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なぜ木村太郎氏は間違えたのか [海外文化]

landmark_whitehouse.png米大統領選はバイデン勝利がかなり濃厚になったが、トランプ陣営は鼻息荒く集計差し止めを提訴するなど場外乱闘ステージに突入した感がある。こうなったら一番厄介だろうな、と皆がうすうす恐れていたシナリオに、見事にハマってきた。両陣営のコアな支持者があちこちでデモや小競り合いを起こすだけならまだしも、現職大統領が対立を煽っているような現状は先進国としてマトモではない。

ところで、ここのところ個人的にずっと興味を持って見守ってきたのは、ジャーナリスト木村太郎氏の発言動向である。4年前の大統領選でヒラリー・クリントン候補優勢が伝えられる中、木村氏はトランプ勝利の見立てを見事に的中させ、勇名を馳せた。今回の選挙も「バイデンが勝つ要素が見当たらない」とテレビ番組で公言し99%トランプ勝利を予測しておられたが、結果はバイデン候補に軍配が上がりそうである。なぜ今回は読みを外したのか?

どこの国にも多かれ少なかれ保守派と急進派の対立があるが、米国の共和党支持者のメンタリティは私たちには少し理解しにくい。キリスト教原理主義に代表される宗教色の強さや、国民皆保険制度や銃規制を毛嫌いする米国独特の自由至上主義指向など、日本とは文化的な土壌がかなり違う。トランプ大統領自身は決して伝統的な共和党的価値観を象徴してはいないが、保守派の政治指向を戦略的に利用しつつ、ラストベルトで苦境に喘ぐ労働者の不満をすくい取って前回の大統領選を制した。そんな米国社会の奥底に疼く痛みが大統領選の流れを決めると見抜いたのが、4年前の木村太郎氏だった。通り一遍の教科書的な分析と一線を画す視点が新鮮だった。

前回トランプ大統領の誕生が世界を驚かせたのは、政治経験のない粗野なビジネスマンを米国民が神聖なる大統領に選ぶはずがない、と多くの人が感じていたせいだと思う。しかし現実は、高潔だろうが粗野だろうが自分の暮らしを良くしてくれる人がいいと考える層が意外に厚かった。就任後は経済対策のみならず、メキシコ国境の壁建設や在イスラエル大使館のエルサレム移転など、国際関係上の良識に照らせば正気の沙汰とは思えない公約を次々と実行していく。politically correctであることは疲れると内心思っていた一定数の人々が、自分たちの想いを承認し代弁する大統領の出現に歓喜し心酔した。

この4年の間に木村太郎氏の分析力が鈍ったとは思わない。日本のニュースや解説者の多くが伝えきれない親トランプ派の本音を木村氏の指摘から学んだし、フロリダやテキサスなど大票田の南部州は実際にトランプ大統領が取った。だがラストベルトに位置するミシガンとウィスコンシンの2州でバイデン氏が辛勝すると潮目が変わり、木村氏も急に意気が下がってしまった。気丈に情報番組でコメントを続けておられるが、持ち前の切れ味がすっかり鈍りグダグダになってしまった感が否めない。

木村太郎氏を批判するためにこの話題を取り上げたわけではない。僅差の接戦州が選挙人過半数獲得の鍵を握る展開になった以上、予測の非常に難しい選挙戦だったことは間違いない。しかし、バイデンは勝つ理由がないとまで言い切ってしまったのは、判断を誤ったと言わざるを得ない。思うに木村氏はトランプ大統領に肩入れしすぎたせいで、本来冷静に分析するべきアメリカ世論全体の温度感を読み損ねてしまったのではないか。何が正しいかを見極めるより、自分が正しいと固執したい。4年前の成功体験が効きすぎたのか、木村氏ほど頭脳明晰な老練家すらそんな誘惑に勝てなかったようである。

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