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君たちはどう鍋を食うか [社会]

大阪公立大学の講義中に鍋をつつく学生が現れた、というネットニュースの見出しを見て、学級崩壊もそこまで来たかと思わず唸った。が、記事を読み進めると、どうもそういうことではないらしい。この講義を担当する増田聡教授のSNSに、こうある。
「オレの授業なら授業中に鍋やっていいよ」と言い続けてきたがようやくほんまに鍋やってくれた学生(一回生)が現れました。やー大学とはこんなふうに手間暇かけて自由であることのディテールを確認する空間であるべきやと思うねん。自前でそれをやる見所のある若者たちである。がんばってくれたまえ
何を言っているのか、よくわからない。鍋を食べたければ、授業をサボって誰かの部屋にでも集まって盛り上がればいい。そっちのほうが、よほど自由だ。

nabe_chanko.png昔は一般教養の授業をサボる学生はちっとも珍しくなかった。毎週出席する学生の方が少ないので、いつもいる学生同志はすぐに仲良くなった。普段はガラガラの教室が、期末試験の時期だけ入りきれないくらいごったがえす。この大学には学生がこんな大勢いたのか、と驚いた。率直に言って、出席率と成績はあまり関係がない。授業に来なくてもやたら出来る連中もいれば、単位を落としまくって留年する学生もいた。

勉強するもしないも学生次第だから、講義に顔を出さなくてもあからさまに叱る教員はいなかった。良し悪しは別として、当時はそれが大学の自由だった。食材やカセットコンロをわざわざ教室に持ち込む面倒くさい「自由」など、アホらしくてだれも思いつきもしなかった。

今の学生は、総じて真面目である。私たちの世代が学生だった30年前に比べ、授業の出席率はずっと高い。毎回出席を取られそれが単位に必須の講義であれば、イヤでも来ざるを得ない。でも、大学で自由を確認したい増田教授は、まさか出席など取っておられないだろう。自由を謳うのであれば、オレの授業が退屈なら来なくていい、代わりに他所で勉強するもしないも君たち次第、と言えばいいだけの話だ。

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けん玉ギネス記録 [その他]

ミシュランといえば、言わずと知れたレストラン・ホテル格付けの権威である。タイヤメーカーがグルメ界の頂点に君臨する実情は一見すると奇妙だが、ミシュランガイドはもともとフランス国内旅行の無料ガイドブックに過ぎなかった。自動車が一般に普及し始めた20世紀初め、ドライバーが愛用する旅のお供としてその歴史が始まったわけである。

奇妙といえば、ビール会社が世界記録を認定するギネスブックも不可思議な伝統である。ギネスブックのルーツは、ギネスの社長が狩猟に出かけた際に一番早く飛べる鳥は何かと議論が始まり、その答えがどこにもみつからなかった出来事に由来するという。これがのちに「世界で一番〇〇なのは?」というパブ定番の議論ネタを解決する本のアイディアを産み、通称ギネスブックとして知られるようになった。ビールの売り上げに貢献しているか定かでないが、ビール醸造の会社が世界記録集の出版を手掛けた背景はアイルランドのパブ文化に端を発するのである。

オリンピックで世界記録を出すのは並大抵のことではないが、ギネスブックの敷居はそこまで高くはない。競技種目があらかじめ決まっているオリンピックと違い、ギネスブックは自分で新種目を造ることができる。他の誰も挑戦しないマニアックな記録に挑戦すれば、一般人がギネスブックに載ることも夢ではない。試しにギネスワールドレコーズの日本版オフィシャルサイト(ここ)を覗いてみたところ、ダイソンの掃除機で50メートルを掃除する最速タイムという記録が紹介されていた(22.31秒で床に散布された重曹の99%を回収できたそうである)。世界最速も何も、50メートルを全力疾走で掃除しようと思った人が人類史上かつて誰もいなかっただけの話ではないか。もちろん、要は掃除機メーカーのキャンペーンである。

omocha_kendama.pngここ数年にわたり、NHK紅白歌合戦がけん玉連続成功数のギネス記録にチャレンジしてきた。ご自身がけん玉道四段という三山ひろし氏が演歌を熱唱する裏で、ずらりと居並ぶ名人たちが次々と技を決めていく。2022年の紅白では127人のギネス記録を達成したので、昨年末は128人で新記録に挑んだ。その場では無事記録達成と思われたが、直後のビデオ判定で16番目の挑戦者が技を外していたことが判明し、チャンレンジ失敗となったそうである。2023年の紅白は、ジャニーズ不在とけん玉騒動に見舞われた回として歴史に刻まれることだろう。

