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その説、ホント? [科学・技術]

吉村大阪府知事のうがい薬案件は、府の歯科保険医協会が怒りの抗議声明を発表したりと、しばし後を引いたようである。知事ご本人は実験結果に絶大な自信を持っておられるようなので(当初は)強気だったが、問題の所在はデータではなく解釈の方である。発言者が社会的影響力のある府知事だったために、反響がいっそう大きくなった。ただこのようなできごとは何も今に始まったことではないし、たぶん今後も起こるだろう。

figure_kaigi_hanashiai.pngところで、専門家はなぜ人によって言うことが違うのか、と不満を持つ人は多いのではないか。コロナ対策を取らないと国内で数十万規模の死者が出るという専門家がいれば、たかだか数千人と説く研究者もいる。もし科学が教科書に書いてある既成事実に過ぎないなら、解説が食い違うはずはない。しかし科学が作られつつある現場は百家争鳴で、みな口々に違うことを言うのは当たり前だ。時が経ち理解が進むにつれ仮説が絞られていき、やがてある程度の合意形成に至る。ふつう専門家以外の人が目にする「科学」はその最終形だが、コロナウイルス研究は建設作業中の現場を一般の人が目の当たりにできる珍しいケースだ。足場がむき出しになっていても、驚いてはいけない。意見が合わないのが、生きた科学の姿なのである。

科学者も人の子だから、間違えることがある。あるいは間違いとまでは言えないまでも、考察が不十分だったり、仮説に飛躍があったり、研究仲間から指摘され考えを改めることは日常茶飯事だ。科学の多くの分野で論文誌にピアレビュー(同業者による査読)制度があり、科学コミュニティ全体で研究品質の自己管理を行っている。ピアレビューが泥沼の喧嘩と化すケースもなくはないが、査読プロセスのおかげで論文著者が思い込みや瑕疵に気付かされることも少なくない。だから論文を多く書いてきた研究者ほど、人間は先入観に囚われやすく安易な解釈に足をすくわれがちなことを、身に染みて知っている。吉村知事は研究者ではないので無理からぬ面もあるが、思い込みでデータを見誤る陥穽に見事にハマってしまったようである。

厄介なことに、高名な学者がこれをやらかすことがままある。例えば地球温暖化の懐疑論者には、気候学者ではないが地球科学の他分野で著名な方が複数おられ、専門家のプライドと経験知を駆使して独自研究に走る。そこまでは良いが、ピアレビューで揉まれることなく一般書で自説を展開すると、誤解や誤謬がそのまま活字に定着する。知事の会見なら政治家のフライングとわかりやすく叩かれるのでまだ良いが、学界のエラい先生が言っているとなると一般の人は信憑性を感じてしまいがちだ。コロナウイルス研究でも、ピアレビュー前のプレプリント(出版前または未出版の論文原稿)が一般メディアに流通し、玉石混交で雑音も多い。K値とか埼玉型とか、色とりどりの新説が入れ替わり立ち替わりメディアを賑わせる。

門外漢にとって、学者が語る学説はどれも尤もらしく聞こえるかも知れない。ただ、私は正しい、あいつらは間違っている、と揺るぎない自信で語る「専門家」の主張は、あまり真に受けない方がいい。自分が間違う可能性を受け入れない人は足元の明白なミスを見落としがちだから、往々にして吉村知事と同じ罠に陥る。

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