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論文査読あれこれ [科学・技術]

shimekiri_report_hakui_man.png理由はわからないが、ここ何か月か論文の査読(review)依頼がやたらと来る。所謂プレデター系ジャーナルはさておき、普段お世話になっている主要誌からだけでも次から次へと打診のメールが舞い込む。夏休み前に仕事を片付けてしまいたい駆け込み投稿が殺到しているのか?なるべく受けてあげたいが、相次いで4件の査読(うち1件は二部作だったので実質5編)を引き受けいい加減しんどいので、直近では新規依頼を断っている。このブログを読んだエディターの方々は事情を察してしばらくご遠慮下さればと密かに願うところだが、ほとんどは海外からの依頼なのでここで呟いても効果はなさそうだ。

自分がエディターとして査読を依頼する立場のときは、時になかなか引き受け手がなく困り果てることもある。担当論文の分野が自分の専門にピタリと合致するとは限らず、場合によっては相応しい査読者の名前がほとんど思い浮かばない。著者自身が希望する査読者候補に適任者がいれば良いが、好意的な評価をくれそうなダチをリストにぶっこんできがちなのは著者の人情で、過去に著者と共著歴の多い人など中立的なコメントが期待できない場合は候補から外す。担当論文の引用文献からピックアップしてみたり、関連分野の国際会議のプログラムをググッて同じような研究をしている人を探し出したりする。マニアックな論文だと、同業者にたどり着くまでかなり難儀することもある。

査読依頼を断りがてら、代わりに査読をやってくれそうな候補者を挙げてくれる人がいる。エディターとしては、次の一手を探す労力が効率化できてとても助かる。だから、逆に自分が査読の断りを入れざるを得ないときは、なるべく別の適任者を挙げるようにしている。身代わりに差し出された人には歓迎されないかもしれないが、もちろん依頼を受けるかどうかは本人が決めてくれればいい。でも、あまりに査読依頼が立てつづくと代替候補を考えてあげるのも面倒になってくる。頼んでくるエディターに罪はないので申し訳ないが、断りの返事が素っ気なくてもどうか気を悪くしないでほしい。

論文査読は報酬ゼロのボランティア作業だが、自分が論文を書いたら誰かに査読してもらうわけだから相互利益の原則で成り立っているシステムだ。それでも論文一本を読み込んでコメントをまとめるにはそれなりの時間と労力を投資するので、どうせなら独創的で自分も勉強になるハイクオリティ論文が回って来れば嬉しい。査読依頼を取捨選択せざるを得ないときは、アブストラクトや著者名から察して面白そうな論文かどうかをどうしても考えてしまう。自分が投稿した論文も、一読に値すると思ってもらえるかどうか、査読の入り口からすでに勝負が始まっている。ある意味、文学誌の編集者に原稿を送り続ける作家の卵のような地道な営業を、研究者は生涯やり続けているのである。

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ターミナル [その他]

友人が出張先からの帰りにフライトのキャンセルが相次ぎ大変な目に遭った話を聞き、かつて自分自身もそんな体験を『コロラドの☆』に書いていたことを思い出した。今読み返すと、米国同時多発テロからまだ4年後の当時、空港のセキュリティが厳格化しピリピリしていた空気感が思い出される。保安検査が厳しいのは今も変わらないが、世界の往来が回復しつつある今、コロナ禍中はシャッター街さながら寂れていた空港が活気を取り戻している。そんな昨今の変化に思いを馳せつつ、米国から日本に出張する途上でハマった18年前の記憶を掘り起こしてみた。



car_towing_car_airplane.pngデンバー国際空港でユナイテッド航空893便に乗り込んだとき、初め私はツイていると思いました。ちょうどエコノミー席最前列で足をゆっくり伸ばせる上、全席モニターが着いている機体だったので見たい番組を自分で選べるのです。出発時刻を過ぎても飛行機は動く気配がありませんでしたが、それは毎度のことで大して気にしてもいませんでした。いそいそと機内誌の番組表に目を通し、サンフランシスコまでの2時間半はアニメ『インクレディブルズ』を見て時間をつぶすことにしました。するとしばらくして機内アナウンスが入り、ハイドロナントカに問題が発見されタンクの交換部品を調達中につき遅延が見込まれると知らされました。東京への乗り継ぎ便に間に合うか一抹の不安が過ぎりましたが、別段深刻に受け止めてはいませんでした。この時点で私はまだ、行く手に待ち受ける長い長い苦難の旅を知る由もなかったのです。

