SSブログ

番外編:9月入学 [社会]

感染拡大がひとまず落ち着きを見せ始め、長期にわたった休校措置にようやく出口が見えた。最近少し下火になった感のある9月入学の騒ぎは、結局どうなったんだろう。推進論者の小池都知事が、どうせいま混乱期なんだから混乱ついでにやっちまえ、みたいな暴論をぶち上げたのがまだ記憶に新しい。入口(入試)から出口(就職)まで4月-3月サイクルで回っている巨大な車輪の勢い(都知事流に言えばモメンタム)を丸ごと変えるには、相応の準備と時間がかかる。平時にできなかったことは混乱期にはもっとできないと考えるのが良識であり、慌てて作った制度は大抵次から次へとボロが出る。大学入学共通テストの導入を急いで暗礁に乗り上げたのが良い例だ。東大がむかし秋入学への移行をやろうとしたが、寝耳に水だった現場教員の反応が冷たくこれもすぐ頓挫した。

scool_room_kyoushitsu.png休校が長引き教育機会が損なわれた子どもたちをフォローするのはもちろん大事だ。一方、休校中にコツコツ勉強を進めている子どもたち(またはオンライン授業が機能している一部の学校)への目配りがほとんど聞かれないのは、少しバランスを欠いていないか。真面目に進めてるのになんで9月からまたやり直しなの?と思っている生徒や教員は、少数かもしれないが確実にいると思う。

学校の徒競走で、順位をつけないために横並びで走ってゴールさせる、という話を聞いたことがある。平等とは出る杭を打って平坦にすることだ、と日本の初等教育現場が考えている気配がないでもない。自慢ではないが、私は子供のころ運動会ではいつも下から2番めだった。私に向かって「お前がいるから絶対ビリにはならないぜ」と豪語したヤツが大抵ビリで、というのは私がこいつにだけは負けてなるものかと懸命に走ったからである。当時「遅れる子が可哀想だからみんな手をつないでゴールしましょうね」と言い出す先生がいなかったことに、心から感謝している。颯爽と一位でテープを切る友達の背中はカッコよかったし、かけっこが苦手な子供にはそれなりの勝負とプライドがあって、そういう雑多な感情体験が渾然となって人間が成長していくのだ。

閑話休題。夏休み短縮などを利用し教育格差の埋め合わせをきちんとこなすと同時に、先に進む準備のできている子たちのモチベーションを尊重することも大事ではないか。学年暦を後ろに一斉シフトすればみんな救われるという素朴な発想は、並んでゴールするのが美しいという歪んだ平等意識と地続きである。

共通テーマ:日記・雑感