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受賞しない理由 [文学]

一年に一度きりの時事ネタなので、先週に続いて再びノーベル賞の話である。

bunbougu_hanepen.png受賞者が一躍脚光を浴びるのは当然だが、逆に受賞しなかったがゆえに話題に上る人がいる。村上春樹氏だ。この季節になると恒例行事のように「村上春樹はなぜノーベル文学賞を取れないのか」といった言説がひとしきり飛び交う。物理学賞や化学賞や医学生理学賞でこのような現象は起こらない。ノーベル賞級の業績を残した研究者は少なくないので、有力候補でもたまたまその年に選ばれる確率は低いから、選に漏れること自体に理由はない。でもなぜか文学賞だけは、村上氏を賞から外したことに選考委員会(スウェーデン・アカデミー)の意図があるという前提で諸説入り乱れ盛り上がる。文学好きの習性か、それとも村上春樹だからそうなるのか。

たしかにこの人はいろいろな意味で別格の作家である。世界各国で訳書が出版され国際的に認知度が高い。知り合いのアメリカ人気象学者に村上春樹ファンを自認する女性がおり、英訳された村上作品はすべて読破したそうである。平易で研ぎ澄まされた美しい文体はこの人特有の匂いが香りたち、これにカブれて村上春樹気取りの文章を綴る素人が後を絶たない。平凡な日常のすぐ裏側に不穏な異世界がぬっと現れる物語の面白さは抜群で、読み始めたら止まらない吸引力がある。私自身はとくにファンではないし未読の村上作品も多いが、ハルキストと呼ばれる筋金入りのファン集団がいる理由は何となく分かる気がする。カフカ賞とかエルサレム賞とか海外で高く評価されているから、次こそはノーベル賞か、と期待が盛り上がるのは無理もない。

文学賞は社会的・政治的なメッセージ性が好んで評価されがちなどと言われることもあるが、それが全てでもない。つい最近文学賞を獲ったカズオ・イシグロはそういう気配は薄いし、作家のタイプとしては村上春樹に近い立ち位置と思われる。イシグロ氏自身が村上春樹への敬愛を語っているし、落ち着いた文章が淡々と続く語り口や仄かに漂う軽やかなユーモアなど、この二人の作風には共通点もある。でも物語の仕掛けの作り込み方では全く個性が違う。村上作品の主人公が取り澄ましていながらどこか寂しがり屋で人恋しげなのに対して、イシグロ小説の登場人物はたいてい独りよがりで時に鼻持ちならない。会話はしばしばチグハグで、しかしその噛み合わないリアリティの中に裏腹な本心が透けて見えるよう巧妙に計算されている。語り部が言わなかったことや口を濁した行間に大事な鍵が潜んでいて、その点と点を結んでいくと語られた物語とまるで違う真実が浮かび上がってくるのがイシグロ作品の醍醐味だ。ノーベル賞の受賞理由である「(力強く心を揺さぶる小説を通じて)この世界とつながっているという見せかけの感覚に潜む深淵を日の元にさらした」という表現は味わい深い。村上作品のようにファンタジーの舞台装置を借りずとも、ささやかな見栄やごまかしの中に人間関係の機能不全が少しづつ露呈するさまが丁寧に描かれ、よく知っている(と思っていた)現実像の脆さに直面する。それでも『日の名残り』や『夜想曲集』を始めイシグロ小説の読後感が不思議と温かいのは、作者が人間を見つめる眼差しの優しさ故ということか。

とまるで永年のイシグロ・ファンであるかのような書きっぷりだが、何を隠そう2017年ノーベル賞の報せを聞くまで(名前は知っていたが)イシグロ作品は一つも読んだことがなかった。そんなに凄い作家なら読んでみるか、とノーベル賞効果で手を出したわけで、単なるミーハーである。ふと思ったのだが、じつはそれこそノーベル賞文学賞の目的ではないか。歴代の受賞者を俯瞰すると、よほどの文学通でないと名前が出て来ないような作家がゴロゴロいる。商業的にヒットはしないが世界にもっと読まれるべき作家を紹介するのが、ノーベル文学賞の隠された使命なのではないか。だとすれば、村上春樹の名前が上がらないのも頷ける。世界中で読まれているのに受賞しないのではなく、世界中で読まれているから今更プロモーションの必要がないのである。

もっともボブ・ディランの知名度をわざわざ上げる必要があるとは思えないから、一概にそうとも言えない。受賞しないのは単なる確率論に過ぎないと冒頭で言ったにもかかわらず、結局私も思いつきで怪しげな論陣を張ってしまった。やはり文学賞にはそういう誘惑があるのか。
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