30分ほどして再び入ったアナウンスによると、タンクの代替品が手に入ったのでもっか交換中とのことでした。乗客がそわそわし始めたせいか予定を繰り上げ機内上映を始めるとのことでしたので、私は早速ヘッドホンをセットしモニターのスイッチを入れました。

ミスター・インクレディブルが家族に隠れてスーパー・ヒーロー稼業を再開したころ、部品の交換を終了したものの問題が解消しないという不吉なアナウンスが流れました。予定していた東京便への乗り継ぎに間に合わない様相が濃くなってきたので、私はヘッドホンを置いて通路を戻り、乗降口付近で打ち合わせをしていた地上係員に乗り継ぎ便の変更を打診してみました。返ってきた答えは迅速・明瞭かつ絶望的でした。サンフランシスコを発つ東京便は他社便も含め全て満席だというのです。折り悪く、この日は春休み初日でアメリカ中の空港が人々でごった返していたのです。今回の日本行きはそもそも2日間の国際会議に出るための出張で、日本到着が一日遅れれば会議の半分を棒に振ることになります。問題のハイドロナントカ(要するに用語がわからなかったのですが油圧系か水循環系か何かだと思います)が早く直ることを祈り、サンフランシスコで後発の日本便のキャンセル待ちが捕まるだろうかとつらつら考えながら、とりあえず自分のシートに戻りました。

ミスター・インクレディブルが敵に捕らわれ絶体絶命の危機を迎えたあたりから、どうもこの飛行機は永遠に飛ばないのではないかという予感がしてきました。オクサンに電話をかけて状況を伝えると、スケジュール管理に万事手落ちのない彼女はすでにユナイテッドのWWWサイトで事態を把握していました。東京行きのユナイテッド便は1時発が最後だと知らされましたが、その時すでに時計は10時半を回り、西海岸との時差を考えても今日中にアメリカを出られる可能性は怪しくなってきました。ユナイテッドはすでに飛行機の乗降口を開放していたので、私は後発のサンフランシスコ便の手配をするため荷物を担いで飛行機を降りました。おかげでミスター・インクレディブルの脱出劇を見損ねましたが、自分自身の脱出作戦を練ることが当面の優先事項です。

ユナイテッド航空のカスタマーサービスのカウンターで、疲労の色を隠せない大柄のおじさんが私を迎えました。おじさんがしばしキーボードを叩いたすえ口走った言葉に、私はぞっとしました。今日中に(日付は翌日ですが)東京にたどり着く可能性が潰えたことは言うに及ばず、この日のサンフランシスコ行きは夜8時発の便まで満席だというのです。空港に丸半日カンヅメなど、考えただけでもうんざりでした。しかし、冬眠返上で残業を続けた熊のような顔をしたおじさんにそれ以上食い下がるのも気の毒で、彼の勧めに従い早い便のキャンセル待ちを駄目もとで狙ってみることにしました。

次のサンフランシスコ便は、3時9分にデンバーを発つことになっていました。その便のゲート前に陣取り、ユナイテッドの係員がやってくるのを待ちました。出発1時間ほど前に、温和な面持ちのおばちゃんがカウンタに登場しました。しどろもどろに事情を説明する私をおばちゃんは怪訝そうな顔で見つめていましたが、コンピュータに何かを打ち込んだかと思うとあとで呼ぶので待てと言うので、そばの椅子に腰をかけました。しばらくすると搭乗案内のアナウンスが入り、ややおいて座席変更とキャンセル待ちの客を順番に呼び始めました。

