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世界を受け入れる [海外文化]

hito_jinrui_shinka.pngギャラップ社の調査によれば、神が人間を創造したと答えるアメリカ人は成人人口の40%に達し、33%は(創造説に同意しなくとも)人類進化に神の導きがあったと信じているそうである。生物進化を神様と切り離して考えている人は、米国民の22%に過ぎない。決して前近代の話ではなく、2019年の世論調査だ。2000年以前と比べれば、2割強でもだいぶ改善してはいる。

アメリカのキリスト教右派は、ローマ・カトリックなどと比べかなり原理主義的である(現在ヴァチカンは進化論を否定していない)。米国プロテスタントのルーツは英国から弾圧を逃れてきた清教徒(ピューリタン)で、禁欲指向の強いカルヴァン派に属する。政治保守と宗教保守は必ずしも同義ではないが、中絶や同性婚への拒否反応など共和党的価値観の根幹には、彼ら独特の宗教観抜きに語れない要素は少なくない。旧約聖書を厳格に信じるなら、ビッグバンも進化論も受け入れる余地はなくなる。一方、生物進化は認めるがその過程に超越的な知性が介在したとするインテリジェント・デザインなる思想的キャンペーンが存在し、いわば創造説と進化論の折衷案である。上記調査の33%分がこの手の信者であり、かつてジョージ・W・ブッシュ大統領もインテリジェント・デザインの支持を公言していた。聖書と『種の起源』の狭間で迷える魂のゆりかごとして機能しているようである。

前世紀のアメリカでは進化論を学校教育から排除しようとする運動がたびたび起こり、何度か裁判にもなった。現在では、原理主義的な教義を教育現場に押し込もうとする主張は、さすがに露骨な形では聞かれなくなった(と思う)。とはいえ、水面下でインテリジェント・デザインに代表されるソフトな半宗教的思想に姿を変え、進化論と対等な対立仮説を偽装し公的教育に忍び込ませようとする企ては健在である。個人の信条に留まる限り何を信仰しようと本人の自由だが、それを公的教育に持ち込むとなると話は違う。本来科学でないものに科学を装わせて子供に教え込むことは、世界を正視する胆力を鍛え真っ当な自己批判精神を育む機会を奪うことになるからだ。

バイデン次期大統領を選出する審議に抗議するトランプ支持者の一群が、連邦議会議事堂に乱入する事件が起きた。彼らはトランプ大統領が吹聴し続けた戯言を真に受け、不正に選挙が歪められたと「心から」信じている気配がある。己の意に沿わない世界を否定し、耳当たりの良いファンタジーに引きこもるだけなら、まだいい。しかし今回は、現実を妄想で上塗りする欲求が暴力的な実力行使にまで発展してしまった。民主主義の権化のような国の中枢でなぜこんなことが、という衝撃が世界に広がっているようだ。だが問題は、民主主義に対する挑戦ではなく、民主主義が否定された(票が盗まれた)という幻想をかくも多くの人が易々と信じていることにある。進化論を受け入れられないのと同じく、世界をありのまま直視するにはあまりにナイーブな人々だ。

私自身はいかなる神も信じていないが、信仰とは本来、人の心を温かく照らす灯火であるはずのものと思っている。だから宗教色をわざと薄めた宗教は、宗教そのものより却って危険だ。真面目な信仰の要素を失った宗教は、社会の中で増殖することだけが自己目的化するからである。インテリジェント・デザインがそうであり、トランプ信奉者の集団も宗教の形を取らない宗教と言える。トランプ大統領は支持基盤を強化拡大すべく、数多のフェイク・ニュースを御託宣のように放って教祖を演じてきたが、いまや信者が制御不能なレベルまでヒートアップしてしまったようだ。このタイミングでようやく「敗北宣言」を行ったのは、自ら煽った暴動が手に負えなくなって捨て身の沈静化を試みたのか、または群衆に責任を転嫁することで振り上げた拳を下ろす千載一遇の機会と見たのか。教祖はじきに政治の表舞台から去るかも知れないが、開けてしまったパンドラの箱はそう簡単にはもとに戻らない。

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