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天皇と教皇 [宗教]

jujika.png米国では11月末近くの木曜日は感謝祭(Thanksgiving)で全国的に休日となり、実家に帰り家族総勢で七面鳥をつつく恒例イベントである。日本の盆暮れのような雰囲気だ。アメリカに住んでいた頃、現地で帰る実家もない私たちを感謝祭に招いて下さった地元のご夫婦が何組かいた。その一人に空軍大佐を退役した紳士がおり、見るからに強面で現役時代は相当怖い人だったに違いないが、私たちが彼の子供と同世代だったせいかとても親身に気にかけてくれ、今でも交流が続いている。彼は毎日曜日に礼拝に行く敬虔なプロテスタントでもあり、誘われて教会に行ったこともある。軍人にして真摯なクリスチャンというのは一見哲学が相容れないようだが、実際のところ米国では珍しくない。私自身は全く宗教的な人間ではないので心中は想像する他ないが、軍隊という死を間近に感じる特殊な組織にいるからこそいっそう信仰を必要とするということかもしれない。

多くの日本人にとって宗教はあまり身近ではなく、とくにキリスト教やイスラム教のような一神教はとっつきにくいと感じる人が多いのではないか。しかしこの2宗教の信者を合わせると世界人口の半数を超え、世界標準から見れば宗教色の薄い日本のほうが特殊な国である。キリスト教とイスラム教は生まれも育ちも違うソリの合わない宗教と誤解されることもあるが、ユダヤ教以来一続きの歴史の中から現れたいわば兄弟分である。コーランにはちゃんとイエスの名が登場し、(イスラム流の解釈が加わっているが)預言者の系譜に名を連ねる主要人物の一人として一目置かれている。神様へアクセスする作法はちがっても、歴史的経緯からみれば聖書のヤハウェ(エホバ)とイスラム教のアッラーは同じ神である(アッラーはアラビア語で「the God」と言っているだけで固有名詞ではない)。ただしキリスト教の視点に立つと、後から興ったイスラム教の神をイエスの「父」と同一視できない信者も少なくないから、クリスチャンとムスリムの神が同じか否かという問題は真剣な神学論争の的になる。紆余曲折の史実と伝説が渾然一体となって宗教の基礎が出来ている以上、割り切れない矛盾をいかに受け止めるかという葛藤もまた信仰の一部のようである。

ユダヤ・キリスト・イスラムの3宗教はいずれも最初の預言者アブラハムをルーツに持つが、その先から系統が分かれる。アブラハムにはイサクとイシュマエルという二人の息子がいるが、イサクの系列がユダヤ教からキリスト教へとつながるとされ、一方イスラム教はイシュマエルの子孫がアラブ人となったと伝える。後継者問題が宗教対立の全てではないが、正統性に関わる認識の違いは往々にして問題をややこしくする。初期のイスラム教がスンニ派とシーア派に分派した背景にも、ムハンマドの後継者を巡る対立があった。正統性と言えば、日本の天皇継承問題も込み入った課題を抱えている。明治以来の皇室典範は継承権を男系男性に限っているが、愛子妃は女性だが男系なので歴史を遡れば持統天皇のように即位の前例はある。伝統遵守か男女同権かという議論になりがちだが、むしろ比較的最近制定された皇室典範が必ずしも日本古来の伝統をそのまま代表しているわけではないところに議論の余地があるのかもしれない。

11月は天皇即位関連の儀式とローマ教皇訪日という滅多に見られないイベントが重なった。天皇と教皇はその文化的・宗教的基盤は違えども、人々の精神的支柱として努力を惜しまない立ち位置は共通している。一方で国政の現場は「桜を見る会」問題で紛糾中だ。まつりごとには関わらないが象徴として頂点に立つ人の志に感銘を受けるとともに、内閣府のシュレッダーの性能と予約状況がよくわかった一ヶ月だった。

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