SSブログ

鬼滅の刃、或いはカフカと家族の話 [映画・漫画]

新型コロナはまだ遠い対岸の火事であった今年の正月のこと、おしゃべりな姪の口から飛び出した「キメツのヤイバ」の一言に「え、何の何?」と何度も聞き返してしまった。私が『鬼滅の刃』を初めて知ったのはそのときだったが、姪の解説を聞いて最近の中学生女子は物騒なマンガが好きなんだなと思ったくらいだった。しかし人気がうなぎ登りで劇場版アニメが空前のヒットを飛ばしている今、緑と黒の市松模様や竹を咥えた少女をメディアで見かけない日はない。

nihontou_youtou.png単行本を読破するヒマはないのでTVアニメのダイジェスト版を見たが、なるほど物語がよくできていてキャラクターが個性に溢れている。殺された身内の敵を討つため修行を積んで強くなるストーリーは、スターウォーズやハリーポッターに通ずる基本に忠実なダーク・ファンタジーだ。鬼との戦闘シーンは子供向けとは思えないほど凄惨でグロテスクだが、適宜ユルめのギャグをぶっこんで毒を中和する手加減が心憎い。修行場面のストイックさは昔懐かしいスポ根マンガを彷彿とさせるが、かと言って弱点を克服して強くなる直線的な成長物語ではない。ビビリで拗ねてばかりの善逸とか、自分が一番と認められたくてたまらない伊之助とか、性格にやや難のある隊士が生き生きと活躍する。心の弱さで人を裁かない懐の深さが、大人も魅了される『鬼滅』の人気の源泉ではないかと思う。

そんな優しさと対照的だとふと頭に浮かんだのが、カフカの『変身』だ。グレゴール・ザムザがある朝目覚めると、寝室で巨大な虫と化している。その奇怪な姿に父は拒絶と敵意をむき出しにし、妹は異形のグレゴールを献身的に支えつつも嫌悪感を隠しきれない。高齢の父に代わってひとり家計を支えていたグレゴールだが、その役割を全うできず部屋に閉じこもるやいなや、一転してザムザ家の厄介者に落ちぶれる。当り前と信じていた家族愛がみるみる変質していく現実を、彼はうまく理解できない。大黒柱として頼られたかつての自己像への誇りと郷愁が、グレゴールの心中で空回りする。やがて混乱した彼の思考に芽生える他愛もない反抗心の数々が、状況をことごとく悪化させる。

そして辛うじて優しかった妹がついにキレてしまい、グレゴールは誰にも顧みられないまま自室で息絶える。それまで物語はずっと彼の視点を通して語られていたが、グレゴールの退場により彼の主観から開放された読者は、残されたザムザ一家にとってグレゴールの死は悲劇ではなく解放であったことを知る。小説の幕切れ、父母と妹の三人はグレゴールなどまるで初めからいなかったかのように、清々しい再出発を迎える。『変身』はある意味、善良だが庇護者的な家族観に囚われている(どこにでもいそうな)男の話で、大黒柱の地位を失ったとたん彼の脆いアイデンティティがみるみる崩壊していく悲喜劇である。仮にグレゴールが虫にならずいつか結婚して自分の家庭を持ったとしたら、きっと真面目で勤勉な家長になったに違いないが、夫婦喧嘩になると言葉に詰まり「誰が稼いでると思ってるんだ!」と地雷を踏んでしまうタイプかも知れない。

『変身』の終盤、グレゴールの妹は「あれが本当の兄なら(家族を苦境に追い詰める前に)自分から家を出ていったはずよ」と喝破し、虫の中に兄の面影を求めることを止めてしまう。対照的に、炭治郎は鬼にされた妹の心に本来の禰豆子が生きていることを疑わず、その禰豆子はときに身を挺して兄をかばおうとする。『変身』の家族が役割(親子や兄妹)でつながれたドライな依存関係の典型だとすれば、『鬼滅』の二人は理屈を超えた兄妹愛で結ばれたウェットな絆だ。現実世界を生きる私たちはその両極のはざまで絶えず揺れ動き、家族の想いが噛み合わないと大小さまざまな家庭の問題が発生する。『鬼滅』で擬似家族を作り上げ支配する鬼(累)に炭治郎が対峙するエピソードがあるが、その根底に流れる問いかけも基本的に同じテーマに他ならない。

共通テーマ:日記・雑感