しかしアメリカ人は日本人の名を発音するのが下手で(当然ですが)、流れるアナウンスを一字一句集中して聞いていないと自分が呼ばれても気がつかない恐れがあります。MAではじまる名前がぎこちなく発音されるたびにこれはもしや自分のことではないか、カウンタに行って確認したほうがいいのではないか、私はソワソワし放しでおちおち本を読むこともできません。ただその一方で、キャンセル待ちなどそもそも宝くじのようなもの、期待するだけ損だという諦観が鉛のように心の底に沈んでいました。

ですので、本当に自分の名が呼ばれた時、私は一瞬耳を疑いました。ほとんど駆け出さんばかりに搭乗口に向かうとそこに立っていたのは先ほどの優しげなおばちゃんで、私の顔を見るなりあらうまくいったのねと顔を輝かせ諸手を挙げました。私はもう少しでこのおばちゃんとハグをし肩を叩き合うところでした。

サンフランシスコの空港に着くとユナイテッド航空のカウンタで宿の手配をしてもらい、空港近くのモーテルにチェックインしました。テレビを点けると、たまたまスピルバーグ監督の『マイノリティ・リポート』が流れていました。この映画の凄みは、極度に管理社会化した近未来都市の見事な作り込みようで、個人情報は網膜のスキャン・データと共に政府機関により徹底管理され、人々はどこに行っても瞬時にアイデンティティを特定されてしまいます。現在の米国社会でこれに一番近い世界をあえて挙げるなら、それは空港です。写真付きIDがなければまずチェックインできず、どこの誰がどの便に乗っているのか完全に把握されています。乗るべき乗客が一人でも搭乗していなければ名指しでアナウンスがかかり、本人が現れるかその人物の預け入れ荷物を下ろすまで飛行機は離陸しません。また昨今では外国人は入国審査で指紋と写真のスキャンが義務付けられ、ますます『マイノリティ・リポート』の世界に似てきました。この物語の舞台は予知情報に基づく犯罪の未然予防システムを司る政府機関ですが、安全への渇望が強固な管理社会化を容認していく社会背景は、9/11以後のテロリズム対策が空港セキュリティ強化を推進してきた現実とよく似ています。情報管理の強化が人々の自発的な選択というより、背後に国家最高権力の思惑がちらついているあたりも、映画は現実を不気味に暗示していると言えます。

翌日目覚めてシャワーを浴び、備え付けのドライヤーを片手に鏡の前に立ったとき、ブラシはユナイテッドに預け放しのスーツケースの中にあることを思い出しました。髭を剃ろうとして、シェーバーも同じく手元にないことに気がつきました。おかげでボサボサ頭に無精髭のむさ苦しい有様で空港に向かう羽目になりましたが、昨日からのトラブルそのものに比べればどうということもありません。

東京便の機内では、スピルバーグの『ターミナル』を上映していました。旧ソビエト圏の某国からやってきたある男が、祖国で勃発したクーデターのためパスポートが失効し、ニューヨーク・JFK空港で入国を拒否され立ち往生します。空港で立ち往生の経験なら私自身記憶に新しいところですが、ろくに英語を話さない『ターミナル』の主人公は異国の地で陥った奇怪な境遇に実に果敢に立ち向かいます。初日の晩から待合室のベンチを破壊し即席のベッドをあつらえる大胆さなど、控えめな日本人には到底真似できぬ、逞しい生存本能であります。

ところで、飛行機の中では必ず映画を上映するのになぜ空港には映画館がないのでしょうか?足止めを食らった乗客に無料チケットを配れば、いい時間つぶしになるはずです。そしてもし私が映画館のマネージャーだったら、そのうち一館はヘッドホンで各国語バージョンが聞ける『ターミナル』を上映するでしょう。旅慣れず言葉も話せない外国人が事情もわからず途方に暮れ、その上疲れた航空会社職員に邪険に扱われて絶大なストレスに参ってしまった時、トム・ハンクス演じるこの人物の素朴な勇気がきっと心に染みるはずです。要塞のごとく金属探知機に囲まれ殺伐とした現代の空港にあって、それは無力感に打ちひしがれた旅行者のためのオアシスになるに違いありません。

