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神の一手 [科学・技術]

game_syougi_ban.png竜王ランキング戦で藤井聡太二冠が指した妙手が、話題を呼んでいる。定跡に従えば迷わず飛車を取りに行くはずの局面で、藤井二冠の手が止まった。その時ある将棋チャンネルの中継で、AIが弾き出した「4一銀」の一手に解説者が目を剥いていた。取れるはずの飛車をいったん見送り、わざわざ持ち駒の銀を捨てに行く。一見すると意味不明のようで、実は巧妙に相手の退路を断つ絶妙な戦略。人間には指せない神の一手、などと盛り上がるギャラリーをもちろん知る由もない藤井二冠は、ほぼ一時間悩み続ける。将棋ファンが固唾を飲んで見守る中、ついに藤井二冠が盤面に叩きつけた一手は、なんと4一銀。人類には不可能だったはずの妙手で流れを掴んだ藤井二冠が、勝負を制する。将棋と言えば「ルールは知っている」レベルに過ぎない私が聞いて感動するくらいだから、将棋ファンの興奮は想像に難くない。

素人目には、将棋界で既にAIが「模範解答」ツールとして受け入れられていることが興味深い。たしかに、数億に及ぶ手を読ませて最善手を吐き出す今の将棋ソフトに、情報処理能力で人間が太刀打ちできるはずもない。それに、AIは良くも悪くも常識に縛られない。鼻先の人参を取る代わりに敵に塩を送りかねない手でも、結果として合理性が高ければ躊躇なく選択する。人間はAIに比べると、ハード面(生身の脳細胞)でもソフト面(心理的な束縛)でもハンディを負っている。それでもなおAIと同じ「神の一手」に到達した、藤井君のしなやかな才能にシビレる。

藤井二冠は終局後のインタビューで「(4一銀以外の手では)詰めろになっていない気がした」と答えた(詰めろとは詰めの一つ前の手のこと)。この「気がした」が深い。人間の頭脳は記憶力も処理速度も限られている反面、直感が効く。直感はたぶん無意識下に積み重なる膨大な経験値の結晶だが、本人にもその論理が見えないので天から下りてきたような唐突感がある。気がした、としか表現しようがない。一方、AIがデータを走査するプロセスに直感が滑り込む余地はない。AIに自意識があったなら、4一銀が最善手だと「確信」していたはずである。

AI技術の進化は、盤上の頭脳戦で人間の限界を超え、運転者を必要としない車の実現を可能にした。AIが処理できるデータ量と解析速度が向上すればするほど、不完全で曖昧な人間はますます差をつけられていくように見える。しかし人間の創造力はそもそも、その曖昧さの中にこそ潜んでいる。限られた経験値の不確かさを補うように訪れる閃きは、間違える可能性があるからこそ、思いもよらぬ何かを生み出す。無数の学習の積み重ねで成立するAI技術は、読みこなした教科書で得た知識は決して忘れないが、教科書に載っていない正解には永遠にたどり着くことができない。

それとも、深層学習のアルゴリズムが十分に精緻化すれば、そこにないはずの答えに辿り着く創造性への道が拓かれるのだろうか?ある時AIが確信のかわりに「そんな気がする」と不可解な直感に打たれ、閃きの予感に身を震わす日が来るだろうか?AIの知能が人間を超えるシンギュラリティがいつか到来するなら、それはAIが完全に人類を凌駕するというより、AIが私たちの不完全さを獲得する日なのかも知れない。

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