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ゾンビ [政治・経済]

日本で欧米のような強制力を伴うロックダウンが実施されないのは、日本国憲法に緊急事態条項がないせいで国民の権利を制限できないからだ、という議論がある。法律論としてはそうかもしれないが、コロナ対策に関してはあまり事の本質ではない気がする。

ドイツのメルケル首相がイースター休暇中に厳しいロックダウンを実施する方針を宣言したが、性急にすぎたか総スカンを喰らいすぐに引っ込め混乱を詫びた。日本はというと、先月緊急事態宣言を延長した際に菅首相が何やら謝罪していた。片や対策が厳しすぎたことに、片や緩すぎたことに国の元首が頭を下げる事態が、好対照である。ドイツをはじめ欧米諸国のコロナ対策は、良くも悪くも政府と国民のギリギリの緊張関係で成立している感がある。日本政府はなるべく事を荒立てたくないのでしばらく傍観し、事態が手に負えなくなるとしぶしぶ宣言を出す。必然的に、あらゆる対応が後手に回る。ワクチン接種が諸外国に比べピカイチ遅いのも、そんな日和見主義の延長にある。

後手に回るのは、今に始まったことではない。福島原発は非常用の発電機が地下に設置されていたため、津波で水没し原子炉の冷却機能を失った。歴史に「もし」はないとは言うが、仮に冷却用電源が生きていたら、水素爆発を回避できただろうかとつい想像してしまう。無限に高い防潮堤を作ることはできないが、非常用発電機の設置場所くらいは変えられる。それでも放置したのは、東電が大津波の可能性を想像すらしたくなかったせいかと推察される。原発の安全神話は、それが安全であってほしいという願望が結晶化したものだった。ホラー映画を観ていていつも目をつぶってしまう人が、目をつぶりさえすれば不愉快な現実が本当に消えて無くなるといつしか信じ込んでしまうようなものだ。ある日、本物のゾンビが目の前に現れたら、真っ先に捕まってしまうのはこういう人たちである。

fish_mola2.pngコロナについて言えば、現場ではゾンビとの付き合い方は大体わかってきている。当面は大阪方面を中心に、送別会シーズンではっちゃけた後始末を何とかしないといけない。行政の対応はというと、第4波だの変異ゾンビだのと危機感を煽るわりにGoTo再開に前のめりで、表玄関を施錠しながら勝手口からゾンビを招いている支離滅裂感がある。この状況は、仮に現行の憲法に緊急事態条項があっても、たぶん変わらないだろう。政府は強い対策を打ちたくても打てないのではなくて、本当は半目でゾンビをやり過ごしたい本音が透けて見えるからだ。最近話題の「まん防」にしたって、スケールダウンした緊急事態宣言を地方自治体に丸投げしているに等しい。ちなみに魚のマンボウは、3億の卵を産んで数匹しか成魚にならないとか、繊細すぎてちょっとした衝撃ですぐ死んでしまうとか、儚い生き物の象徴のように言われる(どちらの説も根拠薄弱らしいが)。コンボウとかヨウジンボウみたいに強そうな名前をつけておいたら、もう少し国のコロナ対策にも気迫がにじみ出ていたんじゃないか。

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