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チーム競技と個人競技 [スポーツ]

sports_ball_rugby.pngラグビーW杯のおかげで、にわかラグビーファンが大増殖したそうである。スポーツ全般と縁の薄い私ですら、ついテレビの試合の見入ってしまったくらいだ。それにしてもラグビーはルールを飲み込むのが難しい。とくに反則のバラエティがあまりに豊富で、いちいち何故笛を鳴らされたのか(説明されても)理解が追いつかない。ラインアウトはなぜスローインするだけじゃダメで組体操みたいなフォーメーションになるのか、ことあるごとに審判を囲んで両チームの井戸端会議が始まるのはいったい何を話しているのか、素人目には謎めいたスポーツだ。何はともあれ、予選リーグを全勝突破した日本代表チームは本当に素晴らしかった。

ラグビー熱気の陰で、フィギュアスケートのシーズンがひっそり幕を開けた。昨年は足の怪我で涙を飲んだ羽生結弦がグランプリ・シリーズ初戦でみごとな復活を遂げたり、女子も4回転ジャンプを跳べないと勝ち抜けない新時代になってきたり、こちらも話題には事欠かない。それにしても、ラグビーとフィギュアスケートは同じスポーツと言っても実に対極的だ。ラグビー選手が氷上でステップ・シークエンスを披露したり、フィギュア選手が総結集してスクラム組んだりなど、全く想像できない。選手の体格が違うのでビジュアルの違和感が強いせいでもあるが、それ以上にチーム戦と個人戦という競技の基本設計の違いが大きい。

種目数で言えば個人競技のスポーツのほうが多数派だろうか。テニスや卓球やバドミントンはチームを組んでもたかだか2対2で基本は個人戦だし、リレーを除くと陸上競技のほとんどは個人どうしの戦いだ。フィギュアやゴルフのように対戦というより黙々と自身のスコアと向き合うスポーツもある。体操とかスキージャンプは団体戦があるが、点数が合算されるだけで実質的には個人技の種目だ。個人競技の場合、種目が違えば自ずとファン層も異なる。テニスとゴルフに等しい熱意でハマっている人は少ないのではないか。大坂なおみと渋野日向子を二人とも追っかけるファンがどれだけいるだろうか?(案外いそうだが)

チーム戦のスポーツは、ファンを獲得するビジネスモデルが少し違う。野球にしろサッカーにしろ、競技そのものが好きだという人ももちろん多いが、それと別に地元チームを応援する郷土愛に溢れた鉄板のファン層がいる。グランパスもドラゴンズも喜んで観戦に行く名古屋のファンにとって、それがサッカーか野球かという競技の区別にあまり意味はない。何よりもスタジアム全体が一体となって盛り上がるカタルシスを求めて観客がやってくる。そのせいか、試合で特定の選手だけが突出することは余り好まれず、チームワークの美が称賛される全体主義的な雰囲気が醸成されやすい。ヒーローインタビューだって、(本音では今日は俺が頑張ったと思っているかもしれないが)たいてい「チームが勝利できて最高です」とか言うではないか。W杯でにわかラグビーファンが大量発生したのも、ラグビーの面白さに目覚めたというより、国民一丸となって酔いしれる新たな媒体を発見したということのように思われる。

選手にとっては、チーム競技だからときれいに美学を割り切れるとは限らない。チーム競技に身を置きながら、強い個性でひときわ異彩を放っていたのがイチローである。この人ほど本来個人競技向きのタイプで、所属チームのカラーに染まらない野球選手も珍しい。徹底して求道的で、上機嫌で饒舌なのにいつも斜め上の回答でインタビュワーを煙に巻く面倒くさそうな男、という印象が長年のイチロー像だった。だから引退会見で「渡米して外国人になって、人の痛みを想像できるようになった」と語るのを聞いたときは、思いがけずちょっと感動した。海外生活経験のある人なら、たぶんその言葉の重さが実感できるはずだ。自分が社会に受け入れられているという実感の尊さ、そこにいてもいいと無条件に思えることのありがたさは、その社会から出たときにしみじみと思い知る。チーム競技の中で個人技を極める軋轢に独り向き合ってきた(に違いない)彼にとって、引退会見で見せた幸せそうな表情の裏には、実生活と球場それぞれで逆境を乗り越えてきた二重の感慨があったのかもしれない。

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