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大人ハロウィン [海外文化]

halloween_background_purple.png日本中でハロウィンがすっかり定着した感があるが、私が子供の頃はまだほとんど知られていなかった。映画『E.T.』でハロウィンの場面が出てくるが、街中が奇怪な雰囲気でいったい何事かと不思議に思った人も多いだろう(私もその一人だ)。アメリカのハロウィンは仮装した子供が近所を恐喝して回るが(「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」は「みかじめ料をよこさなければ潰してやるぞ」というのと基本的に同じロジックだ)、日本のハロウィンはコスプレした大人が渋谷を徘徊する。もちろん今では日本でも菓子を回収に周る子どもたちが増えたが、ハロウィンの夜にニュースになるのはもっぱらスクランブル交差点を囲む警官が何人といった話題だ。

ハロウィンの起源は、現在のアイルランドやその周辺に暮らしていた古代ケルト人の祭りSamhainに行き着くようである。読み方の難しい綴りだが、ゲール語起源でサウィンのように発音するらしい。10月末から11月初旬は秋分から冬至に至る中間点で、夏が過ぎて農作物の収穫が終わり、暗く寒い冬の気配が色濃くなり始める頃だ。いにしえの人々にとって、大自然の厳しさが日増しに身に染みつつある季節でもあった。その漠然とした不安を反映してか、この時期は死界と現実世界の境界が揺らぎ死者の霊がやって来る信じられていた。古代ケルトの人々は焚き火を囲んで集い、霊が仕掛ける悪戯を回避するために収穫物や動物の生贄を捧げてとりなそうとした。ここにTrick or Treatの遠い原型を見る説もある。

Samhain祭は長い歴史の中で変容を受けながら綿々と受け継がれ、アイルランド移民がアメリカに伝えて現在米国で行われる形のハロウィンになった(ハロウィンはSamhainの前夜祭部分にあたる)。アイルランドではカブをくり抜いて作っていたランタンは、アメリカでは現地調達が容易なパンプキンに変わった。パンプキンは日本のカボチャと近縁だが別物で、外皮がオレンジ色で大きさもでかい。秋になると米国中で子ども用お化けコスチューム各種からキットカットお徳用パックに至るハロウィングッズがあちこちの店頭に並ぶ。コスチュームに関してはさすがアメリカというべきか、これを喜んで着る子がいるのかと不思議になるB級の代物が雑然と売り場に積み上げられる。その点で日本は漫画やアニメ文化の延長かコスプレに対して独特の審美眼があり、概して仮装の完成度が高い。そのあたりの温度差が、米国にない「大人ハロウィン」が日本で普及した背景にあるのかもしれない。

そのようなハロウィンの楽しみ方は本来あるべき形からかけ離れているという批判もあるが、そもそもアメリカのハロウィン自体がケルト文化の一部をキッズ向けイベントに純化した独自の文化である。剥き出しの大自然に対する畏怖から育まれたSamhain祭は、そのままの形で現代社会に受け入れられる余地は少ない。しかし、東日本を中心に甚大な風水害をもたらした気象災害が記憶に新しい今、先端技術の粋を尽くしたはずの社会インフラは自然の脅威を前に決して盤石ではない。原理的に防げる被害もあれば、事実上避けようのない天災もやって来る。その意味では古代から変わらぬ無力感と向き合わざるを得ない時代を、私たちは生きている。10月末日の渋谷の狂騒がそんな意識下の不安から逃れられるハレの日だとすれば、むしろ日本のハロウィンこそその文化的ルーツに近いと言うこともできる。

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