SSブログ

予測と予報 [科学・技術]

job_otenki_oneesan.png天気予報という言葉は普通に使われるが、天気予測とはあまり聞かない。一方、地球温暖化の話で出てくる将来気候予測は「予測」であって、温暖化予報とは言わない。英語でもweather forecastとclimate projectionは言葉を使い分けるので、予報と予測には明確な意味の違いがある。字面の通り、予報には人々に「報せる」ニュアンスが表に出ている。予測はシミュレーションやデータ解析のような純粋な知的作業だが、予測が描く近未来の姿を周知する社会的行為が予報だ。気候予測が「予報」でないのは、数十年後の気候は人類の意思決定次第で変わりうるので、「報せる」べき将来像はまだ白紙というメッセージだと私は思っている。

密やかに天気の予測をするのは自由だが、天気を勝手に「予報」すると法に触れる恐れがある。予報の仕事を行うには気象業務法にもとづく許可が必要で、事業者は一定人数の気象予報士を配置する義務がある。気象予報士の資格は、単にお天気キャスターの登竜門にとどまらない大事な役割があるのである(合格率5%前後の難関だから、もちろん尊敬に値する資格であることは間違いない)。勝手に予報してはいけないのは大学や研究機関で気象の研究に従事する専門家でも同じことで、いくらその道のプロだからと言え無許可で明日の天気を公的に発信すれば、気象庁に叱られる。それは天気予報が社会的影響力の大きい情報だからで、いい加減な予報を出せば場合によっては人命に関わる事態になりかねないから、国レベルで徹底したクオリティコントロールに努めている。予報には責任が伴うのである。

例えば株価予測はあくまで予測であって、予報ではない。明日の値動きを責任を持って予想できると公言する人がいたら、たぶん詐欺師かインサイダーである。気象は物理現象なので方程式があるが、株価はそうはいかない。明日世界のどこで何が起こるかわからないし、数多いるトレーダーの思惑を正確に先読みすることは難しい。コロナの感染予測も、予報と呼ぶには依然として未熟だ。感染症の数理モデルに方程式はあるが、次々と現れる変異株のパラメータをその都度正しく組み込むのは至難の業だし、想定困難な人の動きに左右される点では天気予報より株価予測に近い。感染予測がピタリと当たった例はあまり記憶にないが、心が折れず予測に挑み続ける関係研究者のメンタルの強さには頭が下がる。

あちこちの研究グループがコロナ感染予測を個別に発信しているが、誰かが取りまとめて一度に公開してはどうだろう。モデルによって予測カーブがバラバラで収集はつかないだろうと思うが、少なくともその違い程度の誤差はあるわけだから、ばらつきを不確実性の指標として一緒に開示する方が建設的である。IPCC報告書では何十年も前から世界の研究者が顔を突き合わせてそういう努力をしている。コロナのパンデミックは始まってまだ2年なので経験値が無いのは仕方ないが、いずれ気候研究業界のような実例を参考に研究コミュニティが協働する体制を作る必要があるんじゃなかろうか。

共通テーマ:日記・雑感