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小説の映画化 [映画・漫画]

大ヒットした小説が鳴り物入りで映画化されることは多いが、映像化された作品が原作に匹敵する評価を得ることは稀だ。評価が割れるならまだ良い方で、大コケすることも少なくない。

book_yoko.png文学は文字情報だけで成り立っているので、登場人物の外見や風景など視覚情報は読者の想像力に委ねられる。先に原作を読んでしまうと読者なりの世界観が確立されてしまうので、映像化作品に違和感を感じると没入できない。例外は『ハリーポッター』のようにシリーズ初期に映画がヒットしたケースで、今やダニエル・ラドクリフのハリーやエマ・ワトソンのハーマイオニーを思い浮かべずに小説版を読むほうが難しい。

キューブリック監督の『シャイニング』を原作者スティーブヴン・キングが「エンジンを積んでいないキャデラックのようだ」と酷評したのはよく知られた話である。映像は壮麗だが物語の推進力が根本的に欠けている、と言うわけだ。『シャイニング』に関しては監督と原作者の美学が違いすぎるわけで必ずしも良し悪しでは整理できないが、一般にキングのホラー作品の映画化は原作の魅力にはるか及ばない。もともとキングのホラーはハロウィン的なB級テイストが基本なので、そのまま映像化するとチープに見えるのはむしろ必然である。

スティーヴン・キングを初めて読む人は、ホラー要素の薄い作品から入った方がいい。その方が、キング本来の魅力である物語の圧倒的な面白さと人物造形のリアリティ、そして読後感の深い余韻に没入しやすい。キングには『デッドゾーン』『スタンドバイミー』『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』といった非ホラーの名作がいくつもある。邪悪なモンスターが登場しないおかげでキング本来の文学的魅力が輝いているためか、各々映画版も高く評価されている傑作ばかりだ。彼のホラー作品の映像化で成功した数少ない例は『ミザリー』だが、この物語は実質的に登場人物二人の駆け引きで読者を引き込む密室劇で、もともと高度に文学的な題材なのである。

アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンの燻し銀のごとき共演が光った『日の名残り』のように、映画としても最上級の賞賛を浴びた文学作品も存在する。とは言え、この映画はカズオ・イシグロの同名小説とは別物と考えた方がいいかもしれない。語り手の言いよどみや隠しごとが見えない真実を紡いでゆくイシグロの小説は、原理的に映像化が困難だからである。執事としての職業的な誇りと、その陰で自ら封印し続けた恋心の葛藤が、奇しくも同じ晩にクライマックスを迎え主人公の心中で混線し一体化する。イシグロが『日の名残り』に仕掛けたこの離れ業は、行間を読者の想像力に委ねる小説の中でしか体験することができない。

言葉はある意味で視覚情報より雄弁である。ディーリア・オーウェンズの小説『ザリガニの鳴くところ』は、主人公の少女が暮らす森と湿地の描写が濃密で、文面から音や匂いまでもが立ち昇るかのようだ。小説で描かれる大自然は、普段は優しく美しく、しかし時に不吉で荒々しく、人への渇望と恐れに揺れる孤独な少女の心象をなぞるように千変万化する。本作の映画版は雄大な風景の映像が堪能できる美しい一編だが、本を読んでから映画を見ると、むしろ映像表現の限界に思いが及ぶ。

原作モノの映画は、未知の文学世界に扉を開くきっかけだと思えばいい。一冊の長編が上手に編集され二時間にダイジェストされているから、手軽に要約を知る手段としてコスパがいい。一見して気に入らなければスルーすればいいし、気に入れば原作を読んでみるのもいい。私は映画の『ショーシャンクの空に』を見て小説を手に取って以来、いまも変わらぬスティーヴン・キングのファンになった。

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