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ルドルフの憂鬱(後編) [フィクション]

前編からつづく

「去年の大きなお家から引っ越してたんだね。注文票の住所を確かめなかったら、間違えるところじゃった。」
カップを片手にサンタが言うと、少女は目を伏せたまま答えた。
「ママが私を連れてパパのお家を出たから。ご覧のとおりちっちゃいマンションだけど、まあまあ快適かな。」
ルドルフとサンタは顔を見合せた。
「サンタさんとトナカイさん、呼びつけたりして迷惑だった? 何であたし、エスプレッソごちそうしますなんて書いちゃったんだろ。」
サンタが慌てて言葉を継いだ。
「いや、全然かまわんよ。話し相手にわざわざ呼んでくれるなんて、サンタには最高のご褒美じゃ。」

fruit_yuzu.png少女が顔を上げて言った。
「ね、ゆず湯って知ってる?サンタさんたちのお国にはないかもしれないけど。」
ポカンとしているサンタの隣で、ルドルフが言った。
「お風呂に柚子を浮かべるやつかい? 日本の冬至の風習だとか聞いたことあるけど。」
「うん、トナカイさん物知りね。柚子ってなんでお湯に浮かぶんだと思う?」
サンタが首を捻った。
「それはあれかな、柚子が水より軽いからかな? アルキメデスの原理とか言われとるんじゃったか。」
「そういうのよくわからないけど、このあいだお風呂で浮かぶ柚子を見てふと思ったの。あたしは川底に沈んでいる柚子なんだって。」
サンタとルドルフは再び顔を見合せた。
「底から見上げるとね、ほかの柚子たちはみんな川面にぷかぷか浮いているのよ。陽射しを浴びて、きれいなオレンジ色に輝いて、澄んだ水の流れに身を任せてみな一緒に去っていくの。あたしはひとり、暗い川底でじっとして、それを見てるだけ。」
サンタは口を開いたが、かける言葉が見つからず、また口を閉じた。
「学校も楽しくないわけじゃないんだけどさ。でもみんな水面でコツコツぶつかり合う柚子みたいに仲良く盛り上がってるのに、あたしだけ独り別の世界にいるみたいな。」

ルドルフが言った。
「でもさ、見方を変えれば、他の子たちは流れに逆らえず漂っていくだけなのに、君だけが自分の居場所で踏ん張っているわけだ。それって、簡単なことじゃないと思うな。」
少女は少し考えてから、軽く頷いた。
「みんなが楽しそうでうらやましいって思うのと、あたしはそうじゃなくていいっていう気持ちが、ずっとぶつかってるの。でも、いつまでもこうやって川底に沈んだまま、コケまみれの大人になっていくのかなって思うと、イヤになっちゃうんだよね。」
膝に置いた手を見つめる少女に、ルドルフは優しく語りかけた。
「柚子は何で水に浮くのかってさっき聞いたよね? それはさ、浮かび上がろうとする力がもともと備わっているからだよ。今は眠っているかもしれないけど、もちろん君のなかにも。」
夜の静寂を破る冷たい北風が、つかのま窓を揺らした。
「そうかな…。」
「今はそう思えなくてもいいんだ。君がいつか水面に浮かび上がりたいと思ったときに、ちゃんと体のなかから湧いてくるから。」
膝の上でぎゅっと組まれた少女の両手が、かすかに震えた。少女はうつむいたまま、聞きとれないくらい小さな声で呟いた。
「なんだか、疲れちゃった。あたし、もう寝るね。勝手ばかり言って、ごめんなさい。でも、来てくれてほんとにありがとう。」

クリスマス配送を終えた深夜、北極圏某所の自宅でサンタは暖炉に薪をくべながら言った。
「なあルドルフ、もしかしておまえも、昔あの子みたいに感じていた頃があるのかい?」
疲労困憊で横になっていたルドルフは、火かき棒で薪をつつくサンタの背中を見やった。
「あの子? ああ、柚子の話っすか?」
そう言って何気なく伸びをしたルドルフは、前脚の痛みに顔をしかめた。
「トナカイはマイノリティなんです、絶滅危惧種ですから。暗い川底から遠い陽射しを見上げるような想いをしたのは、うちらの仲間じゃ珍しくないと思いますよ。」
静かに煌めく暖炉の炎を見つめながら、サンタは小さく溜息をついた。
「おまえとは長い付き合いだが、まだ知らないことがたくさんある。自分が人にとって何をできる人間なのか、わしはいまでも時々よくわからなくなるんじゃ。」
ルドルフはソファからゆっくり起き上がった。
「サンタ先輩ほど世の役に立っている人はなかなかいませんよ。ただせっかくそう仰るんなら、もう一つ役に立ってもらっていいっすか? あっしの前脚の湿布、取り替えて欲しいんですけど。」

(おわり)



※ 2人の前日譚はこちら。
1. 北極圏某所にて
2. 北極圏某所にて 2021
3. サンタの憂鬱(前編)
4. サンタの憂鬱(中編)
5. サンタの憂鬱(後編)
6. ルドルフの憂鬱(前編)

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