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機会平等と結果平等 [政治・経済]

family_syunyu.png18歳以下一人あたり10万円を給付する公明党案が、所得制限つきという条件で話が進んでいる。世帯主の年収960万円で切る自民党案に対し、対象世帯の9割をカバーできるので「すべての子供は平等」と主張する公明党の意向と矛盾しない、ということだそうだ。だったら所得制限を付けなくても歳出規模はたいして変わらないので、上位1割だけを排除することに何の意味があるのか、分かりづらい。建前論で互いのメンツを立て妥協するのが政治の本質だとすれば、呆れるほど見事な政治的決着である。

この話を聞いて、機会平等と結果平等の論争を思い起こした。競争原理の公平性を重視するなら参加の機会が均等に与えられるべき(機会平等)だが、スタートラインや能力は人それぞれなので結果的に格差は容認せざるを得ない。対象的に、格差解消をゴールに社会的弱者を救済するのが、結果平等の考え方である。公明党の「子供はみな平等」は機会平等の発想で、困っている人にこそ手を差し伸べるべきだという反論は結果平等論である。給付金とはふつう結果平等的な思想に基づく制度のはずなので、そこになぜか機会平等をぶち込んできた不自然さに、多くの人が違和感を覚えるのではないかと思う。

コロナ対策でピカイチ機会平等的な政策は何だったかと思い返すと、昨年のアベノマスクと特別定額給付金が頭に浮かぶ。アベノマスクはとくに象徴的だ。マスクが品薄だった時期、首相側近の誰かが「マスクを配っておけば国民は喜ぶ」と浅知恵を吹き込んで実現した珍策だったとされる。今回は、「子供のためと言っておけば国民は喜ぶ」と総選挙でブチ上げた落としどころがこれだったということか。18歳以下一律給付金とは、いわば公明党のアベノマスクなのである。

機会平等にも結果平等にもそれぞれの正義がある。だが今回の給付金は、ヘンテコな折衷案に丸め込んでしまったおかげで、どちらの正義も中途半端で筋が通らない。平等とは何かという定番の哲学論議に絡んで、与党トップの見識がここまで浅くて大丈夫なのか、というのが今回の問題の本質のような気がする。

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