SSブログ

X世代の悲哀 [社会]

Z世代という言葉をときどき耳にする。Zがあるからには、もちろんX世代とY世代もいる。日本ではあまり聞かないが、もともと欧米圏を中心に使われてきた用語だ。X世代は戦後のベビーブーマーに続く1965年-80年頃生まれの層で、日本で言うところの団塊ジュニアとその前後の世代だ。Xより若いY世代はネットネイティブ、さらに若い2000年代生まれのZ世代はスマホネイティブとされる。IT技術の進化がコミュニケーションのスピード感や距離感を劇的に変えたことを考えれば、国境を越えて同じように世代を分類する意味はある。とはいえ、日本には日本固有の社会状況がある。

bubble_houkai.pngX世代が多感な十代ないし二十代を迎える頃、バブルが崩壊した。これを境に、今日より明日のほうがきっと良い世界が待っているという高度成長期以来の期待感が日本社会から完全に消失した。X世代のど真ん中にいる私は、当時大学生だった。学園祭の学部企画を担当していて、前年までは快諾してくれたスポンサー企業から軒並み断られ「引継ぎと話が違う」と焦ったことを覚えている。もし大学院に進学していなければ、就職氷河期の最先端で吹雪に立ち向かっていただろう。大学院を終えて博士号を取ったは良いが、結局ポスドク問題という別の氷河期に直面することになった。

自分より5から10歳位くらい上の年齢の同業者と話をしていると、彼らの前向きな明るさと静かな自信に感銘を受けることがある。バブルに湧いていたころの日本を社会人として経験し、また大学院重点化が浸透し研究職が極端な買い手市場へと傾く前に勝ち逃げした世代である。もちろん、生まれた年代だけで人を語るのはフェアではない。ただ、日々肌で感じる時代の勢いや空気のにおいは、長い時間をかけて私たちのメンタリティをじわじわと醸成する。成功体験に乏しい氷河期世代にとって、いつか自分が社会にとって価値ある存在になれると信じるためには、人一倍心の強さを奮い立たせないといけない。

翻って自分よりずっと年下の優秀な若者と接すると、バブル世代のようなギラギラした昭和臭とは無縁だが、氷河期世代が背負いがちな悲壮感もない。さとり世代という言葉があるが、物心ついたころには「失われた10年/20年」の只中にいたから、初めから身の丈に合った人生目標に堅実に着地する処世術を身に着けているのかもしれない。あるいは、ライバルがひしめいていた団塊ジュニアの氷河期先頭集団と違って、勝ち残りのプレッシャーから自由なせいかもしれない。若い世代なりの苦悩はいろいろあるに違いないが、傍から見ていると彼らの気負いのないしなやかさに爽やかな感動を覚える。

日本でX世代とかY世代といった語が定着しなかったのは、それなりの理由があったのだと思う。日本の現役世代は、XYZ以前にバブル世代・氷河期世代・ポストバブル世代を隔てる断絶が深すぎるのではないか。

共通テーマ:日記・雑感