫症的な習慣から抜け出せたのは、ずいぶん後になってから───予めドアの内側のノブのつまみを45度回しておけばオートロックを解除できることにようやく気が付いたとき───でした。

(初出:『コロラドの☆は歌うか:番外編』2003年1月31日付)

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ジャニーズ会見は何だったのか [その他]

syazai_kaiken.png性加害問題に端を発するジャニーズ事務所の会見(二回目)が、予想の斜め上を行く迷走ぶりであった。どこから突っ込んでいいのか分からないほどだ。

一部記者の不規則発言で会場が荒れたとき、それを諫めようとした井ノ原氏の言い分が賛否を呼んだ。怒号が飛び交うカオスを「小さな子供たち」に見せたくないと彼は訴えたが、そもそもこの会見を見たがる子供がどれ程いただろうか?ジャニタレが出演しようとしまいと、記者会見はふつう大人向けのコンテンツである。

イノッチ個人は別に嫌いではないが、咄嗟に24時間テレビ的な安っぽい感動演出を記者会見にブチ込むのは、一流タレントの脊髄反射なのかもしれないがいささか趣味が悪い。ところが、その芝居がかった立ち回りをわざわざ拍手で称える記者たちがいた。芸能事務所と一部メディアがいかに浮世離れしたファンタジーの世界で共生しているのか、その一端が垣間見えた。

会見の後、指名NG記者の写真入りリストが存在していたことが暴露された。生半可ありそうな話だっただけに、驚きより脱力感を覚えた人も多かったに違いない。ジャニーズ側の言い分によれば、コンサル会社が用意したNG資料を井ノ原氏が見つけ問いただしたところ、ではNGリストの記者は会見後半で指名しますと回答があったそうである。

4時間超続いた一回目の会見に対し二回目は2時間で終わることが決まっていたのだから、同じ時間配分であれば「後半」指名分は時間切れで実現しないことは自明である。要は、コンサル会社がNG記者の指名は行いませんと暗に仄めかし、ジャニーズ事務所側もそれを黙認した、と自ら認めているわけだ。残念を通り越して、いたく滑稽な顛末である。

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中秋の名月 [科学・技術]

tsukimi_jugoya.png先週金曜日(9月29日)は、中秋の名月であった。中秋の名月とは、旧暦(太陰太陽暦)の8月15日(十五夜)に見られる月のことである。太陰暦の一ヵ月は、新月に始まり次の新月直前で終わるので、月半ばの15日頃に必ず満月を迎える。ところが、各種報道が「今年の中秋の名月は満月でしたが、次に満月を楽しめる中秋の名月は7年後です」などと言う。中秋の名月が、半月や三日月になったりすることがあり得るのか?

結論から言えば、もちろんそんな極端なことは起こらない。しかし厳密な意味での満月は、月が地球を挟んで太陽と真反対を通過する一瞬に過ぎない。その一瞬が十五夜の日に起こることもあれば、年によって1から2日ズレることがある。その理由は、月の公転軌道がわずかに楕円形だからである。軌道が真円から少し歪んでいるせいで、必ずしも軌道周期のど真ん中で満月の位置に到達するわけではない。さらに、満月の瞬間と日付が変わる時刻とのタイミング(月の公転と地球の自転の位相関係)にも依存する。

ともあれ1から2日はわずかな月齢の差に過ぎないので、たいていの人の目には充分満月に見えるだろう。日常感覚では、中秋の名月はいつも「だいたい満月」と言って別に間違っていない。TVニュースで「次の満月は7年後です」と科学トリビアを持ち出しても悪くはないが、澄まし顔でこれを言うキャスター当人は何故だろうと思わないのだろうか?疑問に思ってすらいない様子なのが、かえって不思議である。