出張先に一日遅れで着いたおかげで、ほとんどとんぼ返りの旅程でした。帰りの成田エクスプレスの中で、今度からは万一に備えヘアブラシとシェーバーは手荷物のほうにしまっておこうと考えていました。しかしその「万一」が予想を絶して早くやって来ることなど、その時考えもしませんでした。私の七難八苦の旅は、まだ終わっていなかったのです。

(初出:『コロラドの☆は歌うか:番外編』2005年3月29日付)


もともとこの記事は二話連続の前半部であった。結果として二日に満たなかった日本滞在後に乗った帰国便がまた遅れ、さらなる冒険を強いられた続編があったのだが、続編のファイルを紛失し何を書いたか覚えていない。ただもしこの経験で得た成果が一つあるとすれば、このとき以後空の旅で遭遇する大抵のトラブルには全く動じなくなったことである。

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ザ・ホエール [映画・漫画]

shinkai_makkoukujira.png映画『ザ・ホエール』のことを書きたい。(かつての)二枚目俳優ブレンダン・フレイザーが肥満で歩行もままならない巨漢を演じてアカデミー主演男優賞を勝ち取った映画だが、日本ではあまり話題になっていない。題名はクジラだが、本物の鯨は一切出てこない。物語で重要な縦糸を紡ぐメルヴィルの『白鯨』から来ているが、鯨はおそらく主人公チャーリー自身のメタファーでもある。

チャーリーは、かつて同性の恋人と駆け落ちし妻子を捨てた男である。しかしその恋人が自ら命を絶ったトラウマから過食が止まらず、極度の肥満で心臓疾患を患っている。死を予期したチャーリーが娘との絆を取り戻そうとするところから物語が始まり、彼の昇天を想起させる結末で幕を下ろす。登場人物はそれぞれ心に癒しがたい傷を抱え、苦く痛々しい人間模様がただ綿々と描かれる。

チャーリーは妻と娘を深く傷つけた業を背負いながら、娘を一途に想い続けている。娘はそんな父を嫌悪し強い言葉をぶつけつつ、心の底では大好きだった父の面影を求め続けている。それ自体はよくありそうなフィクションの題材であるが、宣教に訪れたキリスト教系新興宗教団体の青年が二人の関係に図らずも絡んでくる。怪しげな終末論を語りチャーリーの魂を救おうと願う青年だが、やがて黒歴史の過去から逃げ出して来た彼の過去が暴かれる。しかし物語終盤で彼自身が己の罪から解放されたと知るや、ありきたりな道徳観を振りかざしチャーリーを断罪するに至る。

チャーリーはオンラインで大学の文学講座を教えている。エッセイのイロハを語りながら、決まりきったセオリーによって学生の自己表現を漂白している偽善に自ら耐えられなくなる。チャーリーはそこに、宣教師の青年のように通り一遍の価値観で生身の人間を全否定するに等しい冷酷さを感じたのである。報われない愛情と許されない罪の意識に引き裂かれ既に限界の状態にあったチャーリーは、パソコンのスクリーン上に並ぶ学生たちの前でついに感情を爆発させる。

この映画は、最近日本で話題になった二つの出来事を少し思い起こす。一つは宗教二世が直面する虐待問題、もう一つは芸能人の不倫をネタに楽しそうに盛り上がる世間である。家族や社会が軽々しく投げつける批判や同情では決して裁けないはずの当事者の深い煩悶を、底辺でもがく彼らの葛藤に寄り添って描いた物語が『ザ・ホエール』だ。たぶん、気分が沈みがちな時には見ないほうがいい映画である。

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消える消しゴム [語学]