何かを始める決心よりも、いったん始めた何かを終える決断のほうが時として難しい。けん玉ギネス記録はその好例だ。しかし新記録なるものは毎回ハードルが上がっていくから、必然的に成功率は下がり続けいつか失敗するに決まっている。これを機にNHKが目を覚まし、無謀で無意味なけん玉プロジェクトを今後放棄するのであれば、16番氏の失敗も結果的に報われるだろう。たぶんけん玉チャレンジに限ったことではなく、迷走する紅白のあり方そのものを見つめ直す好い機会のような気がする。

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ペット同伴 [動物]

元旦には北陸の大地震、二日には羽田空港の衝突炎上事故が起き、大変な年明けを迎えた。JAL機と衝突した海保機は北陸の被災者支援に向かう途上だったそうで、亡くなった5名の乗員はある意味で地震の間接的な犠牲者と言えるかもしれない。一方JAL機の乗客・乗員は機体に炎が迫るなか全員が無事脱出し、海外からも「教科書どおりの」緊急脱出と賞賛を浴びた。ただ同機の貨物室にいた二匹のペットが犠牲になったことで、機内にペットを同伴することを許可すべきだという声がネットで相次いだ。この件が地味に論争を呼んでいる。

pet_carry_cage_dog.png国際的には、ペットの機内同伴を認める航空会社もある。その場合動物は(盲導犬のようなサービスアニマルを除き)手荷物扱いで、ケージの大きさを含めいろいろ制限がある。ペットを目の届く手元に置いておけるなら、手荷物扱いであろうと飼い主にとっては安心だろう。ただし問題は非常時である。緊急脱出の際に手荷物を持ち出すことは許されないので、必然的にペットを連れて逃げることもできない。羽田の事故時に貨物室にいた気の毒な動物たちは、仮に機内にいられたとしても結果は同じだったのである。

ペットも尊い命なのだから、非常事態では規定にこだわらず連れ出すことを許されるべきだ、という主張があるかもしれない。しかし、そもそもなぜ緊急脱出の際に手荷物を持ち出せないかというと、他の乗客の脱出を妨害するからである。この点において、手荷物の中身が日用品でも生身の動物でも変わりはない。今回の炎上事故のように一刻を争う事態の場合、誰かがペットのケージを引っ張り出すわずかな時間が生死の命運を分けかねない。さすがに、助かるはずの乗客の命を犠牲にしてまでペット救出を容認する航空会社はない。ペットを機内に同伴するということは、最悪の事態には目の前で最愛の伴侶を置いて逃げないといけないことを意味するのである。

もし深刻な航空機事故でペットを失うリスクが耐えられないのであれば、飼い主が取れる唯一の選択肢は、ペットを旅行に連れて行かないことである。もちろん飼い主にもいろいろ事情はあって、ペット同伴で航空機移動しなければならないこともあるだろう。でも本当に最愛の尊い命に寄り添うのであれば、彼らの気持ちを探ってみればいい。もしペットが喋ることができるなら、頼むから旅なんて止めてくれと言うだろう。犬や猫のような動物は繊細で環境の急激な変化を好まないので、ケージに入れられ連れ回されるのが楽しいはずはないのである。

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おわりではじまり [その他]

tatemono_jinja.png大晦日が元旦に変わる瞬間は、旧年の終わりであると同時に新年の始まりでもある。欧米圏では一年の締めくくりにカウントダウンで大はしゃぎし、元旦は疲れ果て昼まで寝ている。一方、三が日におせちやら初詣やら各種イベントが立て込んでいる日本(や旧正月を祝うアジア諸国)は、来るべき一年を祝う機会として襟を正し正月を迎える。文化の違いか宗教観の差なのか、ゆく年を華々しく見送る人がいれば、くる年を厳粛に迎える人がいる。

と書きつつ、個人的には齢とともに新年関連イベントがだんだん億劫になってきた。もともとかなりぐうたらな冬休みを送っているクチだが、巷で盛り上がる年末年始の祝祭感にいまひとつ乗れなくなって久しい。でも、密かにそう思っているのはたぶん私だけではない。TV各局が競って流す賑やかな年末特番の中で、テレ東系列局が綿々と放映する『孤独のグルメ』が異彩を放っている。年の瀬と何の関係もない緩くマニアックなドラマが毎年大晦日に再放送されるからには、そこに一定のニーズがあるはずだ。旅先で訪れた名もなき名店で独り舌鼓を打つ松重豊さんの幸せそうな姿が、年末の喧騒をしばし忘れさせてくれる。

例年は晩夏の夜中にひっそりと咲く我が家の月下美人が、昨年は一度も花をつけなかった。そうかお前もぼちぼち人生の曲がり角、先が見えてやる気が出なくなったか、と勝手に親近感を覚えていた。ところが今朝、その月下美人の鉢植えに小さな新芽が顔を出しているのを発見した。窓から差し込む元旦の陽射しを浴びて、真っ直ぐ伸びる健気な新芽が眩しかった。

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