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3人の旅人 [フィクション]

magari_michi.png道行く一人の旅人を、路傍のお地蔵様が呼び止めました。
「旅のお方、どちらへ行かれるのかな?」
「この道の先にある大きな街へ。憧れの都会で夢を叶えたいのです。」
「それは結構。しかしお気をつけなさい。この道を行くと、間もなく荒れ狂う大河に突き当たる。橋は今にも崩れそうだから、上手く渡りきれなければ、たちまち濁流に飲み込まれてしまうよ。」
「そうでしたか。ご忠告ありがとう。」
しばらく行くと、果たして轟音を響かせる大河に出会いました。朽ち果てそうな木橋の上を慎重に足を進め、途中あやうく足を踏み外しそうになりましたが、何とか対岸に無事たどり着きました。

しばらくして、別の旅人がお地蔵様の前を通り過ぎました。この旅人もまた、まだ見ぬ街の暮らしを夢見ていました。
「くれぐれも油断してはいけない。大河を越えるのは命がけだよ。」
「ええ、ご親切にありがとう。」
二人目の旅人は、轟々とうねる奔流に怖気付きながらも、ぐらつく橋をゆっくり渡り始めました。そして中ほどまで来たとき、腐りかけた底板をうっかり踏み抜いてしまいました。旅人はあっという間に急流に運ばれ、息を吹き返したときはどこか遠い岸辺に打ち上げられていました。背負っていた荷物をすべて失い、旅人はすっかり途方に暮れました。

そして3人目の旅人がやって来ました。お地蔵様の忠告にじっと耳を傾けた旅人は、しばし考えてからこう尋ねました。
「河を渡らないとすれば、ほかに行く道はあるでしょうか?」
お地蔵様は答えました。
「ふむ、それを訊いたのは君が初めてだ。そこに脇道が見えるかな?険しい山道に続いているが、間違いなく河を避けることができる。」
お地蔵様が指差した先には、生い茂る草木で隠れそうな小径の入り口がありました。
「なるほど。でも、この小径を行くと二度ともとの道に交わることはなさそうですね。」
「それは私にもわからない。たしかに君の目指す街にはたどり着けないかも知れない。でも、思いがけぬ新天地に導かれないとも限らない。」
旅人はまた考え込みました。やがて意を決してこう言いました。
「私は山を登る小径を行くことにします。道があるからには、きっと先に何かがあるはずだ。お地蔵様、ありがとう。」

bird_ooruri.pngところどころ行く手を遮る藪をかき分け急坂を登るにつれ、旅人はだんだん心細くなりました。やはり真っ直ぐ行って河を越えるべきだったかと気弱な後悔が頭をもたげますが、今さら引き返してもどうにもなりません。一歩一歩踏みしめるように山道を登り続けると、突然視界がひらけ、眼下に絶景が広がりました。はるか下方に大蛇の如き大河が彼方まで続き、川面の白波がきらきらと輝いています。旅人は、半ば土に埋もれた手頃な岩に腰を下ろしました。

「よくここまで登ってきたね。」
背後から澄んだ声が聞こえました。旅人が振り返ると、美しい瑠璃色の鳥が一羽、木の枝にとまってじっとこちらを見つめています。旅人は、眼下の風景を見やりこう言いました。
「本当はあの河を超えて先の街まで行くつもりだったんです。でも危険な急流だと聞いて、決心を変えました。」
鳥は枝から飛び立ち、旅人が腰掛けた脇の石にそっと降りました。
「河のむこう、道を行く人が見えるかな?無事に橋を渡りきって、先を急ぐ旅人が。」
なるほどゴマ粒のようなちいさな人影が、かすかに見えました。
「河のずっと下流のほうも探してごらん。流されてしまった別の旅人が、河辺に座り込んでいるから。」
言われるまま、額に手のひらをかざして目を凝らしました。

旅人は半ば独り言のように尋ねました。
「いったい何が違ったんだろう。橋から落ちてしまった人は、渡りきれた人より不器用で不注意だったんでしょうか。」
「いいえ。ちょっとした偶然の悪戯、ただそれだけ。」
「どうにもならない偶然のせいで、大違いですね。好運と知ってか知らずか一心に突き進む人と、己の不運を呪い続ける人と。」
「結果は正反対だったけど、運を天に任せたってことでは二人は同じ。でもね。」
鳥が石の上を数歩跳んで、旅人の顔を見上げました。
「運を操ることはできないけれど、運に操られない選択はできる。橋が持ち堪えると盲信せず、険しい山道のほうを選んだ、あなたのように。」
旅人はふと思い出しました。
「お地蔵様が私に言ったんです。他に道があるか訊いたのは、私だけだったと。」
「他の道があることに気づいたからこそ、今こうやって眼下を一望できる。だから、あなたにはあの二人の旅人が辿った顛末が見通せる。決心次第であり得たあなたの分身たちの姿をね。」

そこまで言うや、不意に鳥は飛び立ちました。一直線にぐんぐん小さくなる鳥の姿を旅人が目で追っていると、地平線の近くで何かがキラリと光ったような気がしました。ほんの一瞬でしたが、彼方の大都市に聳える摩天楼が陽光に煌めいたのだと、旅人は思いました。胸の奥がかすかにざわつきましたが、瑠璃色の鳥が言った言葉を思い返すうち、やがて不思議と温かい気持ちがじわりと心を満たしていくのを感じました。旅人はゆっくり立ち上がると、大きく伸びをして荷物を背負い、果て知れぬ道程に再び一歩を踏み出しました。