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棚ぼたノーベル賞 [科学・技術]

nobel_medal.png今年もノーベル賞発表シーズンがやって来た。例年どおり巷では受賞者の推測が飛び交っていたが、名前を挙げられたほうは嬉しいのと煩わしいのが半々ではないか。有力視される科学者らの周辺に毎年マスコミが駆けつけ、別の受賞者が発表されるやいなや「残念、今年もだめでした」と解散するのが恒例行事と化しているようだが、そそくさと撤収するマスコミの背中を見送るご本人の胸中は如何ばかりか。今年の化学賞に輝いた吉野彰博士も、昨年まではお決まりのように「寸止め」記者会見に引っ張り出されておられたようである。

ノーベル賞の歴史は悲喜こもごもだ。偉大な業績がありながら涙をのんだ科学者もいれば、運命の悪戯で大発見を成し遂げた人もいる。後者の有名な例が、1978年物理学賞を受賞したアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソン両博士だ。ときは60年代、衛星通信技術の発展と引き換えに御用納めとなったベル研究所の電波通信施設が、基礎科学利用に開放されることとなった。この巨大電波アンテナを使った天文学研究を夢見ていた二人にとってまさに願ってもない機会だったが、いざ運用を始めると観測データに正体不明の微弱電波が紛れ込んでいる。アンテナをどこに向けても一様に検出されるので特定の天体起源とは考えにくく、観測装置自身が発する雑音かまたは身近な電波源による干渉の可能性が濃厚と思われた。施設はニューヨーク市に近かったので人工電波が入りこむ余地は確かにあったが、アンテナを市街に直接向けても雑音値はいっこうに変わらない。思いつく干渉源の可能性はすべて検討し、その度に候補から外された。挙句の果てにアンテナ内に巣を作った鳩のつがいを捕らえて追い出し、糞をきれいに掃除する念の入れようだったが、謎の信号は消える気配がない。張りつめた静寂が幽かな耳鳴りを呼び起こすように、宇宙の虚空に耳を澄ますと至るところから声なき声が語りかけてくるのだ。

実は彼らが当初雑音と信じて疑わなかった微弱電波の正体こそ、世紀の大発見だったのである。かつて宇宙の開闢(ビッグバン)が放ち今や消えゆく微かな残光が、宇宙の彼方から一様に届く電波として観測される。定常宇宙と膨張宇宙をめぐる激論に決着が着いていなかった当時、ペンジアスとウィルソンによる宇宙背景放射の発見は宇宙膨張の引き金となったビッグバンを裏付ける決定打となった。もともと定常宇宙論の教育を受けたウィルソン博士自身は、彼らの思わぬ発見が膨張宇宙の動かぬ証拠だと聞かされ半信半疑だったという。二人をノーベル物理学賞に導いた功績は、本人たちがその存在すら想像もしていなかった宝物を掘り当てた僥倖だったのである。

2002年物理学賞を受賞した小柴昌俊博士も、人並み外れた強運の持ち主と囁かれている。博士が提案し建設したカミオカンデが、ニュートリノ天文学の道を拓いた。その端緒を開いたのが、1987年超新星ニュートリノの観測成功である。着想以来長年カミオカンデに注力してきた小柴博士は、大マゼラン雲でこの超新星が出現したとき定年退官までわずか1ヶ月余りだったという。これほど近く(マゼラン雲は私たちの銀河系の子分である)で超新星が出現したのは、近現代の数世紀の中でこれ一つきりだ。まるで狙いすましたようなタイミングではないか。他にも、本来は記録用磁気テープを交換するはずだったが週末明けで作業者がおらず稼働中だったとか、「あいつがいると実験が失敗する」と理不尽なジンクスで名高い学生がたまたま不在だったとか、強運伝説を支えるエピソードは数知れない。

棚からぼた餅、ということわざがある。でもぼた餅が落下するには事情があるはずで、落ちてきそうな棚を選んで待っているのならそれは戦略であって単なる運ではない。小柴博士は10年以上先の物理学を見据えてカミオカンデを構想し、その実現のために測器メーカーを口説きながら人脈を駆使して予算を獲得し、プロジェクトが走り出すと若手研究者を采配して次々と成果を上げた。ペンジアスとウィルソン両博士にしたって、電波雑音の正体を突き止めるまで決して諦めない不断の探究心があったからこそノーベル賞級の発見につながったのである。ペンジアス博士が後に苦い想い出として語ったところでは、アンテナから追い出された鳩は再三古巣に舞い戻って来たため最後は銃で始末されたらしい。鳩にとっては気の毒な話だが、真相を極めたい二人の意志はとにかく固かった。棚のぼた餅を管轄するのが神様か仏様かご先祖様かわからないが、いざ投下するときはちゃんと相手を選んでいるのである。
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