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アナログレコードの話 [音楽]

1980年代にCDが普及し始めて以来、アナログレコードの市場規模は(一部マニアの根強い支持は別にして)縮小の一途を辿ってきた。ところが過去10年ほど、レコードの生産数が再び上昇しているそうである。音楽ソフト全体の売上が伸び悩む昨今、興味深い傾向だ。

record_player.png私が小さかった頃は、まだアナログレコード全盛期だった。記憶にある限り初めて出会ったレコードは『およげ!たいやきくん』のシングルで、B面に『いっぽんでもにんじん』が入っていた。私と同世代なら、今でも空でこの2曲を歌える人は多いのではないか。父の趣味で自宅にはそこそこ本格的なオーディオ設備が整っており、書斎の棚にはクラシック音楽のLPレコードが所狭しと並んでいた。父の嗜好は概ね前期ロマン派以前に留まっていたが、名盤と評判が立つと何故か好きでもないはずの近現代物も買って来て、すぐに棚の肥やしになった。しかしその気まぐれが、後の私にストラヴィンスキーとかショスタコーヴィチとか武満徹など禁断の回廊へ扉を開いてくれたのである。YouTubeはもちろん、インターネットすら影も形もない時代だったことは言うまでもない。

LPレコードは詰め込んでも片面30分程度が限界で、とくにクラシックは一曲が長いので収まりきらない。交響曲やオペラはたいてい楽章やアリアの切れ目があるが、中には途切れなく何十分と続く音楽もある。ストラヴィンスキーの『火の鳥』全曲版は、綿々と休みなく50分近くを要する。当時自宅にあった小澤征爾/ボストン響のLPでは、『王女たちのロンド』の終わり近くハープが上行音型でオーボエにつなぐフレーズを一旦ハープだけで終わらせてA面を閉じ、B面はその直前からフェードインして後半につないでいた(記憶が正しければ)。場合によってはスコアすら改変せざるを得ない苦労が、アナログレコードの宿命だったのである。

CDは連続して70分以上入り、再生も簡単だし保存もかさばらないからメリットが多い。一方で、CDは再生音が不自然だとかアナログレコードのほうが音がいいといった懐古派のぼやきもくすぶり続けた。CDは可聴域より高周波の成分はサンプリングしない。だから超可聴域を排除しないアナログレコードのほうが音質が優れているという俗説が、まことしやかに広まった。しかし同じレコードでもスピーカーやアンプやカートリッジ(レコード針とその周りのパーツ)など再生装置次第で音はぜんぜん違うので、音質に関してはレコードかCDかというメディアの二者択一論に意味があるとは思えない。

レコードをジャケットからうやうやしく取り出し、ターンテーブルにそっと載せ、見えるか見えないかの極細の溝を狙って針を慎重に置く。アナログレコードを聴くには、厳粛で少々面倒くさい儀式が伴う。サブスク世代の若者達の眼に映るアナログレコードの世界とは、スタバの抹茶ラテで育った現代っ子が格式高い茶会に招かれるようなものかもしれない。どちらのお茶がより美味しいか、どちらがより良い音が出るのか、それはたぶんあまり本質ではない。敢えて一手間も二手間もかけて、まず心を整える。そんなふうに正座して向き合う音楽の形が、楽曲データがタップ(クリック)一つで手に入る時代にあって、逆に新鮮で輝いて見えるのだろうか。

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