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心の同期 [音楽]

music_animal_cat_sax.pngしばらく前の話になるが、新日本フィルがテレワークで『パプリカ』を演奏した動画が話題を呼んだ。フルオーケストラが一人ひとり別撮りでアンサンブルをやったのは初めての試みだったと思うので、演奏も編集も大変だったかと苦労が忍ばれるが、その手作り感に一層感銘を受けたものである。オーケストラなのに選曲がクラシックでなく米津玄師だったのは、広い観客層の心をつかもうという意図もあったかと思うが、たぶんクラシックだったらこう上手くは行かなかったんじゃないか。ポップス系の場合パートごと別トラックに撮って後からミキシングするのは普通なので、ある意味でもともとテレワーク向きと言える。決まったビートの上にメロディーやハーモニーが乗っていくように音楽が作られているから、パートを一つずつかぶせていけばちゃんと曲になる。一方クラシックは(ラデツキーマーチとかを別にすれば)ビートに相当する要素は希薄で、ただ綿々とハーモニーを紡いでいくことで成立する曲も少なくない。リズムが音楽の呼吸に応じて微妙に揺らぐ味わいにこそ美学を追求するので、メトロノームのような演奏、と評されると相当辛辣な悪口になる。

オーケストラには(ふつう)指揮者がいる。機械的にブンブン腕を振る学校の合唱祭の指揮者とちがって、交響曲を振る指揮者は杖を振りかぶる魔法使いのようでかっこいい。今のような楽曲の解釈を担う職業指揮者が誕生したのは19世紀半ばだそうで、クラシックの歴史の中ではそれほど昔ではない。バロックの時代には長く重い棒でドンドン床を叩いて拍子を取る指揮がよく行われたそうで、ある意味でドラム音源の役割に近い。演奏中に誤って棒で自分の足を打ち抜いてしまい、その怪我から破傷風にやられ亡くなってしまった気の毒な音楽家もいた。現代の指揮は落命の危険はなくなったが、複雑なジェスチャーで音楽の間合いを取る高度なコミュニケーション技術を要求される。これをオンラインでやるのは、ちょっと難しい。もし新日本フィルが『パプリカ』の代わりにベートーヴェンの『運命』をテレワークでやっていたら、始めの4小節で挫折していたかも知れない。

室内楽は指揮者がいないので、オーケストラ以上に職人芸的な双方向コミュニケーションが欠かせない。阿吽の呼吸が培う絶妙な空気感が音楽の流れを左右するから、パートごとに音源を別撮りで重ねていく造り方は向いていない(できなくはないがあまり楽しくない)。Zoomなどネット会議ツールは会話には不自由しないが、リアルタイムでアンサンブルをやろうと思うと遅延がひどく、とても使えない(Zoomの遅延は0.14秒程度だそうである)。音楽向けにはYAMAHAがNetduettoという無料サービスを提供しており(つい最近新しくなってSyncroomと改名された)、遅延を最小限に抑えてネット越しに合奏ができる。便利で大変ありがたいツールなのだが、ネット環境とかオーディオ・インターフェースなどハード面の限界は超えられないので、どうにもならない僅かな遅延は微妙に早めに打鍵するといった奏者のアナログ的な脳内変換で補いようやく音楽が成立する。

音楽とは心の同期である。「新しい生活様式」で不自由な毎日の中、ネットの向こうにいる音楽仲間と心が通じたと思える瞬間は感無量だが、コンマ1秒の遅れすら音楽には致命的だと改めて実感することにもなった。生身の人間が求める心の同期は相当に高い時間精度が必要で、遠隔でアンサンブルをやるにはまだテクノロジーが完全に追いついていない。

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