SSブログ

勇気をもらう [その他]

pose_kandou_man.pngスポーツ選手などが偉業を成し遂げたとき、それを見ていた人が「勇気をもらいました」などとコメントすることがある。しかし勇気を「もらう」ということが何を意味するのかよくわからない。そもそも「君に勇気をあげる」と言う人は少ない(いないわけではないが)。誰もあげたつもりもない勇気を勝手にもらうのは、ドロボーではないか。

勇気を出す、勇気を奮い起こす、という表現はわかる。勇気は自分自身の中にもともと潜んでいるものだ。足りない時に人からホイともらえるものではない。たぶん、「勇気づけられる」というニュアンスに近い意味で「勇気をもらう」と言っているのではないかと想像する。勇気づけられると言うときは、きっかけは誰かの行動に刺激されてはいても、あくまで奮い立てる勇気は自分自身のものだ。

なぜ素直に「勇気づけられる」と言わずに「勇気をもらう」と表現するのか?想像するに、「勇気づけられる」という語感が、ちょっと重すぎるからじゃないか。本当は単に「すごいと思った」くらいの月並みな感想しかないところ、表現をいくらか盛ってみたいときに便利な決まり文句が「勇気をもらう」なのではないか。この言葉を発明したのがどなたかはわからないが、当初はその違和感が逆に新鮮な響きで受け止められていたのかもしれない。だが散々使い回されるうちに、「勇気をもらう」も月並みで陳腐な言い回しになった。そろそろ次の表現を誰かが思いついてもいい。

共通テーマ:日記・雑感