SSブログ

なめとこ山の熊 [文学]

animal_bear_character.png宮沢賢治は、他者の命を犠牲に生を紡ぐ生物界の掟に真正面から向き合った人である。『よだかの星』のよだかは、飲み込んだ虫が喉元を通過するたび、自身が奪う小さな命を思って胸がつかえる。生きるために不可欠な殺生の罪について考え続け、その行く末に安らぎの地平を見出そうとする葛藤の軌跡が、宮沢賢治作品のそこかしこに垣間見える。

『なめとこ山の熊』は、そんな宮沢賢治が到達した独特な世界観の結晶である(青空文庫で読める)。小十郎という熊取り名人の猟師となめとこ山に住む熊たちの生き様が、朴訥とした語り口に時折ハッとする美しい情景描写を散りばめながら綴られる。物語の中盤、銃を構える小十郎に一頭の熊がこう問いかけるくだりがある。
「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」
「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」
果たして二年後、熊は律儀に約束を果たす。住処の前で息絶え横たわる熊を前に、小十郎は思わず両手を合わせるのだ。

小十郎と熊は、端から平和に共存することの叶わない宿命を生きている。しかしその残酷な運命を分かち合っているからこそ、両者は不思議な共感の絆で結ばれている。小十郎の足元を見て熊皮を二束三文で買い取る町の商人と対照的に、熊と小十郎の関係はどこまでも対等で誠実だ。年老いた小十郎はある日、大きな熊の襲撃に遭う。そのとき熊は「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」と呟き、小十郎は「熊どもゆるせよ」と心に言い残し息絶える。やがて小十郎の亡骸の周りに山の熊たちが集結し、厳粛な敬意をもって小十郎を弔う場面で物語は幕を下ろす。

今年、全国各地で熊の襲撃による人的被害が記録的な件数に上っているという。やむなく地元のハンターが熊を駆除すると、地域外の人間から「なぜ殺した」と浅薄な苦情が相次ぐそうだ。そこでふと思い出したのが、『なめとこ山の熊』だ。宮沢賢治が描く世界は現代の日本と遠くかけ離れているとは言え、彼が考え続けた思索の深さと温かみは、今なお心に重く刺さるものがある。

共通テーマ:日記・雑感