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BCGの話 [科学・技術]

BCGワクチンを打った人は新型コロナに罹りにくいのではないか、という仮説がある。BCGは結核予防のワクチンだが、自然免疫力も高まるので結核以外の感染症予防にも効果がある、という話は以前からあったらしい。ただしBCGが新型コロナに本当に効くのか、確たる医学的証拠は現時点で知られていない。二の腕に怪しい幾何学模様を残すヘンな接種くらいの認識しかなかったが、BCGは果たして「新しい生活」のなかで一躍脚光を浴びる救世主となるか、はたまた都市伝説に過ぎないのか。

BCGWolrdAtlas.pngBCG説で持ち出される根拠は、BCGワクチンを国策として義務付けてきた国は新型コロナの犠牲者が少ない(ように見える)というデータである。この図(BCG World Atlas)によると、アジア・アフリカ・南米を中心にBCG接種が広く普及している一方、BCG接種義務化をやめてしまったか、そもそも制度自体のない国がヨーロッパや北米に集中している。中でも、欧州でコロナ拡大の震源となったイタリアそして感染者数や死者数が突出して多いアメリカでは、大半の人がBCG接種を受けていない。これがBCG説に勢いを与えている一因のようである。

人口100万人あたりの新型コロナ死者数を国別に見てみよう(Our World in DataのCOVID-19統計ページから引用)。アジア諸国は一様に死亡率が低いが、発生源であるはずの中国の死者数が100万人あたり3人強とひときわ少ないことには解釈に注意が必要だ。中国のコロナ犠牲者は深刻な医療崩壊が起こった武漢地域に集中しており(WHO報告)、中国総人口14億を基準に死亡率を割り出すのでは実態を必ずしも反映しない。武漢の人口は一千万人強で中国全土の100分の1未満だから、仮に武漢を一つの国のように見ると(実際に長期間「国境」封鎖されていた)現地の死亡率は二桁多かったと考えるべきである。

コロナ死亡率が世界最悪レベルにあるベルギー(約790人/100万人)は、BCGワクチン義務化制度のない国の一つである。一方、西欧諸国の中でBCG制度を継続している数少ない国の一つがポルトガル(死者120人強/100万人)で、隣国のスペイン(100万人あたり死者600人近く)に比べて犠牲者が顕著に少ない。やはりBCG説を支持するようであるが、考慮すべき別の背景もある。Newsweekの記事によると、ベルギーは未検査の疑い例までコロナ死亡者数に算入する独自の統計を取っているので他国と単純比較ができず、ポルトガルはスペインより迅速に対策を打ったことが感染拡大を抑えたと一般的には理解されているようである。この記事はさらに、スペインはオーバーツーリズムが感染拡大に災いしたのではと推測している。外国人旅行客数の国別ランキング上位5カ国はフランス、スペイン、米国、中国、イタリアであり(2018データ)、偶然かも知れないが新型コロナの猛威に苦しんだ国ばかりだ。BCGよりも観光客数の方が、案外もっとコロナと高い相関が出てくるかも知れない(確かめたわけではない)。

BCG説では説明のつかないデータもある。例えば、ドイツ(死者100人弱/100万人)やオーストリア(死者約70人/100万人)はBCG義務化が廃止されたにもかかわらず、ポルトガルよりも死亡率が低い。オーストラリアやニュージーランドは欧州諸国同様にBCG制度をやめているが、100万人あたり死者数が4人前後と非常に少ない。オセアニアは諸外国から隔絶している地の利に加えて(もしかしたら夏半球に位置することも遠因だったか)、独・墺と同じく速やかに毅然としたコロナ対策を実施したことで知られる。コロナ対応が機敏で合理的だった国はBCG事情にかかわらず死亡率の抑制に成功している一方、ブラジルのようにBCG接種国だが経済最優先の大統領のせいか死者数が増え続けている国もある。対策が迅速でも厳格でもないのになぜか死亡率が低い不思議な国は、日出処に浮かぶ神秘の島国を例外としてあまり聞いたことがない。

BCGワクチンにはデンマーク株とか日本株などいくつかの系統があって、新型コロナには日本株の効果が有意に高いという研究もある。ちなみに死亡者数の多いフランス(死者約430人/100万人)やスペインはデンマーク株だが、「コロナ優秀国」のドイツやニュージーランドも同じくデンマーク株である。憶測だが、コロナ感染のホットスポットとなってしまったヨーロッパにたまたまデンマーク株を採用していた国が多く、日本株は欧州市場にもともとシェアがなかったからコロナ死亡率の高い国に名前が出なかった、という解釈も不可能ではない。相関は必ずしも因果関係を意味しない。

ダイアモンド・プリンセス号の疫学調査データを国別に集計すればよいのではないか、と以前から思っていた。クルーズ船は様々な国から来た人たちが同じ環境・同じ対策を共有した稀な事例であり、もしBCGワクチン日本株が新型コロナに有効なら、統計的には日本人乗客は米国人乗客より重症化率や死亡率が低いはずである。探してみたところ、実際にそのような分析をした論文があった。その結果によれば、出身国のBCG事情とコロナ感染率・死亡率のあいだに有意な相関は見られなかったそうである。

BCGワクチンと新型コロナの関係を論じた研究は肯定派と否定派が乱立しており、とりわけCOVID関連の研究成果は査読前の論文が洪水のように流通しているので、最新の知見を門外漢が正しく理解することは難しい。ただ素人の分かる範囲でデータを眺める限り、BCGワクチンが新型コロナ予防に効くとする仮説を支持する要素は薄い。もちろん、完全に否定する根拠もない。新型コロナに対するBCGの効果を見極める臨床試験が始まっているとのことなので、その結果を待ちたい。

注)本文中のコロナ死者数のデータは、Our World in Dataによる5月22日時点の100万人あたり累積死者数に基づく。

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