タイのドンキで売られていた「よく消える消しゴム」の英訳が振るっている、というSNSの投稿に笑った。
Eraser that disappears often.
いや「よく消える」ってそういうことじゃなくて、と突っ込みつつ、確かに訳としてはちゃんと成立している。地元スタッフが自動翻訳に放り込んだらこれが出て来たのかもしれない。

bunbougu_keshigomu.pngそこでふと疑問に思ったのだが、「よく消える消しゴム」という日本語はそもそも文法的に正しいのだろうか。似た語句に「よく切れるハサミ」や「よく書けるペン」などがある。ならば本来は「よく消せる消しゴム」と言うのが正しいのではないか?消える消しゴムと言うと失踪癖のニュアンスを払拭できないが、消せると言えばその誤解は排除できそうである。

しかし考えてみると、「切れる」「書ける」「消せる」はいずれも「切る」「書く」「消す」という動作を伴う他動詞から派生している。他方、「消える」は動作の主体が不在の自動詞である。「字を消せる」のか「字が消える」のか、消しゴムの見方次第で言い方が変わる。「切る」や「書く」は対応する自動詞が存在しないので、このような言い換えができない。ハサミやペンにはない、消しゴムの特権だ。

「消える」と似た例として、見るという動詞は「物を見る」と「物が見える」の二通りの言い方ができる。「よく見える眼鏡」は「よく消える消しゴム」と同じ語感だ。ただし切れるハサミや書けるペンのように「よく見れる(見られる)眼鏡」という他動詞型の表現は、なぜか眼鏡には馴染まない。消せると消えるのいずれの用法も可能な二刀流が成立するのは、思いつく限り消しゴムだけだ。消しゴムは日用品界の大谷翔平なのである。

あれこれ書いているうちに何か文法的な結論が出るかと思ったのだが、むしろ落としどころがわからなくなった。日本語は奥が深い。

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マイナ保険証問題 [政治・経済]

my_number_card2.png健康保険証をマイナンバーカードに統合する大計画が進んでいるが、その過程で数々のトラブルが発生している。岸田総理の支持率が再び下落し始めた要因の一つとまで言われている。

医療機関の窓口では、カードリーダーに読み込めない、顔認証できない、登録データが出て来ない、といった技術トラブルが多いようである。とは言え、これらの問題は従来どおりの保険証を利用すれば済む話なので、対応に追われる現場の時間的損失を別にすれば実害はない。

より重大なのは他人の情報が紐づいている事例が発生していることで、場合によっては診療に悪影響がある。厚労省は、今年5月下旬までにマイナンバーが間違って登録された案件が7,300件余りと発表した。これ自体は少なくない数字ではあるが、実際に他人の情報が閲覧されたのは(約13.2億件中)10件だそうで(参考PDF)、紐付けミスが起こっても現実に個人情報漏洩に至るケースは極めて少ない。

不手際には変わりないので行政を擁護する意図は毛頭ないが、首相の支持率に直結するほど大した話か、というのが率直な実感である。マイナ保険証に限らず、新しいシステムを大々的に導入すれば初めはたいてい不具合が続発する。それを温かい目で見守れと言うつもりはないが、メディアが率先してマイナ問題をヒステリックに糾弾する昨今の様相は、それはそれで異様である。

なぜこんなに大騒ぎになっているかというと、もともとマイナカードのアンチが多いからだ。メディアにとっては、美味しい鉄板ネタなのである。世論が消極的でマイナカードの普及が進まない現状に政府が業を煮やし、来年秋には健康保険証をマイナカードに一本化すると前のめりに突っ走った。それが見事に裏目に出て、相次ぐトラブルが反マイナンバー論者に格好の攻撃素材を提供している。

2024年秋の完全マイナ化はさすがに仕切り直したほうが良さそうだが、技術的な不備はきちんと改善した上でマイナ保険証を制度化することに特に問題があるとは思えない。マイナカードが便利と思う機会はほとんどないが、手元に置いておいたところで噛みつかれるわけでもない。 13.2億分の10のリスクにビビッてマイナカードを返納する人まで出て来ているようだが、いったん頭を冷やしてみてはいかがか。

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