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不自由の中の自由 [音楽]

animal_penguin_music_band.png新型コロナのせいで鬱々とした自粛生活を送る中、ときに思いがけず心躍るできごとがある。家にこもる私たちのために、世界中のミュージシャンが演奏をネット配信してくれるのもその一つだ。ベルリン・フィルのデジタルコンサートホールが期間限定で無料開放されたり、毎晩9時から小曽根真がライブを配信していたり。何と贅沢なひとときか。

小曽根さんは、もともと敬遠していたクラシックにある頃から面白さを見出したという。逆に、もともとクラシックでピアノを習い始めたがジャズ界で超一流になった人もいる。上原ひろみの見事に粒の揃った滝のようなスケール(音階)を聞くと、ああきっとハノンで鍛え抜かれた指だな、とどうでもいいことにまで感動する。同じく幼少期クラシックで育ったキース・ジャレットは、三つ子の魂百までというのか、バッハの「平均律」1巻・2巻に加えてショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」までCDを出してしまった。どれも煌めく星々が織りなす小宇宙のごとき壮大な曲集で、この3セットを全曲録音した人は生粋のクラシック・ピアニストだって世界に数えるほどしかいない。

ビル・エヴァンスはドビュッシーやラヴェルの音楽に影響を受けたと言われる。そのラヴェルはというとアメリカを訪れて出会ったジャズにすっかり心酔し、2つのピアノ協奏曲(ト長調と左手コンチェルト)やヴァイオリン・ソナタなど晩年の作品にジャズの影響が色濃い。ラヴェルを敬愛していたガーシュウィンに作曲の教えを請われたとき、「一流のガーシュウィンたり得るあなたが、なぜ二流のラヴェルになろうとするのです?」と断った話はよく知られている。気の利いた社交辞令と見ることもできるが、ジャズ発祥の国の若き才能がほんとうに眩しかったのかも知れない。

ジャズの人がクラシックを敬遠するのは、楽譜どおり決まった音列を演奏する窮屈さにあるようだ。でも、バッハもモーツァルトも即興演奏の名手だった。多くの協奏曲にはソロが独りで腕を振るう見せ所(カデンツァ)があって、作曲者自身がカデンツァを楽譜を書き込むことも多いが、本来はソリストが曲の素材をもとにアドリブを披露する場だった。ただ即興演奏は才能と経験を要する高度な技術で、素人には敷居が高い。過去の大作曲家が楽曲を譜面に落としてくれたおかげで、一介の愛好家が不器用なりに弾いて嗜む喜びに浸ることができる。それでも、リズムのゆらぎとかフレーズの呼吸とか、音楽の心の機微は記号では到底表現しきれない。だから、同じ楽譜なのに弾き手によって驚くほど違う音楽が立ち現れる。譜面の余白に無限の自由度が息衝いている。自由の中に型があるのがジャズだとすれば、型の中に自由が染み込んでいるのがクラシックだ。

どこにも行けない不自由な毎日で曜日の感覚すら色褪せていく中、沈みがちな心が音楽で解き放たれ、束の間ふわっと自由になれる。ネット配信で極上の演奏を届けてくれるミュージシャンの皆さまに感謝しつつ、今日もライブのリンクをポチッと押す。

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