SSブログ

キッシーの苦悩 [文学]

菅新内閣が誕生した。予定調和に終始した自民党総裁選のさなか、唯一新鮮だったのは岸田元政調会長のキャラが崩壊したことだ。突然メディアへ露出が増え上機嫌に質問に答え続けた挙句、ご自身をキッシーなどと呼び始めた。岸田さんて、こんな人だったか?

「〇っしー」は愛称の定番パターンである。さっしーとかふなっしーとか、バブルの頃にはアッシー君なるパシリが流行っていたが、元祖はたぶんネッシーだろう。ネス湖の怪物は最古の目撃例が6世紀の文献にまで遡るというから、思いのほか歴史が古い。スコットランド地方の民話には湖に住む魔物がよく登場するそうで、もともと文化的に親和性が高いようである。ちなみに女性名Agnesの愛称の1つがNessieがなので、英語圏の人の耳にはもともと馴染みがある語感なのかもしれない。

tatemono_toudai.pngネッシーに触発されたかどうか定かではないが、米国の作家レイ・ブラッドベリの代表作の1つに、海の底に棲む独りぼっちの怪獣を描いた作品がある。『The Fog Horn(霧笛)』という短編で、まるで一遍の詩を読んでいるかのような美しい文章が紡ぎ出す、哀しく幻想的な物語だ。

秋の霧に包まれた灯台を舞台に、灯台守が新人の同僚に不思議な話を語り聞かせる。太古の爬虫類最後の生き残りである怪獣は、気の遠くなるような孤独の年月に倦んだある日、はるか彼方から届く同胞の呼声を耳にする。居ても立ってもいられず深海の棲家を離れ、浅瀬に向かい少しずつ辛抱強く、何キロにも及ぶ道中を泳ぎ続ける。ついに海面から姿を表した怪獣は、目の前に屹立する一基の灯台を発見する。彼自身とそっくりの巨大な長い首と、そのてっぺんで煌めく眼光。そして、懐かしさに身が震える重く鈍い呼声。怪獣は、狂おしい思いで喉を振り絞り、灯台が発する霧笛に応える。

この様子を見た灯台守は、同僚にこう語る。
これが人生なのさ。二度と帰ってこない誰かをずっと待ち続けていたり。報われない愛をずっと何かに捧げていたり。そしてやがて、その愛する何かを叩きのめしてしまいたくなる。もうそれ以上、自分が傷つくことがないように。
そして、気まぐれに霧笛のスイッチを停止する。何の前触れもなく沈黙した灯台の「拒絶」に、募りに募った怪物の切なる想いは爆発する。逆上した怪物に激突された灯台は、ひとたまりもなく木っ端微塵に崩壊する。

岸田さんはもともと安倍元総理にとって後継者候補イチオシと言われていたが、結局菅さんに株を奪われた。総裁選のあいだつとめて親しみある人柄を演出しようと頑張っておられたが、岸田さんには不釣り合いに軽いキャラを狙い過ぎたようで、逆に必死さが滲み出て痛ましかった。気がつくと見放されていた岸田さんの不器用な笑顔に、突然沈黙した灯台の正体に気付いた怪獣の傷心がかぶる。無邪気にキッシーなどと名乗っておられたが、住処の暗い静けさに慣れすぎてしまったか、海上に浮上するタイミングがいささか遅過ぎたようである。悲しさのあまり灯台を叩き潰しに行くような人では、たぶんないと思うが。

共通テーマ:日記・雑感