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大統領のスピーチ [社会]

ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会でオンライン演説を行いたいと打診があったそうだ。大統領のスピーチをめぐって、二つ興味をそそられる事案があった。

Ukraine.png一つは、日本政府関係者側が「(オンラインで演説を中継する)前例と設備がない」と戸惑っているという報道だ。日本の国会議員はいまだに石器時代を生きている様子である。コロナ禍の過去2年間、至る所でオンライン会議のノウハウ確立と設備導入が進んだが、世界から取り残された最後の秘境が国会議事堂のようだ。本会議場にオンライン会議設備を設置できないこと自体が驚きではあるが、それなら都内の大型会議施設を借りてもいいし、それが無理なら議員が各々PCに向かって演説を聞く手もある。戦火に晒される街から悲痛な声を聞いてほしいというときに、先進国の立法府が発した第一声が「前例も設備もない」だったなど、ちょっとあり得ない話である。受け入れる方向で動いているそうなので結果論としては良いのだが、我が国の国会議員はいい加減マンモスを追う生活をやめて21世紀の暮らし方を覚えてはいかがか。

もう一つは、ゼリンスキー大統領が米国議会で行ったオンラインスピーチの内容だ。9月11日同時多発テロと真珠湾攻撃に言及したことが、日本で静かに話題を呼んでいる。日本人にとっては微妙に居心地の悪い話題だが、英国向けのゼリンスキー演説ではチャーチルの議会演説を引用したそうだから、国ごとに愛国心を煽る主題をとっかえひっかえ選んでいる以上の意味はない。彼が日本の議会でスピーチするときは、おそらく広島と長崎を引き合いに出すのではないか。仮にそうなら、今度はアメリカ人にとっていくらか耳障りに響くかもしれない。原爆投下は必要だったと考える米国世論は今でも根強いのである(そうでない人たちももちろんいる)。

戦争は、どちらの立場から見るかによって正義が反転する。ロシアにはプーチン大統領の根強い支持者がいて、政権が垂れ流す戯言を信じている。正しい情報へのアクセスが限られているせいだけではなく、そう「信じていたい」のである。他方で、勇気を奮って戦争反対の声を上げるロシア人もいる。太平洋戦争中の日本もきっとそうだったし、同時多発テロ後の中東だって同じだったはずだ。戦争は国と国との争いという形をとるが、戦争に加担する人と苦しむ人の間を隔てる境界線は必ずしも国境とは一致しない。

正義感や愛国心は、つねに諸刃の剣である。ゼレンスキー大統領の各国向け演説を全部つなげて聞いてみると、ご本人の意図を超えて「私たち」と「あいつら」で簡単に分けられない世界の多面性が浮かび上がってくるのではないか。

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