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旧統一教会と政治 [政治・経済]

旧統一教会と一部の政治家をつなぐ依存関係が芋づる式に明らかになりつつある。集票の組織力と引き換えに権力に擦り寄る分かりやすい宗教団体のアプローチに、国会議員(や公安委員長まで)がかくも脇が甘いのには少し驚いた。国政に携わる政治家が、信者の高額献金で社会を騒がせた宗教団体をいとも容易く受け入れる深層に、何があるのか?利害が一致するから利用し合うというドライなプラグマティズム以上の親和性があるようである。

統一教会が日本に入り込みつつあった頃は安保闘争の時代で、反共思想が教会と政府を結び付けたきっかけの一つだったらしい。時代が変わった今は、伝統的家族観の共有が思想的な共鳴ポイントになっているようである。故安倍元総理は旧統一教会の関連団体UPFに寄せたスピーチの中で、家庭の価値を守る重要性に触れながら「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と述べている。これが具体的に何を意味するのか定かでないが、LGBTに代表される家族形態の多様化を容認しない旧統一教会は、夜の虫が群がる常夜燈のように保守派の政治家を引き寄せる力がある。殺虫灯に捕まった虫が立てるバチバチという音が、いま永田町で盛んに聞かれる。

cult_family_shinpai.png家族重視を教義の中心に据える旧統一教会が、ときに信者の家庭を完膚なきまでに破壊し、その闇から安倍元総理の襲撃犯を産み落とした事実は皮肉な因果である。純粋な信者は家族の問題を解決したいばかりに教会に献金を続け、結果として新たな家族問題を作り悪化させる。家庭は社会構造の最小単位で、最も濃密な人間関係で構成される場だ。密度の濃い人間関係は、つねに諸刃の剣である。家族の思いやりに救われることがあれば、よそ者が介入できない密室の中で心が押しつぶされることもある。

伝統的家庭観を無邪気に賛美する宗教や政治は、家族が解消不可能な絆で結ばれているからこそその恩恵から排除される犠牲者が存在し得ることに想像が至らない。安倍元総理の襲撃犯が生身の人間に銃口を向けたことに全く共感の余地はないが、彼が味わった地獄と保守派政治家の賛美する家族観が表裏一体でつながっていると彼が嗅ぎ取っていたのであれば、その嗅覚自体は必ずしも間違ってはいない。

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