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沈黙の音楽 [音楽]

フェデリコ・モンポウというスペイン(カタルーニャ)の作曲家がいる。19世紀末に生まれたのでオネゲルやミヨーあたりと同世代だが、長寿を全うし1987年まで生きた。父親が鐘を造る職人だったせいか、鐘の音を思わせる美しい不協和音を音符に落とすことに長けた人だ。モンポウの作品の多くはピアノ小品で、『歌と踊り』という愛らしい曲集から『沈黙の音楽』というかなり晦渋な作品群まで、作風の幅が広い作曲家である。

若き日のモンポウはガブリエル・フォーレの音楽に感激し、師グラナドスの推薦状を携えてパリにやって来た。しかし、敬愛する偉大な音楽家との出会いを目前にして、緊張感に耐えられず音楽院の待合室から逃げ出し、自ら弟子入りの機会をふいにしてしまう。極度に繊細で内気な人だったようである。モンポウの内向的な思索性がいちばん顕著に表れているのが、彼の円熟期を代表する『Música Callada』と題された一連の小品集だ。日本語では『沈黙の音楽』と訳されたり『ひそやかな音楽』と呼ばれたりするが、モンポウ自身はこの曲名をスペイン語以外で適切に訳出することは困難と書き残している。

bg_chiheisen_brown.jpg一曲一曲はほんの数分の短い音楽だ。キャッチーな旋律や技巧的なパッセージは一切登場しない。調性と無調のはざまをカゲロウのように移ろい、静けさから立ち現れてはまたすぐに沈黙へ吸い込まれる。それはまるで、世界の終わりに生き残った最後の人間が、砂漠に飲み込まれゆく村に佇む小さな小屋で、聴かせる相手のいないピアノを独り訥々と弾いているかのようだ。時が意味を失った世界で、己の心と向き合うためだけに奏でる曲の数々。『Música Callada』はそんな音楽である。

先日亡くなった坂本龍一さんがスタジオで撮った最期のコンサートをテレビで見た。今年の正月明けくらいだったろうか。『戦メリ』や『ラストエンペラー』のような代表作の合間に、坂本さんは近作の小品を弾いた。その静謐で内省的な音楽が、モンポウの『Música Callada』を少し思わせた。国も時代も作風も全く異なる二人の作曲家が、晩年に到達した精神世界でどこか通じ合うのが面白い。百人百様の喜怒哀楽のもっと深くに、選ばれた人のみが表現することを許された人類共通の心象風景が潜んでいるいうことなのか。

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